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第十六話 城野沙織里

私が、初めて小児がんと診断されたのは一◯才の頃だった。その頃の私は、なんのことだがさっぱりわからなかった。急に入院することになって、自宅で過ごすことは少なくなった。最初の頃は母と一緒に泊まり、なんだがホテルに泊まっているような感覚だった。でも、私にはいつも点滴が付いていて病院にいるんだと気付かされる。ときには、注射を打ったり、よくわからない薬を飲んだりもした。大人になってから、それが抗がん剤だったことに気がついた。


抗がん剤治療は、本当にきつかった。がんで死ぬよりも、先に抗がん剤のせいで死ぬんじゃないかと思うくらいだった。痛み、吐き気、嘔吐、食欲不振、不眠などが続き、苦痛の毎日だった。次にがんになったとしても、抗がん剤治療はしたくないと思ったほどだ。なんなら、ゆっくりと衰弱して死んだほうが楽だろうなと頭によぎったくらいだ。


抗がん剤投与を受けると、七日目くらいから白血球数が減少する。そのため、この期間は免疫力が低下して、発熱や感染症に気を付けなければいけなかった。なるべく病室から出ないようにしていたため、缶詰状態だった。病室の中で、ひたすら時間が過ぎるのを待つだけの生活を繰り返した。


小児がんは、一般的に一五才未満にみられるがんのこと。小児がんの主なものは、白血病、胚細胞腫瘍(精巣・卵巣など)、脳腫瘍、リンパ腫、骨腫瘍などがある。また、これらは「希少がん」に分類され、大人のがんとは異なり、生活習慣での発生原因は考えにくい。


最初は頭痛や吐き気、手足の痺れなどの症状だけだったから、両親はただの風邪だと思っていたらしい。私も、すこし長引いている風邪という感覚だった。頭痛や吐き気などの風邪の症状だったため、薬局の薬だけで対応していた。


一週間後、治ったと思ったらまた発熱が起きた。発熱と解熱を何度も繰り返し、母親と病院に行く。原因がはっきりせず発熱が続くことを不明熱と呼ぶらしい。病院で不明熱を調べていくと、小児がんが原因だということがわかった。


幸い早期発見だったため、治療の末に完治したが四年後の一四歳のときに再発してしまう。私の場合は、再発してからの進行が早く他の場所にも大きく転移していた。がんが、散らばっていたらしい。医者の話では、再発時の治療は初発時よりも身体的、精神的なダメージが大きいとのこと。副作用の特徴から予測不可能性が高くなり、精神的にも不安定になりがちだった。


でも、先生たちの緩和ケアのおかげもあって、気持ち的には楽になったことも多かった。嫌なことばかりで落ち込んでいる私に、先生たちは身体的、精神的な苦痛をやわらげるためのケアを一生懸命してくれた。

初夏らしく、澄みわたる青い空の日だった。その日は、定期検診だった。検診を終えて、病室で両親と話していると、コンコンとノックの音が聞こえた。


主治医と看護師が、並んで病室に入ってくる。二人とも、穏やかな顔ではなかった。深刻そうな顔だったから、良くない結果だったということが伝わってくる。主治医は、躊躇することなく「もって、あと二年」と小声で言った。なにを言っているのか、わからなかった。


その後、しっかりと話しを聞くと、両脇に離れていた私の両手は自然と合わさっていた。先ほどまで、温かかった指先が徐々に冷えていくのがわかる。両親は、どう答えていいかわからなさそうにしていた。私も懸命に言葉を探したけど、出てこない。頭の中で探した末に出てきたのは「しょうがないよ」だった。


目の前で、母は泣いていた。両手で顔を覆い、崩れるように泣いている。父は母を支え、背中をさすっていた。私は、そんな両親の背中を見てられなかった。現実から逃れるように、視線を窓の向こうの澄みわたる青い空へと移した。


視界に映るのは澄んだ青空、聞こえてくるのは両親の泣き声と主治医の声。映像と音が合っていなく、綺麗な青空を見ているのに悲しい気分だった。主治医の話では、若いから進行が早いとのこと。抗がん剤治療でがんの進行を遅らせても、若い身体がそれを追い越していく。


