第十二話 打ち上げ花火
一九時に差し掛かった頃、ベンチのある通りの奥の方からコツコツとヒールの音が近づいてきているのがわかった。真っ暗な奥の方からヒールサンダルが見えてくると、段々と淡いピンク色のワンピースが見えてきた。小走りで、ベンチの方に向かってくるのは城野だった。急いで来たせいか、ベンチに着く頃には「はぁはぁ……」と息を切らせながら頭を下げて膝に手をつけていた。城野は呼吸を整えてから顔を上げ、疲れが滲んだ表情を浮かべていた。
浴衣姿ではなかったが、桜のような淡いピンク色のワンピースがとても似合っていた。歩くたびに揺れる淡いピンク色のワンピースは、満開の桜が目の前を歩いているようだった。暗い夜の下に浮かぶ、小さな満開の桜そのものだ。私服で来るだろうと予想はしていたが、商業施設で見た浴衣を着た女性のせいで脳内の片隅には「浴衣」という言葉が張り付いたままだった。少しだけ、浴衣姿を期待した自分がいたのだろう。
「はぁはぁ……。本当にごめん」
「大丈夫?」
「ごめん、待たせちゃったよね。急いで来たけど、間に合わなかった」
「全然、平気だよ。少し休む……?」
僕は、疲れ切った城野をベンチに誘導した。城野はベンチにもたれかかると、ふぅと一息つく。一息ついた城野は僕と目が合うと、急に大きな声を出した。
「あぁ! 髪型、似合ってるよ!」
「ありがとう。結構、バッサリいった気はする」
「うんうん。表情がちゃんと見えてるし、素敵だよ」
「ありがとう……」
「学校が始まったら、みんな驚くんじゃない?」
「どうだろう。誰って思われそうだけど……」
「そんなことないよ。自信持って。あっ、それより早く向かわなきゃだよね」
「そうだね。けど、二〜三分休んでから行こうか」
「ちなみに、浴衣を期待してた?」
「そんなことないよ。浴衣は派手だから、ここに来るまで大変かなと思ってたから」
「ちょっとは期待してたでしょ?」
「いや、まぁ……」
「もしかして、それって!!」城野は、再び声を張り上げた。目を輝かせながら、横に置いてあるビニール袋を見つめる。僕は、ビニール袋からフライドチキンが入った箱を取り出した。城野は箱を見た瞬間、クリスマスプレゼントを渡された無邪気な子どものような笑顔になっていた。待ってましたと言わんばかりの笑顔が、渡す側の幸福感を湧き起こす。
「これって……。本当に買ってきてくれたの!?」
「約束したから。大量にってわけじゃないけど」
「ありがとう。あっ、でもそろそろ向かわないとだよね」
「そうだね。じゃ、歩きながら食べようか」
「そうしよう。いくらだった? お金は返すから」
「大丈夫だよ。とりあえず、行こうか」
箱の蓋を開けた瞬間、香ばしい匂いが漂う。食欲を掻き立てる見た目と香りに思わず「美味しそう……」と二人の声が揃った。城野は、喉をごくりと鳴らす。つられて、僕も唾を飲み込んだ。城野は、大切なにかを慎重に持つように、フライドチキンを受け取る。
少し行儀悪いかもしれないが、フライドチキンを片手に花火大会の会場に向かった。久しぶりのフライドチキンだったのか、サクッと一口食べた瞬間に城野の動きが止まる。数秒後、フライドチキンを飲み込み「ん〜」と言いながら、僕の顔を凝視する。久しぶりに食べたから、体が拒否反応を起こしたのだろうか。僕は、心配になり恐る恐る城野に声をかけた。
「少し、冷めちゃったよね……。美味しくなかった?」
「すっごく美味しいよ!」
「それなら、良かった……。てっきり、不味かったのかと」
「私の願いが一つ叶ったよ。ありがとう」
「大げさだよ。メインは、これからだし」
「そうだね。 早く行こっか」
歩きながら横目で様子を伺うと、城野はなんの変哲もないフライドチキンを夢中で味わっている。食べている様子を見ていると、ジャンキーな食べ物が久々だったのがすごくわかる。
「ラスト一つあるけど、いる?」
「私が食べちゃっていいの?」
「こんな機会じゃないと食べれないでしょ」
「じゃ、遠慮なく」
僕たちはフライドチキンやポテトを食べ終わると、少し早歩きをして花火大会の会場に向かった。会場に近づくにつれて、同じ目的地であろう人たちが徐々に増えていく。私服の人も多いが、浴衣を着ている人もちらほら見かける。国外でも人気があるのか、外国の人たちも何人か見かけた。会場入口周辺は、前にも後ろにも身動きできないほどの群集だった。身動きができないほどの人だかりだったが、会場内の観覧エリアは余裕をもって作られている印象だった。
