第二十話 友達
朝を迎えたら、世界が劇的に変化していることを期待していた。昨日のことがなかったかのように。でも、世界が劇的に変化していることはなかった。見覚えのある天井やカーテン、机には山積みの医学・医療の本。沙織里に、がんと告白されてから一日が経っていた。
昨日は、本当に多くの出来事があった。打ち上げ花火を見て、花火の凄さを知ったり。その流れで、沙織里の真実を知ったり。急降下がすごいジェットコースターに乗ったような日だった。帰宅してからは、医学・医療の本を読んだりして情報を得えてみたが、専門的なことは全くわからなかった。
基本的な知識を得たいま、僕は沙織里に対してなにができるだろうか。がんのことを調べてから、そのことだけが脳内をぐるぐると回っていた。部屋着のまま、お昼ご飯を食べてから自室に戻って宿題を行う。その後、服を着替えて陽が落ちはじめる頃に外に出た。沙織里と約束をしているわけじゃないが、いつも通りベンチに向かう。
昼間の照りつける日差しはなかったが、夕方でもすこし蒸し暑い。暖かい空気が、肌にまとわりつくような蒸し暑さだった。沙織里が早い時間も動けたら、近くの図書館で涼しい中で本を読んだり、小声で会話をしたりするのもいいだろう。でも、昼間に沙織里は動けず、図書室は一七時で閉館してしまう。結局、いつものベンチで会うことになる。
昨日のことがあって、僕と会うのが気まずくなってないだろうか。僕はベンチに着くと、いつものように本を開いて、読書をした。辺りは暗くなりはじめ、街路灯に明かりがつきはじめる。地面には僕の黒い影が現れ、明るい場所には虫たちが群がる。一時間ほど、本を読んでいると奥の方から足音が聞こえはじめる。
コツコツと、聞き覚えのあるヒールサンダルの音だった。この音は、沙織里だろうか。本を閉じて、薄暗い奥の方を見つめる。暗闇からスッと現れたのは、沙織里だった。ニコニコと笑顔で手を振りながら、こちらへ向かってくる。いつも通りの沙織里だ。僕も、思わず口角が上がった。小さく手を振り返すと、沙織里は小走りでベンチに近づいてくる。
「昨日は、ありがとね。すごく、良い思い出になったよ」
「こちらこそ。昨日、花火が夢に出てきたよ」
「えっ。それ、私も!」
「本当に? すごい、偶然だね」
僕たちは、偶然同じ夢を見ていたらしい。寝るまでの僕は、がんのことばかり考えていた。がんのことを考え過ぎて、がん細胞が夢に出てくるんじゃないかと思ったくらいだ。でも、夢の中で広がっていたのは沙織里と一緒に見た大きな打ち上げ花火だった。目の前で、色鮮やかな大きな打ち上げ花火が次々と上がってく。昨日の続きを見ているような夢だった。
「そろそろ、次の本を探さなきゃじゃない?」
「えっ? 新しい本?」
「そう。『野良犬トビーの愛すべき転生』そろそろ読み終わるんじゃない?」
「そうだね。もし、オススメがあれば教えてよ」
「なにがいいかな〜。じゃ、選んでおくね。あっ、本で思い出した」
「どうしたの?」
「一◯代で満たされなかった経験は、その後の人生に深く影響するらしいよ」
「え……。そうなの?」
「要するに、一◯代で満たされなかったことに対して、人間は一生固執するらしい」
「やっておけば良かったと後悔する感じ?」
「そう。だから、後悔しないためにやれることはやっておかなきゃだよ」
「……。そうだね、その通りだと思う」
「ちなみに、肉体は滅んでも心は残るっていうけど本当かな?」
「急にどうしたの。魂として、この世に残るって意味? 幽霊がいるなら、本当じゃないかな?」
「幽霊としては残りたくないなぁ」
「人は、死を迎えたらそうなるんじゃないの?」
「どうなんだろうね。あっ、輪廻転生って知ってる?」
「四字熟語の? 意味は、あんまり知らないけど」
「人は何度も生死を繰り返して、新しい生命に生まれ変わるんだって。けど、必ずしも人に生まれ変われるとは限らないの」
「あれと似ているかも。『野良犬トビーの愛すべき転生』の内容と」
「そうそう。ベイリーが何度も転生するでしょ? そんな感じだよ」
沙織里の話では、現世の行いによって、死後に次の生まれ変わり先が決定されるという。それに応じて、六道という六つある世界のいずれかに生まれ変わる。
人間道(喜びもあれば、苦しみや悲しみも存在する場所)
