第二十三話 成長
八月四日の月曜日、夏休み明けの登校日。僕は勇気を振り絞って、目が合った人に「おはよ」と一言だけ言ってみた。もちろん無視する人、驚いて呆然としてしている人、「お、おう」と挨拶を返してくれる人もいた。さまざまな反応があり、僕は驚いた。てっきり、全員に無視されると思っていた。
次の日も、目が合った人に挨拶をした。「おはよ」という僕の声に、無視する人、驚いて呆然としてしている人、「お、おう」と挨拶を返してくれる人、昨日と同じような反応だった。変化がないと思うが、僕の中では大きく変わっていることに気がついた。
自ら行動して、日常に変化が起きたのだから大きな前進だ。以前の僕だったら、ここで逃げ出していた。目の前の現実を見ないように、触れないように。それじゃ、駄目なんだ。少し前なら、早く大人になりたいと考えていたけど、いまは早く大人になりたいなんて思ってない。
今の状況を、曖昧なまま終わらせたくなかった。それに、ときが経てば沙織里の病態は悪化してしまう。このまま、ときが止まってほしいとすら思った。以前の僕では、考えられないだろう。この調子で、少しずつ今の状況を変えていければいい。
毎日、自ら行動することで僕にも大きな変化が起きた。次第に、空気だった存在の僕の扱いが変わりはじめたのだ。挨拶をすると、今まで「お、おう」だった人が「おはよう」に変わったり、休み時間に少しだけ話しをする人ができたり、苦手だった体育の授業にちゃんと参加することができたり。
沙織里の助言を受けてから行動すると、改めて実感する。僕は、現実から逃げていただけなんだと。誰だって、嫌なときや傷つきたくないときは逃げ出したくなる。動物の本能だろう。野生動物だって、身の危険を感じるとすぐに逃げる。
僕は、小動物に過ぎなかったのかもしれない。生きるということは、辛いことだ。生きていくということは、この先何度も辛いことが起こるということ。その度に、逃げていてはなにも変わることはない。以前の僕のように逃げるのではなく、前に進まないと行けないんだ。
これも全部、沙織里のおかげだ。沙織里と出会っていなければ、こんなことにはなっていない。僕を変えてくれたのは、沙織里なんだ。早く沙織里に会って、報告と感謝を伝えたい。授業が終わると、予想外のことも起きた。廊下で相馬とバッタリ会い、少し会話をすることになった。以前の僕なら、相馬の顔を見ただけ逃げていたが、今の僕は違う。今なら、ちゃんと話をすることができる。僕は、前に四組に来た理由を再び聞かれた。
「あのとき、俺を怒りに来たんだと思ってたんだ」
「別に怒ってないよ」
「中学の時……本当にごめん。俺、最低だよな。川沿に罪をなすりつけて、俺だけ逃げて。いま思うと、本当に情けなくて、ずっと後悔してたんだ」
「まぁ……あれは、ショックだったよ」
「川沿、本当にごめん……」
相馬は頭を下げて、僕に謝罪をした。頭を下げてから土下座までしようとしたため、僕は必死に相馬の体を抑えた。過ぎたことを、いつまでも怒っているわけじゃない。なにも言ってくれなかったのが、ショックなだけだったんだ。数年越しの謝罪ではあったが、僕はその謝罪を受け入れた。その後も廊下で、相馬と少しだけ話をした。
「俺に用がなかったってことは、あのときずっと城野さんを探してたのか?」
「そう。結局、いなかったんだけどね」
「俺も忘れてたけど、入学してすぐ学校に来れなくなったってクラスメイトから聞いたぞ」
「そうだったんだ。それだと、城野って名前だけじゃ皆の記憶にはないかもね」
「城野さんには、会えたのか?」
「無事に会えたよ。今日もこれから会いに行くんだ」
「そっかぁ。また、こうして話せて嬉しいよ。また、中学のときみたいに話してくれるか?」
「うん。また話そう。じゃ、僕はそろそろ行くよ」
相馬との会話を終え、僕は学校をあとにした。早く、沙織里に感謝を伝えたい。僕は部室には寄らず、一直線に病院へ向かう。受付を済ませ、沙織里の病室に向かった。
夏休み明けは、ほぼ毎日沙織里に会いに行った。最終の面会時間にギリギリ滑り込み、限られた時間の中で沙織里とたくさん話をする。学校で行動してみたこと、同じクラスの学生と話したこと、相馬と仲直りしたことなどを報告した。僕が話している最中、沙織里は終始笑顔で話を聞いてくれた。
「じゃ、今度友達を連れてきてくれる日があるのかな」
「相馬を連れてきたら、沙織里さんと会話できないじゃん。それに、クラスメイトの方は友達と呼べるかは微妙なところだし」
「でも、成長してるよ。やれば、出来るじゃん」
「全部、沙織里さんのおかげだよ。沙織里さんは、最近どう?」
「行動したのは蒼汰くんだよ。私は、いつもと変わらないかな。ずっと、この部屋にいるし笑」
「なにか欲しいものとかない? 可能なものなら買ってくるけど」
「うぅん、私は大丈夫だよ。なんか、こうして蒼汰くんの成長が見れて嬉しいよ。これで、安心して旅立つことができるかも」
「そんなこと言わないでよ。それに、僕の初めての友達は沙織里さんでしょ?」
「そうだね。たくさん話しを聞かせてくれてありがとう。ちなみに、もう少ししたらベンチに行けるかも」
「それは嬉しいけど、無理はしないでね」
「そろそろ外に出たいし、『やりたいことリスト』も埋めていかないと」
「じゃ沙織里さん、海に行かない?」
「いいけど。急に、どうしたの?」
「海に行くのも『やりたいことリスト』に入ってたでしょ」
「まぁ、そうだけど」
「けど無理はしないで、言ってみただけ」
「……わかった。じゃ、道案内よろしくね」
「本当に大丈夫なの?」
「行こうって言ったのは、蒼汰くんでしょ」
「まぁ、そうだけど」
「じゃ、決まりね」
僕たちは、海に行く約束をした。翌日以降も面会を重ね、沙織里と入念に打ち合わせをした。そして、ついに沙織里と海に行く日がやってきた。




