第十話 約束
その後も、城野と話をした。城野は、ベンチの近くにある総合病院に入院していた。一九三五年に設立され、今年で設立九◯周年になる病院だ。大きな病院なだけに地域がん診療連携拠点病院として各診療科が連携しており、手術や化学療法などの専門的ながん治療を提供しているらしい。診療科は各フロアで分かれており、一階にはコンビニや花屋、レストランなどがある。二階には、図書室や理容室などもある。必要最低限のものを確保できたりと、病院とは思えないほど充実している。
実は、近くに総合病院があることは知っていた。ベンチに座り、二時の方向を見ると大きな総合病院が見える。茶色の外観に、真ん中だけが開放感のあるガラス張りになっている特徴的な病院。内観は見たことないが城野の話を聞くと、とても綺麗で広々しているみたいだ。
トイレやお風呂も綺麗で、食事のバリエーションも多いという。途中で、リフォームでもしたのだろうか。話だけ聞くと、近代的な病院が頭の中に浮かぶ。病院には縁のない人生だったため、想像していた病院とはかけ離れていた。病院というと、劣化した外観、設備の古さ、黄ばんだ白い内壁、消毒臭い空間のイメージがあった。また複数人で狭い部屋を共有して、一緒に過ごす。ご飯は不味く、トイレやお風呂は汚いイメージだった。そんな話をすると、「いつの時代の話をしているの笑」って笑われた。どうやら、僕は昔の病院のイメージを現代まで引きずっていたらしい。
最初は、狭い部屋で四人生活をしていたらしい。皆、城野と近い年齢の女子で最初は修学旅行みたいで楽しかったとのこと。でも、次第にストレスが多くなり、城野の強い希望で途中から個室に移動が決まったという。毎日、親族以外の人たちと一緒に過ごすことは想像できないが、とても大変なことなのだろう。もし、僕が同じ状況なら城野と同じ選択をしていたに違いない。大きなストレスを抱え、個室にして欲しいと両親や看護師に相談していたと思う。病院での生活を聞いていると、城野は悲しげな吐息を漏らした。
「はぁ、そこなのよ。暇だし、毎日同じことの繰り返しで変化がないの。それに食事は、全部薄い味付けなだし……」
「病院って、そういうものじゃないの……」
「そうだけど、想像してみてよ。毎日、薄い味付けの料理だよ。ケンタッキーやショートケーキとか食べたいなぁ」
「随分とピンポイントだね。ずっと、食べてないの?」
「一年以上、食べてないかな。両親や看護師がうるさいから」
「まぁ、身体に良くはないからね。添加物だらけだし、食べないほうが身体には良いよ」
「そうだけど、塩分や糖分を口に入れたくなるんだよ。川沿くんは、たまに食べるでしょ?」
「甘いものは、ほとんど食べないけど、揚げものとかは食べるね」
「そう思うのは、食べてるからだよ。私は、食べてないんだよ!?」
「それは、ごめん。こっそり病院のコンビニで食べないの?」
「ひどいのよ! 病院のコンビニは、ホットスナックやデザートがないの!」
「なるほど……」
「これ見て、私の願望ノートにはケンタッキーが食べたいって書いてあるくらいよ」
「じゃ、花火大会の日に買ってきてあげるよ」
「本当に!? 楽しみが、もうひとつ増えちゃった。ちなみに、会場に行けば座って見れたりするの?」
「えっと……。たぶん」
僕は、ポケットからスマホを取り出し、花火大会について調べた。調べている途中で、とても重大なことに気がついた。僕は『長岡まつり大花火大会』の会場に行って、いい場所を確保すれば花火を見れるものだと勘違いしていた。でも会場に無料席はなく、観覧会場はすべて有料席になる。チケットがなければ、会場内に入場すらできない。会場は二つに分かれており、打ち上げ会場である信濃川の左岸がB会場、右岸がA会場となっている。どちらも大迫力で花火を見ることができるが、すでにチケットは売り切れ。
会場周辺の河川敷や公園などの敷地外から、花火を見ることができる可能性はある。でも場所によっては見えづらく、チケットを買えなかった人たちが集まるため、密集しながら花火を見続けなければいけなくなってしまう。八月の夜は、七月と違い蒸し暑くなるだろう。身動きが、できなくなるほどの人混みの中で花火を見るのは避けたい。人が少なく、しっかり花火が見える場所を確保しなければならない。僕が約束をしたのだから、責任持って花火が見える場所を探す必要があった。
「花火見れなさそうなら、無理しなくていいよ?」
「いや、大丈夫。なんとかしてみるよ」
「そう……。そういえば、川沿くん髪伸びたね」