窮屈感がなく、大渋滞で歩けないわけじゃない。とても、整然としている。けれど、僕たちは会場内に入ることはできない。人混みをかき分け、薄暗暗い堤防を歩いた。河川敷は、たくさんの人で埋め尽くされている。多くの人が会場付近で流れるアナウンスを聞きながら、花火が打ち上がるのを座って待っていた。アナウンスを聞きながら、しばらく歩くと目印の大きな橋が見えてきた。
「川沿くん、会場から離れていくけどどこにいくの?」横を歩く城野が、僕に聞いてきた。横を見ると、城野は不安そうな面持ちだった。
「実は、この先に花火が見える場所があるんだ。もう少しだから、ついてきて」
城野は、か細い声で「わかった」と呟く。大きな橋を越え、三つ目の路地まで歩く。三つ目の路地に入り、歩いている最中に大きな爆音が鳴った。驚いた僕たちは、お互いの顔を確認する。すると、二度目の爆音が鳴った。空に飛び上がる、口笛じみた音と破裂する短い音。
思わず後ろを振り返ると、大きな花火が夜空一面に咲いていた。どうやら、一つ目の花火が上がったようだ。空襲で亡くなられた方々への慰霊の想いと、平和での祈りを込めた白一色の白菊だった。一瞬の白い花を開いて、夜空の中に消えていく。続けて、白一色の白菊が二発、三発と連続で打ち上がった。
「綺麗だね……」
「そうだね。あっ、もう少しで着くから」
僕たちは、ようやく花火が見える穴場スポットに着いた。城野は、「ここで合ってるの?」とぽかんとした顔で目をパチパチしながら僕に問う。疑問という言葉が頭にまとわりついて離れないような様子だった。確かに、昨日の僕も同じようなリアクションだった。本当に、ここで合っているのか?と疑問に思ったのは間違いない。ベンチに付いたほこりをはらってから、ゆっくりと腰かけた。
白一色の白菊の打ち上げが終わると、辺りにクラシックな音楽が響き渡る。その後「皆様、お待たせしました。打ち上げ、開始でございます!」女性のアナウンスと共に七つの長細い光の線が夜空に上がる。口笛じみた音が止まると、尺玉が破裂して赤、緑、青と色を変化しながら夜空に色を付け足していった。
大迫力の「ナイアガラ超大型スターマイン」は、壮大な光景だった。光の点が広がっていく牡丹と呼ばれる花火を中心に短時間でカラフルな花火が同時に打ち上げられ、豊かな彩色が夜空を彩る。花火が見れなかったらどうしようと考えていたが、問題なく見れてほっとした。
また昔の記憶が、少しづつ蘇っていくのを感じる。色鮮やかな光が空に広がり、消えていくあの一瞬が良い。消えた後の、しんとした静けさも良さがある。上空に上がった星が尾を引きながら、放射状に飛び散る姿が菊の花に見える菊花火や柳の枝が垂れ下がるように光が落ちてく柳花火、金色の光が長く尾を引いて下に垂れ下がり、ゆっくりと消えていく。また、無数の菊の花が咲いているように見える千輪菊など、夜空を埋め尽くす色鮮やかな花火が次々と打ち上がる。
僕は、あまりの美しさで思わず目を見張った。気がつくと、両目を見開いたまま瞬きすら忘れている。その後も、「スターマイン」は続いた。続いて「ベスビアス超大型スターマイン」が始まり、次々に大きな花火が打ち上げられる。大きな音と共に、色鮮やかな花火が空を乱舞する。ベスビアス火山の噴火に見立てて名付けられた花火であり、大小四◯◯~五◯◯発もの花火が約二分間速射連発した。
夜空を覆い尽くすように、巨大な菊や牡丹の花火が炸裂する。一瞬で視野いっぱいにまで広がっていき、手を伸ばせば届きそうなほどの近さだった。その後も、次々と絶えることなく花火が打ち上がる。城野は、どんな感情を抱いているのだろう。花火を楽しんでくれているだろうか。次々に打ち上がる花火を見ながら、そのことだけを考えていた。
横に目をやると、城野は瞳を大きく開けて夜空を見つめていた。夜空一面に色鮮やかな花火が広がるたびに、城野の頬は赤色、緑色、青色などに変化していく。その瞬間だけは、花火以上に綺麗な光景を見た気がした。ずっと横を見ているわけにもいかないので、すぐさま夜空に視線を戻す。スターマインが終わると、少し待機する時間ができた。僕は近くの自動販売機でお茶を二つ購入し、城野に一つ渡す。僕がお茶を飲もうとすると、「幸せを運ぶブルーフェニックスって知ってる?」と城野が聞いてきた。僕はお茶を飲むのを止めて、城野の問いに答える。
「いや、知らない。それは、珍しい花火なの?」
「黄金のフェニックスが打ち上がる中、青いフェニックスが出てくるかもしれないんだって。何度も長岡花火を観覧してきた人ですら、発見できない珍しい花火らしいよ」
「知らなかった。じゃ、見れる年と見れない年があるってこと?」
「そう。もし、見つけられたら幸せになれるんだって。けど、いつ飛ぶか、何羽飛ぶかはわからない」
「幸せになれるか……。一瞬の隙も、見逃せないね」
