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第一話 出会い

僕が城野沙織里と初めて出会った場所は、川沿いにある木製のガーデンベンチだった。七月一四日、少し蒸し暑さを感じる夏の夜、雲に隠れた月が顔を出しはじめる。空は、夕闇の上から漆を塗ったかのように黒く染まっていた。


ベンチに行くためには、川沿いの歩道を歩く必要がある。それか、ベンチ裏の草原の上にある歩道から下に降りていく二通りのルートだ。僕は、いつも川沿いの歩道を歩く。そっちの方が圧倒的に早いし、川の方からダイレクトに川風を浴びることができる。灰色のコンクリートを二◯◯メートルほど歩くと、白い光を放つ和風の街路灯に照らされたベンチが見えてくる。


まず目についたのは、ベンチに少女が座っているということ。珍しく先客がいたのだ。僕がこのベンチに来はじめてから、人がいたことはない。いつも、孤独で寂しそうなベンチだった。人がいることを予想していなかったため、変な違和感があった。少女が座っているベンチは、僕のお気に入りの場所だった。学校が終わると、このベンチに座り小説を読むというのが日課になっている。でも先客がいるとベンチに座って、小説を読むのは難しい。とりあえず、今日は真っ直ぐ家に帰るしかなさそうだ。


ベンチに近づくにつれて、少女の姿が鮮明に見えてくる。スマホをいじったり、本を読んだりしている訳ではなく、目の前にある流れが穏やかな川を見ているようだった。たまに吹く涼風が、少女の肌を心地よく撫でている。まるで、一日の疲れを洗い流してもらっているようにも見えた。


第一印象は、腰くらいまで長い綺麗な黒髪で白く透き通った肌の少女という感じだった。新潟県では、肌の白い人を見る機会は多い。それは他の県と比べて日照時間が短く、紫外線が少ないからだ。また湿度が高く、雪国特有の清らかな雪解け水も影響しているといわれている。


これは新潟県に限らず、雪国特有の環境だと思われる。主に、東北地方や北陸地方の日照時間は短い。最も、日照時間が短いのは秋田県。次に、青森県、山形県、新潟県と続く。東北地方や北陸地方に美人が多いというのは、日照時間も関係しているのかもしれない。


でも、現在は冬ではなく夏だ。七月に入り、本格的な夏を迎え始めている。少女は他の学生たちと比べると、際立つ白さだった。まるで、日本の田舎に迷い込んだ欧州の白人女性のような。また夜の暗さを背景にすると、少女の白さはすごく際立っていた。視覚的に強いコントラストを作り出し、神秘的な雰囲気を晒し出している。テレビCMで見るような、加工後の白く透き通った肌のようにも見えた。少し離れた場所からそう見えるなら近くで見ると、肌の細胞まで透けて見えてしまうかもしれない。


よく見ると、少女の服装は制服だった。少し濃い目のネイビーのニットベストに、青空に白を足したような淡いブルーの長袖シャツ、チェック柄のスカート。どこかで、見たことあるような制服だ。それもそのはず、よく考えれば僕と同じ高校の制服だ。どうやら、同じ高校の学生のようだった。初めて見る顔だったが、同じクラスの生徒以外は知らない人が多い。そのため、特に気にすることはなかった。


少女は歩いて近づいてくる僕に気がつくと、少し微笑んで会釈をした。とっさに会釈を返すが、顔見知りでもなんでもない。白い光を放つ和風の街路灯に照らされている少女の前を通り過ぎようとしたとき「ねぇねぇ」と少女がぶつっと呟く。まるで、静かな空気を破るような声のかけ方だった。少女は小説を手に取り、僕がしっかり見えるであろう距離まで手を伸ばし、小説を見せつける。


よく見ると、W・ブルース・キャメロンの小説『野良犬トビーの愛すべき転生』だった。なんで、僕のだと?確かにその小説は持っているが、ちゃんとバッグの中に閉まっているはず。と思ったが、バッグの中に小説はなかった。恐らく、昨日の夜このベンチに置き忘れてしまったのだろう。近くで少女を見ると、びっくりした。肌の細胞まで透けて見えることはなかったが、純白とはこのことなんだろうと思った。僕自身も肌は白いほうだが、異なる白さだ。また白く細い手足に、艶やかな長い黒髪。僕は言葉を発することができず、ただ少女の姿に見惚れていた。