「確かに。全然、切ってないから」伸びた前髪を右手で摘む。あんまり気にしてなかったが、目にかかった前髪は鼻付近まで伸びていた。
「よし。髪を切ろう」
「なんで、急に」
「長い前髪のせいで、表情が見えづらいのも良くないよ。それに、髪を切るとその人の印象ががらっと変わるでしょ? 他人の対応が少し変化すると思うし、自分の性格も少し変化するらしいよ」
「へぇ。そんな効果があるんだ」
確かに、ほとんど目が見えないのは印象が悪いかもしれない。そう思うと、前髪が気になり始める。僕は再び前髪を掴み、指先でねじるようにいじった。
「絶対、効果あるよ。最近は行けてないけど、私が引っ越してきたばかりのときに行ってた美容室紹介してあげるね」
城野は僕のスマホ使って美容室を検索すると、慣れた手つきでメニューを決めてスケジュールのページまで進んでいく。僕の予定を聞き、八月一日の午後一三時で予約をしてくれた。花火大会の前日だ。どんな美容室を予約してくれたのか気になったが、スマホが返ってきたときにはページが閉ざされていた。(消しちゃったら、確認できないじゃん)と思ったが、カレンダーアプリに美容室の名前や予約時間、住所などを細かく記入してくれていた。「ありがとう」と伝えると、「どういたしまして」と柔らかい声で返ってくる。
「花火大会の日には、さっぱりした川沿くんが見れるね」
「そこまで期待しないでよ」
「私は、短髪でも良いと思うよ」
「短髪か……。全く、想像できないな」
「じゃ、美容師に任せる方法とかは?」
「変な感じにならない?」
「プロなんだから大丈夫でしょ笑」
「そうだね。事前にヘアカタログとか見て、参考にしようかな」
散髪当日、僕はカレンダーアプリに書かれた住所を確認しながら目的地に向かう。駅前のおしゃれな通りにあるような美容室ではなく、静かな住宅街にひっそりと佇む美容室だった。温かみのあるブラウン調のレンガをベースとした、アンティークな美容室兼住宅って感じだった。
てっきり、僕はキラキラした若いお客しかいないような派手な美容室を想像していので、少しホッとした。中に入ると、微音でクラシックが流れていた。聞こえるか、聞こえないかくらいの音が耳にギリギリ届く。他にお客はいなく、僕一人だけのようだった。店内は外観と違い、白を基調としたモダンでシンプルなデザイン。席数は四つと少なく、真っ白な椅子と鏡台が並ぶ。隅には、大きな葉が印象的な観葉植物が置いてあった。
数秒後、奥から僕の母と変わらないくらいの年齢の叔母さんが駆け寄ってくる。「お待たせしました。一三時に予約の川沿さんかな?」やわらかく、丁寧な口調で予約名の確認をする。「はい。川沿です」と僕が言うと、そのまま席に案内された。どうやら、僕を担当してくる美容師のようだ。髪を切ってもらうなんて、何年ぶりだろう。普段は自分で切って、切りづらい部分は両親にお願いしたりしていた。そのため、綺麗に髪が整っていることは少ない。
「どんな感じにしますか?」女性の美容師は、鏡越しで僕に問いかける。僕はヘアカタログで見た男性の髪型の写真を美容師に見せて、「こんな感じで、お願いします」と伝えた。慣れた手つきで、淡々と僕の髪を切る女性の美容師。シャキシャキと、銀色のはさみが髪を切る音がする。切れた髪の毛は、真っ白な床に落ちていく。しばらく切っていなかったので毛量が多く、床には鳥の巣ができそうなほどの髪の毛が僕の周辺を囲む。「学生さん?」「はい」「学生だと、今は夏休みね」「そうですね」などのたわいもない会話をしながら髪を切られていく。
三◯分後、丁寧にシャンプーをしてもらい、ドライヤーで濡れた髪を乾かしてもらう。家にあるドライヤーよりも風量が強く、濡れた髪はすぐに乾いた。最後に髪を整えてもらい、「お疲れ様でした」という一言で散髪が完了したのだと気づく。目の前にある鏡で、じっと自分の姿を確認する。城野の言った通りだった。自分でもわかるくらいに印象が、がらっと変わっている。前髪は眉あたりまで切り、目を見える状態になっていた。隠れていた耳も姿を現して、スッキリした印象に。
まるで、鏡に映る人物が自分じゃないような感覚だった。鏡越しに「サッパリしましたね。似合ってますよ」と優しい笑顔で言われた。お世辞かもしれないが、人に褒められるのはいつぶりだろう。子供みたいに無邪気に喜ぶことはできないが、髪の毛を切って良かったと思えた。散髪後の姿を見た城野は、どんな反応をするだろうか。僕はお礼を言ってから、美容室をあとにした。じりじりした暑さの中、次の目的地へと歩きだす。




