第二十四話 線香花火
待ち合わせは、花火大会の日と同じ一八時にいつものベンチ。沙織里と合流してから長岡駅まで行き、大手口一二番乗り場から寺泊行のバスを探した。中央に赤色のラインが入った白ベースのバスに、寺泊行と書いてあったので急いで乗り込む。一番後ろの席が空いていたため、一番後ろの窓際の席に座った。
これから、約一時間のバスの旅が始まる。窓の向こうには、夜の街並みが映る。黄色い光に包まれた光景が久々だったのか、沙織里は食い入るように窓の外を見ていた。バスは光量の多い通りを抜け、駅から離れていく。
向かう場所は、寺泊中央海水浴場。遠浅で波は穏やか、広々として開放的な白い砂浜が特徴の人気のビーチスポットだ。日本海に面しているため、海水の透明度も高く、夏の新潟を代表する海水浴場のひとつとして知られている。海水浴シーズンには、多くの海水浴客で賑わい、徒歩圏内には魚のアメ横と呼ばれる『寺泊魚の市場通り』もある。新鮮な海の幸を、その場で食べることができるもう一つの魅力的なスポットだ。
生憎、僕たちが行く時間は『寺泊魚の市場通り』が閉まっている。新鮮な海の幸を食べることができなければ、透明度の高い海水や白い砂浜を見ることもできない。恐らく、海辺には光がないため、黒い空に黒い海。辺り一面は、闇の世界が広がっているだろう。
途中、バスの中では『やりたいことリスト』の話をした。一人で出来るものは行っているみたいで、まるで囲まれているものもあった。沙織里の進行状況を確認しつつ、僕も『やりたいことリスト』をはじめたことを報告した。『やりたいことリスト』の話をしながら、バスに揺られ約一時間。ようやく、降り場が見えてきた。
バスを降りて、新鮮な空気を吸う。駅にある自動販売機で飲み物を購入して、僕たちは駅をあとにした。駅前はまだライトが多く明るいが、海に近づくにつれて一気に灯りの数が減る。夜の海岸沿いを、ゆっくりと歩く。辺りに街路灯はなく、真っ暗な闇の世界のようだった。
闇の中で波の音だけが鼓膜を通り、目の前に海があると脳に直接教えてくれる。闇の中で、波がうねりながら押し寄せ、またうねりながら退いていくようだった。また、海の方から来る風と共に、潮の香りがすっと鼻に入ってくる。
「ここからでも、潮の香りがするね。夜の海って来たことある?」
「夜の海は、初めて来たよ。なんか、すこし不気味だね……」
海に近づくにつれて、潮の香りが強くなる。夜の海を泳ぐ人は、一人もいない。それどころか、海に来ている人すらいなかった。夜の海は、全くの別の世界のように感じた。目の前に見えるのは、無限に広がる青一面の海、太陽の光でキラキラ光る光景ではない。
空に月がないため、闇の中でほのかに光る水面も見えない。目の前に広がる光景は、光をすべて吸い込んでしまったブラックホールのようだった。スマホのライトを付け、足元を照らしながら海岸へと繋がる石階段を降りる。スマホのライトで、なんとなく砂浜と海を認識できたが、やっぱり見えづらい。
砂浜に着くと、沙織里は海の方に向かって走り出した。子どものように、手を振り回して夢中で走っている。僕はなにが起きたのかわからず、呆然と沙織里の後ろ姿をライトで照らしながら見るしかなかった。
「蒼汰くんも来なよ! 目の前に海があるよ!」沙織里は満面の笑みを浮かべ、手招きをしながら僕を呼んでいる。
海を見れたのが、嬉しかったのだろうか。ニコニコせずには、いられない嬉しさが溢れているようだった。
僕は、スマホのライトで目の前を照らしながら海の方へ歩いた。残念ながら、ライトで海を照らしても僕が知っている海の色ではなかった。
「本当は、もっと綺麗な海を見せたかったんだけどね」
「でも、海は海でしょ。私は満足しているよ」
「それならいいけど。あっ、ちょっとスマホを持っててくれない?」
沙織里にスマホを持ってもらい、僕はバッグの中から事前に購入しておいた手持ち花火を取り出した。花火が出てきたのが予想外だったのか、沙織里は驚きで目を見張っている。「花火をするなんて、いつぶりだろう」沙織里は、すこし口元が緩んだ。懐かしいものを見て、表情も緩んでいるようにも見える。沙織里の頭の中では、家族で花火をする幼少期の姿がフラッシュバックしているのかもしれない。
海とすこし距離を置き、手持ち花火の先に火をつけた。シューシューと独特の音をたてて、色とりどりの火花が砂浜に落ちていく。「長岡まつり大花火大会」のような壮大な花火にはならないが、小さな花火が暗闇をカラフルに照らしてくれた。沙織里の顔は火花の色と同じく、赤色、緑色、黄色などに変化していく。