治療後、がん細胞が弱まってると思いがちだが、活動し出すとあっという間に広がってしまう。下手したら、もうどうにもならない状態になることもある。私の身体の状態は、それに近いのだろう。医師によっては、ステージ四の患者さんに対してがんを治すというより、いかに体調が良い状態で日常生活が出来るかを考えて治療すると言っていた。


それ以降の話は、全く耳に入ってこなかった。母の泣き声で聞こえにくいところもあったが、主治医の話に聞く耳を持たなかった。本当は、私だって声を出して泣きたかった。主治医から「もって、あと二年」と言われたときは頭の中が真っ白になって、なにを言っているのかわからない状態だった。


でも主治医と両親が病室を後にして夜を迎えると、私は死ぬんだと実感する。その日の夜は、ひたすら泣いた。身体の水分を出し切ったと思うくらい一晩中泣いた。しばらく精神的に安定していたが、死期が近いとわかってからは精神的に不安定になる日が多くなった。


まるで、先が見えない闇の中を彷徨うような感覚だった。歩いても、歩いても光が見えない。このまま、死を待つだけなのだろうか。この町はときの流れがゆったりだが、私の体の中はときの流れは凄まじく早い。凄まじいスピードで体を壊されていくのを感じる。


段々と、体が悪くなっているの痛いほど実感してしまう。このまま動けなくなって、ベッドの上で寝たまま死んでしまうのだろうか。そんな、死を待つだけの人生が怖かった。一人でご飯を食べて、じっと部屋で過ごす。またご飯を食べて、本を読んだら眠って一日を終える。


会話をするのは、看護師か面会に来る両親だけ。あぁ、学校に行きたい。同じ年の人とたくさん話したい。友達とおしゃれして出かけたい。どこかで美味しいものを食べたい。病院食は、美味しくない。プラスチックのプレートに、味の薄い魚やお肉、味噌汁、お浸しなどが提供される。


毎日、毎日ほとんど味がない食事ばかり。味がない食べ物を口にして、無理やり飲み込む。ただ、火を通しただけの味に飽きた。フルーツだけが多少の救いだったが、たまには塩味や他の甘味が欲しい。食事を終えてからの夜は、ひどく長く感じた。数時間後に、来るはずの朝がすごく遠い。早く眠りたいのに、眠れない。


他の学生たちと違って、一日動き回ってるわけじゃないから疲れがない。また、食事は厳密に管理されているため、満腹感もない。満腹感があれば、眠くなるのに思うが、それ以上に不安が原因なのだと。個室は二人や四人部屋と違い、誰の声も聞こえない。誰かの会話や寝息も聞こえない静かな夜を過ごす。ここまで退屈だと、個室じゃないほうが楽しめたんじゃないかと思ってしまう。


入院当初は、一日中スマホを見たりして過ごしたが、しばらくするとスマホを触らなくなった。スマホを見ても、いいことはない。SNSでは、楽しく過ごす同級生の写真に嫉妬。ネガティブな気持ちになってしまう両親のLINE。ヤフーの検索履歴は、病気のことばかり。いろいろ嫌になり、スマホを見ることをやめた。


両親に会うと、「連絡くらい返しなさい」と言われるが「ここで話せるから、いいじゃん」と誤魔化す。でもスマホがないと、することは限られている。窓の外を眺める、院内の老人とお話をする、図書室や病室でひたすら本を読む。同じことを毎日繰り返して、月日が進む。本を読んでいると、無駄に知識が増えるが話す相手はいない。すごく、すごく暇な毎日だった。


夜になると、じんわりと体が痛くなるときもあった。生理のときの、お腹がぎゅうってなる痛みとは違う。どこが痛みの原因なのかわからない痛みで、とにかく体中が痛くなる。次第に、全身を針で刺されているような感覚に襲われた。寝ている最中も、同じことがあった。夜中に、痛みで目が覚める。痛みに怯んで、どうしても目を開くことができない。闇の中で、ただ悶えるしかなかった。


なんで、死というのは痛みや苦しみがセットなのだろうか。これは、死ぬ間際まで続くのだろうか。せめて、死ぬときくらい安らかに眠りたいなぁ。実際、死ぬ瞬間というのはどんな感じなのだろうか。死の瞬間は、痛みから開放されて眠るようなものなのだろうか。また、死の瞬間は幸福感に満たされるのだろうか。痛みが治る頃には、額から汗が溢れている。額から頬にかけて汗が流れ、白いシーツに落ちる。再び眠る頃には、白いシーツに汗が滲んでいた。