畜生道(動物界、弱肉強食の厳しい環境)
地獄道(言葉では言い表せないほど苦しい場所)
修羅道(阿修羅が住む世界で争いが絶えず起きる)
餓鬼道(飢えという苦しみを味わう場所)
天井道(楽しみはあるが、極楽浄土とは違い悲しみや迷いのある場所)
極楽浄土(苦しみや悲しみが一切なく、喜びだけが存在する場所)
亡くなってから四九日目までは、魂がたどり着く先が決まっていない。選ばれる場所は、極楽浄土または六道のうちのどこかであり、閻魔大王様によって決められている。僕は、初めて輪廻転生の話を聞いた。輪廻転生という言葉は知っていたが、詳しい意味までは知らなかった。
「人は何度も生死を繰り返して、新しい生命に生まれ変わる」僕が死を迎えたら、どの道に行けるのだろうか。日頃、良い行いをしていないかったら、違う道に行く可能性だってある。期待する反面、不安も大きい話でもあった。
「それと、月は魂の再生と大きく関わっているんだよ。ブッダは満月の夜に生まれて、満月の夜に悟りを開いて満月の夜に亡くなったんだって」
「へぇ。月って、再生を意味しているのかな」
「私たちの魂は、月へ送魂されてから新しい生命に生まれ変わるのかもね。ちなみに、蒼汰くんは生まれ変わるならどの道に行きたい?」
「生まれ変わりか……。やっぱり、人間道じゃない?」
「人間道か、てっきり極楽浄土とか言うと思ってた笑」
「まぁ、人間道以外なら極楽浄土じゃないかな。沙織里さんもそうでしょ?」
「もちろん、人間道。生まれ変わって、ベイリーのように飼い主を探すんだ。でも、畜生道に行って飼い主に可愛がれてみたさもあるかなぁ」
「必ずしもそうなるとは限らないでしょ? もしかしたら、野良猫になるかもだし」
「野良猫かぁ。意外と楽しいかもよ?」
「そうかな……。まぁ、いい人に出会えば可愛がってもらえたりするのかな」
「沙織里さんは、人間道に行くべきだよ」
「私が生まれ変わっても、またこうして会ってくれる?」
「なんで、死ぬ前提で話すのさ。沙織里さん今のままでいてもらわないと」
「冗談だよ笑 ありがとね」
その後は、前日の病気の告白がなかったかのように普通の会話を続けた。死ぬことに関わるような話や病気のことは会話に出さず、別の話をする。病気の話をしても、沙織里の気分は良くならないだろう。僕だって、そうだ。良い気分にはならない。だから、なるべく他の話題で話をした。
翌日も、沙織里とベンチで会って話をした。次の日も、また次の日も。夏休み中は、ほぼ毎日ベンチで会った。いつも通り、夕方以降にベンチで合流してから話をしたり、沙織里が食べたかったものを買ってきて一緒に食べたりした。『やりたいことリスト』に書かれていたことを少しずつ埋めていく。ときには釣り竿を持ってきて、目の前の川で釣りを楽しんだりもした。なにも釣ることはできなかったが、沙織里は楽しんでいた。
「蒼汰くんは、成長しているよ」
「えっ? 僕が?」
「だって、前の自分と比べてみて? こんなに人と話しているのを想像していた?」
「確かに、そう言われれば……そうかも」
「学校での友達じゃないかもしれないけど、城野沙織里っていう友達もできたでしょ?」
「……。そうだね」
薄々、感じていた。とっくに、友達ができていたことを。確かに学校内での友達ではないかもしれないが、沙織里は正真正銘の友達だ。お互い心を許し合い、信頼し合える対等な関係、二人で話したり遊んだりする関係。それが、友達なのだろう。
いまでは、お互いに隠し事なしで話ができるし、信頼し合っていると僕は思っている。その点を踏まえると、沙織里とは友達関係に値する。それなのに、どうしても友達という言葉が引っかかる。友達が嫌なわけじゃない。むしろ、出会った当初から気になっていた沙織里と友達になれて嬉しいくらいだ。
けれど、僕の心に小さな針が引っかかったようなもどかしさがある。この引っかかりが取れない以上、いつまでもすっきりしないものが残るように思えた。会話をしていると、あっという間に時間が過ぎていく。帰る時間になると、沙織里はベンチから立ち上がり「じゃ、また明日ね」と言いながら僕に手を振る。「じゃ、また明日ね」という言葉を聞いてから、翌日以降沙織里と会えない日が続いた。