打ち上げ花火とは違い、好きなように動かして遊ぶ手持ち花火はまた別の良さがあった。夏の感じられる幻想的な火花を、至近距離で楽しむことができる。両手に花火を持ち、火が消えないように花火から花火へと火を移したり。お互いに文字を書いて、なんの文字か当てたり。気がつくと、はしゃぎながら花火を楽しんでいた。
最後に残った手持ち花火は、線香花火だった。線香花火の準備をしている最中に、どちらが長く燃え続けられるか勝負をする提案を受けた。線香花火をしたことがある人は、誰もが通るかもしれない。最後まで残った人が一番幸せになる、最後まで残った人が願い事を叶えることができるなどの勝手な願望を付け加えて行う人もいただろう。
黒い海を前に、隣り合うかたちで砂浜にしゃがんで線香花火を行なった。点火して蕾の状態から牡丹になると、火花が弾けてパチパチと小さな音が鳴る。お互い言葉を発することなく、パチパチと小さく弾ける光の玉を見つめる。次第に松葉の状態へと変わり、火花の勢いが増していく。
僕たちに、なにかを訴えかけるように火の玉は少しずつ大きくなっていく。火の玉は、ぷるぷる震えながら僕たちに向けて火花を飛ばす。 数分後、散り菊の状態となり、先ほどの勢いはなくなる。無数の火花が、一本、二本と数を減らしていく。頼りない光が、下から僕たちの顔をぎりぎり照らしていた。
線香花火は、自然と沈黙を生み出す。話したり体を動かしたりすると、わずかな振動で火の玉が落下してしまう。そのため、意識が逸れないように、じっと手元だけに集中する。目の前で、パチパチと火花が弾ける小さな音と静かな波の音だけが耳の中で響いていた。この二つの音が、混じり合っているからだろうか。静かに花火をすると、なんだか気持ちを落ち着かせられる気がした。
「線香花火って、四◯◯年近くの歴史があるんだって」不意に、沙織里が口を開いた。話しかけてくるとは思っていなかった僕は「えっ」と言いながら、顔を上げる。視線を火の玉から沙織里に変えるが、沙織里の視線は火の玉に集中している。
「わかった、僕の火の玉を早く落とす作戦だね」
「そんなことないよ笑」
「動くと落ちちゃうから。けど、四◯◯年近くの歴史って江戸時代からあるの?」
「そうみたい。なんで、線香花火って締めにやるんだろうね」
「なんでだろうね。夏の終わりに似てるから?」
「どういう意味?」
「夏って季節の変わり目でしょ。線香花火って、夏の楽しい出来事が名残惜しそうに落ちて消えていく。僕は、そんな感じに見えるんだ」
「なるほど。夏の終わりか……」
「どうしたの?」
「沙織里さんは、なんで線香花火が締めにやると思う?」
「ん〜。わからないけど、線香花火って悲しい気持ちになる」
「……。どうして?」
沙織里は、黙ったままパチパチと火花が弾ける火の玉を見つめる。口を開けずに、閉めたままだった。線香花火に、集中したくなっただけだろうか。僕は線香花火に視線を戻して、沙織里の返答を待ち続ける。
やがて、火の玉は大きな涙のような形になって、ぎりぎりの所でなんとかくっついている。今にも落ちそうに、ぷるぷると震える火の玉は、まだここにいるんだと必死にしがみついているように見えた。パチパチと弾けていた火花が完全になくなると、火の玉は小さくなり光が徐々に消えていく。
光が消えていくと、先ほどまで見えていた沙織里の顔が見えづらくなる。どことなく、切なさそうな顔だけが僕の目に映った。火の玉が先に落ちたのは、沙織里だった。数秒後、僕の火の玉も限界を迎え、吸い込まれるように砂浜へと落下した。迫りくるような、波の音だけが辺りに響く。波の音が響く中、沙織里の口が開いた。
「私の負けだね」
「僕の勝ちだね」
「線香花火ってさ、大切な時間との別れを意味していると思わない?」
「うん。まぁ、言っていることはわかるけど……」
「人生の終焉というか。私は、そんな風に見えるんだ」
「そこまで重く考えなくても」
「でも、なんだかんだ夏の終わりに似ているかな」
「夏の終わりか。夏休みが終われば、夏も残りわずかだね」
「蒼汰くん、夏の思い出をたくさん作ろうね」
「もちろん。『やりたいことリスト』もたくさん埋めていこう」
なんだか、沙織里は寂しそうな表情をしていた。沙織里の瞳を見ると、寂しさがひしひしと伝わる。また、その表情が僕の胸を締め付つけてくる。沙織里と過ごす夏が、終わりに向かっていることを意味しているような。夏の終わりは、もうすぐだ。夏が終わっても、こうして沙織里と過ごしていたい。僕は、夏が終わらなければいいのにと頭の中で考えた。