朝起きると、すべてが夢であって欲しかった。昔のように、起きたら私の好きなもので囲まれた部屋であって欲しかった。 けれど、目の前に見えるのは真っ白な壁と真っ白なシーツやカーテン。そして、なにも置かれていない部屋。夢ではなく、ちゃんとした現実だった。


朝起きてからは、ぼんやりカーテンの隙間から透き通るような青みを帯びた空を眺める。病室から見える景色は、いつも同じ。病室ですることが無くなったら、エレベーターに乗って院内を散策する。最初の頃は、いろんな場所を見たりして時間を潰したり、院内の図書室で本を読んだりした。一時期は、毎日図書室に行って本を読んだ。文芸書、実用書、コミック、病院ならではなのか医学専門書などもあった。


小説を読み終わると、休憩を兼ねて医学専門書を読んだりもした。私の病気を、ちゃんと知りたかった。どういう、原理でこうなったのか。なんで、再発したのか。どうやったら、治るのか。医者や両親は、私には詳しいことを話してくれない。私に、気を使っているのだろうか。それなら、余計なお世話だ。聞いても教えてくれないなら、私が学ぶしかない。


毎日、医学専門書を読んでいると、少しずつ知識が頭の中に入ってくる。がんという病気のこと。がんになると、身体がどうなるのか。私は、どんな状態なのかなどがわかってくる。医学専門書を読み終わり本を棚に戻す際に、図書室で興味深い本を見つけたこともあった。


シェリー・ケイガンの『「死」とは何か』というタイトルの本。その中でも、ある言葉に興味を抱いた。「私たちがあまりに早く死んでしまう可能性が高いことはたしかに悲しみうるが、私たちがこれまで生きてきたのはまさに信じられないほど幸運であることに気づけば、その悲しみの感情は相殺されてしかるべきかもしれない」


死を意識して、今を生きることを楽しむしかないという意味だろうか。けれど今を生きることを楽しむにしても、病院にいては気分は優れない。今にも倒れそうなお爺さんやお婆さん、大怪我をした成人男性、いつも体調が悪そうな少年、仕事で疲れてやつれた医者や看護師など、周りに元気そうな人がいない。院内の図書室で本を読んで気を紛らしてみたり、中庭を散策したりしてみたけどつまらない。こんな場所にいても、全く面白くない。


毎日、同じ繰り返しに生きる価値があるのかと考えてしまう。安定している退屈さほど、つまらないものはない。ちょっとした変化を意識すれば、現状が変わると思って行動を変えたこともある。行動を変えると行っても、いつもとは違うルートで図書室やレストランに行ったり、普段ならやらないボードゲームをしてみたり。いつもと違うことをしても、やっぱり駄目だった。心に空いた穴を、埋めることはできない。


窓から見える同じ景色、真っ白に塗られた壁や天井、真っ白なカーテンやシーツも嫌になる。好きな色に塗りつぶして、カラフルにしたい。そっちの方が、心が穏やかになれる気がする。変わり映えのないフロア、元気のない老人や子供たちを見るのも嫌になる。毎日「はぁ…」と魂が抜けていきそうなほどの深い溜息が出てしまう。このまま、毎日溜息をしていたら私の心はなくなり、無の状態になってしまうだろう。


こんな日常に、慣れてしまうのも嫌だ。慣れないように、毎日溜息をして誤魔化す。溜息が出ない頃には、私は死を迎えているかもしれない。代わり映えしない日常を繰り返して、気がつくと四日、そして一週間が経つ。やっぱり、ずっと病院内にいると憂鬱になってしまう。


ある日の夕方、両親の面会を終えて病院内を散策していた。たまたま、窓の外を眺めていると川沿いにあるガーデンベンチを発見した。夕方になると、沈みかける太陽の光で赤く染められ、夜になると街路灯の白い光に照らされる。なんともない光景だが、私の心はぐっと掴まれた。


しばらくベンチを眺めていると、一人の少年がベンチに近づいてきた。

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