「一緒に探してみようよ。ほら、花火が再開するよ」
一発目の花火が打ち上げられてから一時間後、有名アーティストの曲と共に「復興祈願花火フェニックス」が始まった。巨大な夜空に広がる花火、視界いっぱいに広がるフェニックス。大空に羽ばたくフェニックスを模した花火も絶景だった。打ち上げ幅が約二キロメートルにもおよぶため、視界に収まりきらないほどの大玉花火。
基本的に、長岡花火で使用される尺玉は一◯号玉で直径が約三◯センチメートル。一般的な花火大会の標準は、二.五号玉で直径が約七.五センチメートル。または、五号玉で直径が約一五センチメートル。尺玉の大きさからわかるように、『長岡まつり大花火大会』で打ち上がる花火の大きさは別格だ。お互い、言葉を発することなく夜空を彩るフェニックスを眺める。
復興祈願花火フェニックスの三◯分後、正三尺玉が始まろうとしていた。正三尺玉の打ち上げ前には、空襲警報が鳴る。恐怖を感じさせる音に、独特の緊張感が走った。長岡空襲での悲劇を忘れないため、空襲で亡くなった方々のための鎮魂の祈りを意味しているらしい。空襲警報が鳴る止むと、光の線が夜空に上がった。上空で破裂すると同時に金の花が咲く。開花幅が約六五◯メートルに達する大輪花。金色の冠が垂れ下がるように、夜空を覆った。
その後も、「ベスビアス大スターマイン」や「スペシャルスターマイン」が続き、最後に約一秒間隔で一◯号玉の大きな花火が連続で打ち上がる「米百俵花火・尺玉一◯◯連発」が夜空を彩った。改めて、夜空を彩る花火はとても美しいものだと実感した。心の片隅から揺り動かされるような感動を感じる。また夜空一面に花火が広がるたびに、横から鼻をすする音も聞こえた。城野も胸に、ぐっと来るものがあったのだろう。城野の目元からこぼれ出た、一滴の涙が頬を伝う。花火が打ち上がる度に、頬と同様に涙の色も赤色、緑色、青色などに変化していた。
最後の花火が終わると、城野は涙を頬にへばりつかせたまま、満面の笑みを見せた。城野の笑顔を見たら、僕も自然と笑っていた。夜空には、花火の火薬が燃焼した後に残る煙だけがゆらゆらと宙に舞っている。花火が終わった後に残る煙は、風によってゆっくりと流されていく。煙が姿を消すと、いつも通りの夜空が戻ってきた。あれだけ賑やかだった打ち上げ花火が終わると、異様な寂しさを感じる。その後『長岡まつり大花火大会』恒例のエンディング、光のメッセージがはじまった。「また、来年の長岡花火で会いましょう!」というアナウンスで『長岡まつり大花火大会』の幕が閉じた。約二時間ほどの大規模な花火大会だったが、あっという間の二時間だった。楽しい時間というのは、あっという間に過ぎる。
一生、忘れることのない経験になったと思う。今まで生きてきた中で、一番心を動かされた瞬間でもあった。城野の『やりたいことリスト』の中の一つであったが、ここに来れて本当に良かったと思う。人生における貴重な体験ができたことが、なによりも嬉しかった。花火が終わると、住宅地に囲まれたこの場は一気に静まり返った。まるで、夢の世界から現実に戻されたような感覚だ。あれだけ大きかった爆音がなくなると、草むら付近からは虫の音がしっかりと聞こえてくる。
リリリリリ、リーンリーンと複数の音を組み合わせて音色を奏でていた。耳を傾けると、心穏やかになれるような澄んだ音色だった。次の主役は、我々だと知らせてきているようにも感じた。虫の音が響く中、城野は頬にへばりついた涙を拭う。一呼吸してから、横にいる僕を見て感謝を伝えた。
「今日は、本当にありがとう。もう、全部がすごかった! こんな体験ができて幸せだよ」
「楽しんでもらえたなら良かった」
「打ち上げ花火の動画は見たことあったんだけど、やっぱり生で見るのは全く違うね。あと、ブルーフェニックスは見つけれた?」
「いや、全く……。城野さんは見つけた?」
「見つけられなかった……。幸せになれないのかも」
「極端だね。見つけられたらの話だから、幸せになれないわけじゃないよ」
「そうかもだけどさ、見たかったなぁ」
その後も、ベンチで城野と話し続けた。花火大会終了後は、非常に混雑する。有料席にいる人たちで二◯万人、有料席以外の場所で見ている人たちも数万人いるため、その人たちが一斉に移動するとなると会場周辺や駅までの道は多くの人たちで埋め尽くされてしまう。電車で来た人は電車が乗れず、車で来た人は車が全く動かないほどの大渋滞に巻き込まれる。通常七分ほどで行けるルートが、三時間以上かかる場合があるほどだ。僕たちは、花火大会終了後の混雑を避けるために、しばらくその場を動かず話をした。




