第48話「執刀医の罪・前編」
健康1番!
元気が何より!
では、没入しましょう!
——病室の扉を、ノックした。
コンコン。
「翔太君、今いいかな」
「ととのい先生!!」
ベッドの上で、翔太が顔を上げた。小さな体で、嬉しそうに笑う。
手には、本があった。野球選手の本だ。表紙に、バットを構えた選手が写っている。
俺は、その小さな体を見た。
脳腫瘍の影響が出始めて、数年。成長に影響が出ていた。同年代の子と比べて、体が小さい。
しかし——その目は、好奇心と夢に満ちていた。
人一倍、大きな夢を持った子だった。
「先生!僕、元気になったら、野球選手になりたいんだ!」
翔太は、本を抱きしめながら言った。
阪神タイガースのファンだった。
枕元には、サインボールが置いてある。
父親が、知り合いを通じて手に入れたものだという。
大事そうに、いつもそこに飾っていた。
「そうかぁ、野球かぁ」
俺は、微笑んだ。
「翔太は、ホームランバッターだな。ボールが翔ぶ、だもんな」
「えへへ。先生、それ上手い!」
翔太が、声を上げて笑った。
その笑顔を見ながら——俺は思った。
この子を、早く元気にしてあげたい。
また、グラウンドで走れるように。バットを振れるように。
そのためなら——
「ね、先生。手術したら、僕、野球できるようになる?」
翔太が、無邪気に聞いてきた。
俺は——一瞬、言葉に詰まった。
ご両親が下した決断。手術を行うこと。
それを、まだ翔太には——詳しく話していなかった。
「……ああ」
俺は、頷いた。
「先生が、ちゃんと治すからな」
「ほんと!?やった!」
翔太が、ベッドの上で飛び跳ねた。
「じゃあ、元気になったら、先生も野球見に来てよ!僕がホームラン打つから!」
「ああ。約束だ」
俺は、翔太の頭に手を置いた。
小さな、温かい頭だった。
この子を、救う。
俺なら、できる。
そう、信じて疑わなかった。
———
その頃の俺は——自信に満ちていた。
大阪の学会で、最初に発表した論文は、通用しなかった。
鼻で笑われた。
若造が何を、という目で見られた。
だが、俺は諦めなかった。
論文に磨きをかけ、データを積み重ね、アメリカで発表した。
ヨーロッパでも発表した。
少しずつ、権威を高めていった。
気づけば——中堅の医師の中で、俺はズバ抜けた実績と理論を持っていた。
難しい症例ほど、燃えた。
他の医師が尻込みするような手術を、引き受けた。
そして——成功させてきた。
俺は、特別だ。
俺なら、やれる。
——今思えば、それは、慢心だった。
己の慢心に、俺は気づいていなかった。
———
翔太の腫瘍は、厄介な場所にあった。
言語野と運動野の、すぐ近く。
手術が成功しても——遷延性意識障害を起こす可能性があった。
意識が、戻らなくなるかもしれない。
俺は、ご両親に、丁寧に説明した。
リスクを、包み隠さず伝えた。
そして——手術の決断を、委ねた。
だが——俺の中には、試したい手法があった。
覚醒下手術。
手術中に、患者に一度、意識を戻してもらう。
言葉を話せるか。手足が動くか。
会話をしながら、確認しながら、腫瘍を取る。
そうすれば——術後の言語障害や麻痺を、最小限に抑えられる。
翔太君と、会話をしながら進める。
安全に、確実に。
俺なら、やれる。
いや——やらなくては、いけない。
あの子を、野球ができる体に戻すために。
俺は、使命感に燃えていた。
———
手術当日。
「先生、よろしくお願いいたします!」
ご両親が、深々と頭を下げた。
顔は——よく覚えていない。
ただ、その声だけが、今も耳に残っている。
必死で、すがるような、声。
「お任せください」
俺は、答えた。
自信に満ちた、声で。
手術室へと向かう廊下を歩きながら——俺は、良い緊張感の中にいた。
不安は、なかった。
俺は、特別だから。
俺なら、できるから。
——その慢心が、何を招くのか。
俺は、まだ、知らなかった。
手術室の扉が、開いた。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
ピッ、ピッ——
モニターの音が、静寂に響いた。
手術が、始まった。
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つづく
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