「これ、君のでしょ?」

「えっ。あぁ、ありがとうございます。でも、なんで……」

「私もよくここに来るの。これが置いてあったから、君のものなんじゃないかなと思って」

「そうでしたか。僕もよく来るのですが、今日はあなたの邪魔をしちゃいましたね」

「そんなことないよ。誰かの場所ってわけでもないでしょ」

「まぁ……確かに」

「この小説って面白いの?」

「えっと……。有名な作品なのに、読んだことはなかったから」

「有名なの? 私、全然知らない」

「普通は、そうですよね。実は、映画にもなっているんですよ」

「そうなの? このタイトル?」

「いや、『僕のワンダフル・ライフ』って名前で映画化したんですよ」

「えぇ! 私、大好きだよ! 泣けるよね! 映画の配信サイトで何回も見たよ」


すごく好きな作品なのだろう。映画のタイトルを聞いてから、立ち上がり目を輝かせながら僕に熱く語りかけてきた。確かに、小説のタイトルだけ聞いてもピンとこない人は多いはず。映画のタイトルで「あっ!」となることが多い。その後、目の前にベンチがあるというのに、僕たちは少し立ち話をした。


話を終えると、少女は僕に向かって「次は、君の番ね」と言いながら小説を僕に渡した。僕は誘導されるようにベンチに座り、少女はベンチを後にする。少女は奥の方まで歩くと、一度だけ振り向いて僕に向かって手を振る。僕も恥ずかしながら、小さく手を振り返した。少女が進んでいく奥の方は暗く、まるで闇に吸い込まれるように姿を消していった。これが、川沿蒼汰と城野沙織里の初めての出会いだった。


城野と出会った翌日も、学校を終えてからベンチに向かった。夕闇が広がるにつれ、街路灯が点灯しはじめる。白い光の照明に照らされた誰もいないベンチは、一気に孤独感が増して独特な雰囲気を晒し出していた。僕はベンチにもたれかかると、ふぅと一息つく。バッグから小説『野良犬トビーの愛すべき転生』を取り出し、続きを読む。一時間後、奥の方からローファーの歩く音がコツコツと響きはじめる。空の色は先ほどの薄闇よりも、いっそう闇が深くなっていた。


奥の方は街路灯がないため、田舎道のような暗さで奥の方を見てもまだ人の姿は見えない。コツコツという音だけが響き渡り、誰が来るのかわからない状況だった。もしかして、城野がベンチに来たのかだろうか。次第に腰から下のスカートとローファー見えはじめ、近づくにつれて体全体を確認することができた。予想通り、ここに来たのは城野だった。


よく見ると、昨日と少し雰囲気が異なっている。普段、下ろしている髪をまとめてポニーテールにしていた。顔周りにほつれる後ろ毛がアンニュイな印象を出し、女性らしさを引き立てている。あまり考えたことはなかったが、男子からは人気の髪型らしい。「やっほー」と軽い挨拶をされ、僕は「どうも」とかたい挨拶で返す。ベンチを使いたいのかと思い、僕はベンチから立ち上がろうとするが、城野は「座ってていいよ」と言いながら僕の隣に座ってきた。


「ここ使います? どきましょうか?」

「気にしないで」

「わかりました……」


少しの間、沈黙が続く。なにかを話さなきゃと思い、「そういえば、名前って……」と無理やり尋ねた。少女の名前は、城野沙織里。僕と同じ一六歳。しかも、クラスは別だが同じ高校に通っていた。話を聞くと、一年前に東京から新潟に引っ越してきたらしい。東京での暮らしを聞くと、城野は東京よりも地方の方が好きだと言う。


地方の方が空気は綺麗だし、日常音もうるさくない。落ち着いた日々を過ごせるから、地方の方が魅力的なのだと。都会に長らく住むと、そうなるのだろうか。地方に住んでいる僕からしたらわからない。お互い、ないものねだりなのだろう。その後、城野とはこの町に引っ越してからの話をした。


