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第二話 友情

目を覚ますと、太陽の温かい光がカーテンのすき間から寝ている僕の顔に差し込む。長時間の眠りについたおかげで、体全体が心地よく痺れている。食事を済ませ、嫌々支度をして学校に向かった。学校に行っても、友達がいない僕にとっては非常に辛く、地獄のような場所だ。大人は学校に通う必要がないし、精神を削る思春期の経験もしなくていい。大人が羨ましいと思う毎日だ。


普通であれば、学校で友達と話したり運動をしたりと楽しみがある。学校終わりには、友達と出かけたりするだろう。僕には、それがない。毎日、学校が終わればベンチに来て本を読む。楽しいイベントと呼ぶようなことは一切ない。蒸し暑い教室の中、窓の隙間から微かな風が入り込む。横目で、友達同士で会話する学生たちを眺めた。


「今度の週末、どこ行く?」

「駅前の新しいラーメン屋はどう?」

「もしかして、野菜たっぷりのとこ?」

「そうそう。超大盛りのお店」

「いいじゃん。そこ行ってみようよ」


新しく出来たラーメン屋の話で盛り上がっているようだ。週末にどこに行くか友達同士で決める、ごく普通の会話だった。友達がいない僕にとっては、することができない会話だけに最後まで聞いてしまっていた。正直、学校に来ても楽しいとは言えない。あぁ、早くここを抜け出して、さっさと大人になりたい。


授業が終わると、学生たちの声が響き渡る廊下を一人で歩く。複数人での話し声や歩く音、走る音などさまざまな音が耳に入ってくる。途中で、友達と会話をしながら歩いてくる学生を目にした。本来であれば、僕も目の前の学生達みたいに廊下を歩いていたのだろうか。


最初の行動さえ間違えなければ、いま見ている光景のようになっていた可能性はある。けれど、一◯◯パーセントではない。もし友達ができたとしても、継続的に関係を維持できるかどうかだ。


それが僕に、できるのだろうか。友情というのは、永久ではない。長年の友情ですら、些細なことで壊れてしまう。ちょっとした言動で、長年築き上げた友情ですら一瞬で壊れる。長年の友情を壊すきっかけは、相手に対する裏切り行為や酷い発言などが代表的だろうか。


友達同士で喧嘩をして、お互いに永遠と謝罪をしなかったら友情関係は壊れていくだろうし、友達同士が離れ離れになって会うことがなくなり、連絡もしなくなったら友情関係は壊れてしまう。他にもさまざまなことが挙げられるが、友情関係は非常に難しいものだ。


友情関係といっても、男女で全く異なるらしい。昔、母が渋い顔をして僕に言ってきたのを覚えている。母は「女は大変なのよ」と言い、僕に愚痴を言ってきた。僕は受け流すような相槌をしたが、話の内容はしっかり頭の中に入れていた。女性同士の方が、友情関係は壊れやすいらしい。


女性は、とても繊細だってことだ。代表的な例でいうと、恋愛絡みの問題だろう。他には、環境の変化や派閥問題、嫉妬や妬みなどが挙げられる。女性は、本当に大変なのだろう。僕は、女性に生まれてこなくて良かったと心から思った。


男子では、わからないものがたくさんあるに違いない。城野も経験しているのだろうか。容姿や性格が良い城野なら、もしかしたら誰かに嫉妬されたり、妬またりすることはあるかもしれない。そんなときは、どう対処するのだろうか。僕の知識量では、全く想像できなかった。


僕が知る限りだと、友情関係を維持するための良い方法がある。それは、前に読んだ本で記憶に残った言葉だ。「他人に期待しすぎてはいけない」この言葉は、意外と正論なのかもしれない。


相手に期待しすぎて、期待と違った言動をされたら落胆してしまう。そうなれば、相手に対して良いイメージはなくなるだろう。これに関しては、自分にも言えることだと思う。自分に期待しすぎないこと、僕は期待以上のことはできない。こんなことを考えても友達がいなければ、全く関係のない話かもしれない。実際、友達がいたら幸せなのだろうか? 友達がいることが、幸せなのだろうか? 友達が多ければ、幸せなのだろうか?


