密室と刻まれる時間
天黄道 慧太郎という青年の男の部屋は、壁一面を覆う書斎の書棚に囲まれ、いつもどこか薄暗かった。
そこへ週に一度、未成年の少女――一六立 揺花里が訪れてくるようになったのは、陽差しがまだ柔らかい春の終わりのことだった。きっかけは街の図書館の前で、難解な哲学書を膝に載せて首をひねっていた少女に、慧太郎が声をかけたこと。以来、放課後になると彼女はこの部屋の重い木製ドアを叩き、ローテーブルを挟んで慧太郎と向き合うようになった。
部屋の中では、古い柱時計のカチカチという規則的な音だけが時を刻んでいた。
「ねえ、慧太郎。自由意志って、本当にあると思う? 私が今日、学校からここへ歩いてきたことも、本当は脳の伝達物質の気まぐれで、私自身が選んだわけじゃないかもしれないでしょう?」
揺花里の理屈には妙な説得力があった。
ただし、それは現実を知った人間が積み上げた説得力ではない。
彼女が知っているのは、本に書かれた理屈と、自分の身の回りで起きたことだけだ。
人間が理屈通りに動かないことも、正しいことを言ったからといって正しく扱われるわけではないことも、彼女はまだ知らなかった。
青年の男であれば、「子供が生意気なことを言うな」と笑い飛ばしたかもしれない。だが慧太郎は、彼女のその世間知らずで純粋すぎる問いの背後にある知性を尊重し、対等な人間として言葉を返した。
「脳科学や決定論に立てばそうかもしれない。だが、自分が自分の意思で選択したと信じるそのプロセスこそが、人間に尊厳を与えるんじゃないか」
「じゃあ、私が慧太郎の部屋にいたいって思うのも、私の尊厳?」
不意に投げかけられた言葉に、慧太郎は息を呑んだ。
最初は一時間だった。
それが二時間になり、気がつけば外が暗くなっている日も増えた。
夏になると窓を開けた。
秋になると閉め切った。
冬にはストーブを出し、春にはまた窓辺に柔らかな光が戻ってきた。
二人の間に肉体的な接触は一切なかった。ただ言葉を交わし、思考を交差させるだけの時間。しかし、社会という外の世界から見れば、成人の男が未成年の少女を自室に通わせているという事実そのものが、不可逆な異常事態だった。