「この町には、慣れた?」

「慣れたよ。東京と違って、空気や水が美味しい」

「そんなに違うの?」

「全然、違うよ。東京は、二酸化炭素の濃度が高いから空気が悪いの。水道水は飲めなくはないけど、やっぱり違うよ」

「全然、考えたことなかった」

「それは、ここにずっと住んでいるからだよ」

「田舎は、濃度が低いから空気が澄んでいるのか」

「そう。東京は、自動車や建設活動、発電所、人々の生活活動が活発だから、どうしても濃度が高くなっちゃうんだ」

「田舎だと、人口が少ないからね」

「川沿くんって他の人と違って、あんまり方言でないよね?」

「あぁ、確かにそうだね」

「どうして? 他の人と話すと、「そうなんさ〜」「だっけさ〜」「〜ねっか」とか言うから」

「なるべく、使わないようにしてるだけ。他の場所に行ったとき、恥ずかしいじゃん」

「川沿くんは、高校卒業したらここを出ちゃうの?」

「まだ、わからないけど……。ここにずっといるなら、違う場所で生きていきたいだけ」

「どうして?」

「どうしてか……。ただ、この町を飛び出したいだけかな」

「そっかぁ」

「城野さんは、このまま新潟に?」

「その予定かな。ずっといられるか、わからないけど」

「そうなんだ」

「でも、いいと思うよ」

「え?」

「行きたい場所や、やりたいことはできるときにしておいたほうがいいよ」

「それは、そうかもだけど」

「人生は、あっという間に過ぎていくからね。私、先に帰るけどまだここにいる?」

「うん。僕は、もう少しだけここにいるよ」

「そう。じゃ、またね」


城野は僕に小さく手を振り、街路灯が少ない闇の方に歩いていく。城野には言っていないが、僕には友達がいない。人生で友達ができたことがないわけじゃないが、いま通っている高校に友達と呼べる人はいない。思春期の交友関係は、非常に複雑だ。学校のクラスメイトや部活、習い事、SNSなどを通して交友関係が一気に広がるが、学校で付き合う相手は小さな集団やグループから選ぶことが多い。


授業以外の行事などは、基本的にグループ行動をしないという選択は少なくなる。決まったメンバーでの、行動や発言に適応することが求められてしまう。人によっては容姿や性格でいじられ、省かれてしまうこともある。場合によっては、酷いいじめにあう可能性もだろう。もちろん、僕だって「自分とは、なんだろう」と考えたこともある。自分探しの真っ最中である一◯代。人間関係においては慌ただしく、悩みやトラブルも尽きない。他人と比較して、自信を失ってたり自信を取り戻したりもする。人に優しく接すれば、接するほど不幸になることだってある。


そんな毎日を過ごすくらいなら、早く大人になったほうがマシだ。大人は羨ましい。精神を削る思春期を過ごすことはない。また未成年という壁がさまざまな行動を制限し、不自由なことが多い。僕は、いまの現実を抜け出したい。別の言い方をすると、ただ逃げ出したいだけなのかもしれない。僕は、最初から嫌われていわけではなかった。入学当初は、クラスメイトから話しかけられていた。でも、相手の質問に対して曖昧な反応をしていた。話しかけられても、そっけない対応で自分からは全く話しかけない。もちろん、そんな状態では友達ができるわけがない。


次第に、僕に話しかける人はいなくなり、現在ではクラスで浮いた存在の一人になってしまった。全部、自分が招いた結果だ。人と話すことが得意なわけではないが、すごく苦手なわけでもない。ただ、その後の関係のことを色々考えてしまう。ただの臆病者だろうか。そんな僕が城野と普通に話せているのに、体が反応するほど驚いている。


城野が話しやすい人だったということもあるが、他の生徒と比べて妙に落ち着いてるのが良かったのかもしれない。昔、本で読んだことがある。話しやすい人は、聞き上手だ。また共感力が高く、明るい雰囲気を持っている人。とにかく、会話のキャッチボールが上手い人だ。さらに城野は笑顔が多く、感情が豊かなのも要因だと思う。僕には、できないことが無意識にできる人なんだろう。そんな人だからこそ、僕は話したいと思って、色々なことを話すことができたのかもしれない。


いろいろ考えた後、僕はベンチをあとにした。心地よい虫の鳴き声とせせらぎの音を聞きながら、蒸し暑い夜道を一人で歩く。自宅に戻り、食事を済ませてから自分の部屋に戻った。僕は、ベッドに寝転がって天井を見上げる。ふぅと溜め息をついた。なぜなら今日は城野や母からも、なぜこの町を出たいのかを聞かれた。食事中に進路の話になり、僕の希望を両親に伝えた。でも、僕は理由を説明できなかった。なぜ、この町を出たいのか。城野や両親に、変な心配はかけたくない。友達がいないから、この町がつまらないから、そんなことは言えなかった。それに、この町以外でなにをしたいのかもわからない。やりたいこともなければ、好きなことや得意なこともない。


ただ、できるだけここから遠い場所に行きたいだけなんだと思う。今の状況から逃げ出したい、ただの臆病者なんだ。そんな淡い気持ちで、早く大人になりたいと毎日願っていただけなんだ。

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