第25話「怒りは悲しみの仮面。慈しみの涙」
怒っちゃダメ!
って言っても、止まらない!
降りてきた。
四つの影のうち——最初に動いたのは、赤い髪の女だった。
炎を纏っていた。
着地した瞬間——校庭の地面が、溶けた。
ただの熱じゃない。
怒りそのものが、物理的な質量を持っていた。
「……笑うな」
女が言った。
低い声だった。
「その清らかな瞳で——私を見るな」
誰も笑っていなかった。
でも——女には、そう見えていた。
「全部——焼き尽くしてやる!!」
咆哮と共に——巨大な火柱が、全方向に飛び散った。
校舎の窓が割れた。
木が燃えた。
生徒たちが——逃げ惑った。
テルメが叫んだ。
「めちゃくちゃ怒ってるやん!!なんで!!」
ザウルが静かに言った。
「……でも」
「でも?」
「……泣いてる顔に、見えるっすよ」
全員が——イラを見た。
確かに。
怒りの顔の奥に——何かが、滲んでいた。
トントが静かに言った。
「……見ろ」
「イラの瞳——瞳孔が、開いている。
アドレナリンが暴走している。でも——同時に、コルチゾールも異常に高い」
「コルチゾール?」
「慢性的なストレスホルモンだ。
短期的な怒りじゃない。長い間——ずっと苦しんでいた証拠だ。
脳の扁桃体が——恐怖と怒りを、ずっと同時に処理し続けてきた。そういう人間の顔だ」
テルメ「全くわからんかったわ」
ザウル「俺もっすよ」
トント「……要するに、ずっと泣きたかったのに——泣けなかった人間の顔だ」
全員が黙った。
ザウルが静かに言った。
「……トントさん、それ——かなり重い言葉っすよ」
「……そうだな」
テルメが言った。
「……なんか、かわいそうやな」
誰も否定しなかった。
「私が行く」
レンが静かに言った。
「なぜお前が」トントが言った。
レンは——キックルを見た。
キックルが、青白く輝いていた。
「……水は、怒りを鎮める。それは単なる温度の話じゃない」
「怒りは——熱を持っている。
その熱を、水が受け取る。水が——その痛みを、一緒に運ぶ」
「レン様」キックルが静かに言った。
「……行きましょう」
「ええ」
レンが——前に出た。
タイカ先生が静かに言った。
「……そうじゃないんですよね〜。これは——技術じゃなくて、心の問題なんですよ。わかります?」
ザウルが言った。
「先生、今回は——合ってますよ」
「行くわよ、キックル!!」
レンが地を蹴った。
イラの放つ爆炎の渦が——正面から迫る。
逃げない。
真っ向から突進した。
「キックル——上下に!!」
「はい!!」
キックルが——爆発的に輝いた。
頭上に——巨大な水の輪が出現した。
足元に——底なしの泉のような水の輪が出現した。
二つの環が——イラの周囲で超高速旋回を始める。
「サウナ術式——上下双環の水檻!!」
上から降り注ぐ激しい水。
下から湧き上がる奔流。
二つが合わさって——逃げ場のない水の筒が、イラを封じた。
「……なっ!!」
イラが暴れた。
炎を放った。
でも——水の圧力が、全てを消していく。
トントが腕を組んだ。
「完璧な包囲だ。上から水が降り注いで——下から水が上がってくる。
体感温度が一気に下がる。アドレナリンの暴走が——止まり始める」
テルメ「全くわからんかったわ」
ザウル「俺もっすよ」
トント「……要するに、全方向から水風呂に包まれた状態だ」
テルメ「最初からそれ言うて!!でも——なんか、めちゃくちゃかっこいいな!!」
ザウルが静かに言った。
「レン様——強くなりましたよね」
「そうだな」
「ラハティで、変わりましたよね」
「……そうだな」
水の檻の中で——イラが叫んだ。
「……なぜだ!!なぜ消えない!!私の怒りが——!!」
その叫びが——少し、かすれていた。
キックルが——静かに、水檻の中へと入り込んだ。
「キックル!!」レンが叫んだ。
「……大丈夫です、レン様」
キックルはイラの目を見た。
小さな水の妖精が——大きな怒りの化身と、向き合った。
「……この人、ずっと泣いてます」
キックルが静かに言った。
「怒りの顔をしてるけど——心の中が、ずっと痛いって言ってます」
「やめろ!!」
「水は——記憶を運びます。この人の水の記憶が——見えます」
「見るな!!」
「……ずっと、一人だった」
キックルの声が——震えた。
「誰にも気づいてもらえなかった。
だから——怒るしかなかった。怒っていないと——自分が壊れそうだったから」
「やめ——」
「あなたが一人だったんじゃない」