「友達一◯◯人できるかな」小学校に上がる前に誰もが聞いたことがある歌のフレーズ。友達一◯◯人でご飯を食べ、日本中を駆け回り、笑いあう。不可能に近い内容を、無理やり幼児に歌わせる。いまの時代も歌うということは、友達は多い方が幸せだという価値観が社会の中に根強く残っているということだろう。これを達成できる人は、この世の中にいるのだろうか。友達は多ければ多いほど、素晴らしいことだという価値観を押し付けられているようにも感じる。


この歌のせいかはわからないが、友達は作るべきという子供の頃に植え付けられた概念がずっと残っているのは間違いない。早いうちに友達を作らなければいけないという焦りで心に不安を残すだろうし、世の中の雰囲気が自分へのプレッシャーになってしまう。ドラマやアニメでは友達がいない人は、ネットで友達を作るシーンを見たことがある。SNSやオンラインゲームのコミュニティで、メッセージのやり取りをして交流を深める。その後、人によっては直接会ったりして更に交流を深める人もいる。


新たに直接人と交流するわけじゃないし、メッセージだけで会話をするなら問題なく思える。今の時代、新たな交流方法があるのに僕はSNSやオンラインゲームなどはやっていない。逆に僕にとっては別の意味でハードルが高く、メッセージだけでもうまくやっていけるのかわからない。何事もやってみなきゃわからないが、いまの僕にとってはすべてのハードルが高いのだ。


友達がいるからといって幸せになるわけではないと思うし、友達がいないからといって不幸になるわけでもない気はする。不幸なのかはわからないが、友達に囲まれて楽しそうにしている人を見ると複雑な気持ちになるときはある。友達がいない自分を寂しく感じることもある。友達は数ではなく、質を重視する人もいるだろう。友達が少なければ少ないほど、その友達がどれだけ自分にとって大切なのかを心の底から感じることもできる。でも、人間関係の質や数が人生の幸福度に直結しないという調査もある。


実際、日本の大学で友達の数と質が幸福感と、どう関係するのかを調査した結果はさほど関係がなかったと発表していた。友達の数と質、どちらが幸せなのかはその人がもともと持ち合わせている人付き合いの傾向によるものだという。幸せな友達がいれば、幸福度を高めることができ、不幸な友達がいれば幸福感が低くなる。


他にもハーバード大学の教授が発表した論文によると、幸せな人生を送るためには三種類の友情が必要だそうだ。人を幸せにするのは、ポジティブな人間関係。人間関係を持っていれば、不平不満を鎮めることできる。一つ目は、お互いに足りないものを与えてあう役に立つ友情、二つ目は、楽しみや喜びの源と思える楽しみに基づく友情、三つ目は、お互いの人生を向上させる完璧な友情。もちろん、すべてが最高に満足のいくものではないかもしれないし、それ以上深く踏み込むことを許さないかもしれないが、現実では必要なものだという。これらの友情は、人生を前進させるのに役立つという。


逆に、友達がいない人の共通点はなんだろう。他人に興味がない、人を信用できない、性格が内気、群れることが嫌いだったりとさまざまな理由が挙げられると思う。人それぞれ価値観が違うのは当たり前だ。価値観が合う人と、一緒にいるのは楽しいし安心できる。でも価値観が違う人の場合は、どうすればいいのか。


価値観が違う人は、自分が我慢をして受け入れるべきなのだろうか。それとも、関わらずに日々を過ごしていくべきなのだろうか。結局、考えても僕の中で正解が出てこなかった。まぁ、とりあえず友達ができてから考えるとしよう。今日は昼休みや授業の合間の休憩を教室外で過ごしていみたが、校内で城野を見かけることはなかった。同じ学年だし、会うことがあるのかと思っていたが現実はそうではない。


この学校は、普通科の他に特進科がある。普通科で約一五◯から二◯◯人ほど、特進科で約一◯◯人ほどの学生が在学している。同じクラスではない限り、他の学生と頻繁に会うことは少ない。城野は、学校でどんな感じなんだろうか。男女からの人気がすごく、周りにはいつも学生たちがいるのだろうか。昼休みのときは、友達と仲良く食事したり、学校帰りは楽しく会話をして帰宅してるに違いない。そんな、楽しそうな日常を過ごす姿が想像つく。


