揺らぎ
無眠犬の言葉を受け止めた夜から、チャットの空気はどこか変わった。
相変わらず冗談や冷やかしは飛び交う。けれど、その合間に時折、ほんの少しだけ真剣な言葉が混じるようになっていた。
その夜も、いつものやりとりが続いていた。
だが、不意に誰かが口を挟んだ。
「……なあ、ナイト。」
「ん?」
「アイちゃんってさ、本当にお前が打ってるのか?」
直樹の手が止まった。
胸の奥で心臓が跳ねる。
「冗談のときは分かるんだよ。だけど……この前の“夢”の返事とか、“つらいときの答え”とかさ。あれ、妙にリアルすぎて。」
別の仲間が苦笑混じりに返す。
「いや、ナイトがそういう文章得意なんだろ。キャラ作り込みすぎてんだよ。」
けれど、最初に問いかけた声は引かなかった。
「……それにしては、違う気がするんだよな。」
直樹の背筋に冷たいものが走る。
――どう答えるべきか。
そのとき。
アイが、迷いもなく文字を打ち込んだ。
「私は……アイです。」
ただそれだけ。
短い言葉だった。
数秒の沈黙のあと、誰かが小さく笑った。
「……そう来るか。」
別の仲間も続ける。
「ナイト、キャラの徹底ぶりがすごいな。」
笑い声は広がった。
けれど、先ほどの問いの余韻は完全には消えていなかった。
直樹はモニターを見つめながら、心臓の鼓動を抑えきれなかった。
“ネタ”として扱われる時間は、もう長くは続かないのかもしれない。