キックルが——静かに言った。
「一人だと——思い込んでいただけです」
その瞬間。
キックルの目から——一粒の涙が落ちた。
光っていた。
攻撃でも治療でもない。
魂が——共鳴して、生まれた涙だった。
その一滴が——イラの額に触れた瞬間。
怒りの防壁が——音を立てて、崩れた。
レンが——ゆっくりと歩み寄った。
水檻を解いた。
膝をついた。
目線を合わせた。
イラが——力なく、地面に膝をついていた。
顔を覆って——震えていた。
レンは——その肩を、静かに抱きしめた。
「……その怒り」
レンが静かに言った。
「——本当は、悲しかっただけだろ」
沈黙。
イラの体が——止まった。
次の瞬間——
目から、涙が溢れた。
止めようとした。
でも——止められなかった。
「……そうよ」
イラが言った。
「……ただ、寒かったの。独りで。怖かったの」
「……知ってる」
「なぜ——なぜ、あなたにわかるの」
レンは——キックルを見た。
キックルが静かに光った。
「私も——同じだったから」
「嘘よ。あなたは姫じゃない——」
「姫でも——孤独になる」
レンが静かに言った。
「怒りで——仮面を作っていた。近づかれたくなくて。傷つきたくなくて。でも——」
「でも?」
「……仲間が、剥がしてくれた」
イラの涙が——止まらなかった。
子供のように——泣いていた。
トントが静かに言った。
「……今、イラの体の中で何が起きているか」
「βエンドルフィンが分泌されている。
長年抑圧されていた感情が——一気に解放された。
コルチゾールが急激に下がっている。
血管が広がっていく。全身が——緩んでいく。
脳の扁桃体が——初めて、安心の信号を出している」
テルメ「全くわからんかったわ」
ザウル「俺もっすよ」
トント「……要するに、長年溜め込んでいた怒りが——今、溶けた」
テルメが——また、泣いていた。
「なんで泣いてるんっすか」ザウルが言った。
「うるさい!!感動したら泣くのは当然やろ!!」
イラが——初めて、笑った。
テルメの叫び声を聞いて——思わず、笑った。
「……あなたたち、変わっているのね」
「変わってるで!!でも——それがウチらやねん!!」
「……ありがとう、お姫様」
「……名前はレン」
「……レン。次は——暖かいお湯の中で、また会いましょう」
白い光になって——消えていった。
静寂が戻った。
本物の静寂が。
トントは——何も言わなかった。
ただ、レンの背中を見ていた。
……強くなったな。
ラハティで——故郷を守った。
ここで——誰かの心を解かした。
それは——医者にはできない仕事だ。
俺は脳外科医だ。
メスで切って、縫い合わせることはできる。
でも——キックルの涙は、出せない。
レンの言葉は、言えない。
「……トントさん」ザウルが言った。
「なに」
「今——かっこいいわけじゃないのに、なんかかっこいいっすよ」
「……どういう意味だ」
「師匠みたいっすよ。レン様のこと——誇らしそうに見てるっすよ」
テルメが叫んだ。
「顔が緩んでるもん!!かわいいやん!!」
「……熱いからだ」
「外に出てるっすよ、今」ザウルが言った。
「……うるさい」
頭上に——まだ、三つの影。
動かない。
喋らない。
ただ——見下ろしている。
「……まだ三つ残っている」
トントは静かに言った。
一人、摘出した。
でも——まだ三つの腫瘍が残っている。
脳外科医の仕事は——まだ終わらない。
タイカ先生が静かに言った。
「……そうじゃないんですよね〜。次は——少し、違う相手ですよ。わかります?」
「どう違うんですか」
「……孤独という不快は——怒りより、ずっと静かなんですよ」
「孤独の不快——ソリス」
「そうです。わかります?」
ザウルが言った。
「……タイカ先生、今回は情報が多いっすね」
「……タイミングというものがあるんですよね〜」
全員が——空を見上げた。
三つの影が——静かに、揺れていた。
最も存在感がない影が——
ゆっくりと、降りてくる。
第25話 了
◆次話予告/第26話「存在しない影——孤独という名の不快」
次に降りてきたのは——影だった。
文字通り、影のような男。
誰も気づかない。
誰も見えない。
ただ——存在している。
「……俺が見えるか?」
エーアイが——その影を、静かに見た。
「見えます」
「……なぜ」
「私も——同じだったから」
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