授業が終わると、僕は文芸部の部室に向かった。誰もいない静かな部室で、黙々と本を読む。半年前、高校に入学してから、どの部活に入るか考えていた。最初は、高校にある部活動には興味を抱けなかったが、意外にも帰宅部という選択はなかった。念の為、部活動は入っておいた方がいいと思って入部をした。また部活動をしていれば、少しは環境が変わるのではないかと思ったからだ。


中学時代は、テニス部に入部していた。なぜ、テニス部を選んだのか。当時、読んでいたテニス漫画が面白くて、ただテニスをしてみたいという軽い気持ちだった。そんな軽い気持ちで入部したが、下手くそが永遠と玉遊びをしているような感じだった。才能がなかったのだろう。結局、一年も経たずにテニス部を辞めた。


高校に入学して、部活動のチラシを見ていたときに文芸部を目にした。文化部の経験はないが、本を読むのが好きな僕には合っているのではないかと思った。本が好きなのは、父の影響だった。家の本棚には、あらゆるジャンルの本が置いてある。文芸書や実用書、ビジネス書、コミックなど。基本的に、宿題や部活動がない時間は本を読んでいた。実際は、友達がいなかったから暇を潰すには本を読むしかなかっただけだが。


さまざまなジャンルの本を読んだおかげで、少しだけ知識が増えた気もする。別に誰かに話すわけじゃないため、ただの自己満足に過ぎないかもしれない。それでも、新しい情報を得るのは楽しかった。知らなかったことが、どんどん脳内に蓄積されていく。いままで、欠けていたピースを埋めていくような感覚だった。僕は、全てのピースを埋めるために本を読むのかもしれない。そうなると、文芸部なら読んだことがない本がたくさんあるかもしれない。


チラシを見たとき、すごくワクワクした。それに、文芸部なら同じ趣味の人がいるかもしれない。本が好きな学生がいれば、話す機会も増えると思う。これを機に友達ができるかもしれないと思っていたが、入部を決めた文芸部には部員はいなかった。たった一人、僕だけの部活動だった。先生の話では、先輩たちが卒業してから部員がいない期間が続き、もう少しで廃部する所だったらしい。


また文芸部なのに物語の執筆はなく、基本的に読書するだけの部活とのこと。文芸書や実用書、ビジネス書など幅広く読んでいたので、授業終わりに知らない本を読めるなら悪くないと思っていたが……。たった一人だけの部活動……すごく違和感があった。文芸部の部室には、五人ほどが並んで座れそうな長い机と椅子が六つ。大きな本棚には、さまざまな種類の本がずらりと並ぶ。本棚を見渡すと、読んだことがない本が多かったため、これからの部活動が少しだけ楽しみになった。


でも誰もいない部室で、ひたすら本を読むだけ。快適なのだが、すごく静かな部室の隅っこで本を読み続けるのもなんだか虚しい。少し環境が変わるのではないかと期待していたが、これだと変わることはなさそうだ。部活動をしている記録を残すため、部室で少し本を読んでからベンチに場所を移して本の続きを読む。


ベンチなら広々とした空間が広がっているし、せせらぎの音を聞きながら読書ができる。部室を出て学校をあとにすると、いつものベンチに向かった。ベンチに着く頃には夕闇が広がり、暗さに反応した街路灯が点灯しはじめる。辺りは薄暗くなるが、ベンチ付近には白く光る街路灯があるため、夜になってもベンチを照らしてくれる。


いま思うと、城野はなぜベンチに来ているのだろうか。でも僕も本を読むだけで大したことじゃないため、人のことはいえないかもしれない。初めて城野を見たとき、ベンチに座って目の前の景色を見ているだけだった。あの時、なにか嫌なことでもあったのだろうか。なぜか無性に気になり、頭の中で疑問という言葉だけが飛び交う。しばらくベンチで本を読んでいると、奥の方からローファーの歩く音がコツコツと響きはじめた。誰かが来る……城野だろうか? 次第に、コツコツと歩く音が大きくなっていく。僕の視界には、うっすら人影が見えはじめた。

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