第8話
ぴぴ。ぴぴ。ぴ
「……はい。」
≪おはよう、イリス。朝だぞ。≫
「……ぅん。」
≪例のお気に入りと約束、あるんじゃなかったのか?≫
「…………起きる。」
≪良し、頑張れ。≫
未だ強い睡魔が尾を引く物の、仕方なしに重たい体をベッドから引き剥がす。ふらふらと、でも確実にその場に座り込むも未だその強い睡魔はイリスを手放さない。
「……………………うざい。」
それでも、調査に赴かなければならない。昨晩敢えて放置したあの西部もどうなったのか気になる所だ。こんな所でゆっくり休んでなどいられない。
直ぐに出掛けられるようにと傍に置いておいた上着に袖を通し、ベッドの脇に置いてある編み込みブーツ状の軍靴に足を通して軽く縛る。恐らく、現在の時刻は8時20分を過ぎた所。このままでは少し遅れてしまう事になる。
ヨハンめ、起こしてくれるならもう少し早めに起こしてくれても良かったのに……。
「おはよう、イリス。」
「ヨハン……?」
「はは、まーた忘れてやがんのか。本当に朝弱い奴だな。ほら、鍵。一晩かかったけど、頼まれてた移動魔導ユニット《アステリオン》の整備。ちゃんと終わらせといたぞ、これなら今からでも焦らずに行けるだろ。」
「ヨハン……!」
「……ま、俺はお前のその嬉しそうな顔が見れりゃあ十分だ。ほら、行った行った。頑張ってこい。」
「行ってくる。」
「おう、行ってらっしゃい。また俺が見といてやるから安心して行ってこい。」
もしもイリスが二度寝した場合の事を考えて。そして、もしかすると必要になるかもしれないと、頼んでおいた移動魔導ユニット《アステリオン》の整備をたった1晩で終わらせておいてくれたらしい。あんなにも複雑かつパーツの1つ1つがかなりの重量を誇る関係から整備その物が重労働である、あの《アステリオン》を。
相も変わらず夜を連れて歩いているような黒髪に、その中に浮かぶ月のような赤い瞳は皇帝より与えられた悪魔らしくはある物の、イリスに喜んでもらえた時のその表情は決してその種族のイメージからは大きくかけ離れている。
時間が押している事には変わりのないイリスが半ば急いで廊下を駆けていくのを、見送りながらも手を振るヨハン・リヒターにとってはそれも日常なのだろう。
「黑棺」の1階南側に位置する格納庫は今回のような移動魔導ユニット以外にも浮動魔導ユニット、海動魔導ユニット、その他にも数多の移動ユニットやそれらを運ぶ為の生物を保管しておく関係から帝都の市役所程度なら容易に呑み込める広さを誇っている。
そんな格納庫の入口付近にそれは駐車されていた。大方、ヨハンが諸々気を遣ってそこに置いておいてくれたのだろう。
掛けられている車体に比べて少し大きい黒いバイクカバーを取り外し、顔を出してくるのはかつてイリスとヨハンが共同開発した移動魔導ユニット《アステリオン》。元よりイリスの為に開発されたのもあり、全体的に黒い車体と添えるような紅色のライン。必要とあらば車体の側面に専用の魔導機関銃を搭載させる事や水陸は勿論、空すらも飛べる特別仕様となっている。
《アステリオン》に跨り、キーの差し込み口に鍵を差す。直ぐにエンジンが起動し、エンジン内部の核である魔導水晶が稼働。本来であればエンジン音を発生させない静音型のこれをV6エンジンのような重量感のあるエンジンを鳴らすように設計するのにどれだけ苦労したのか思い出したくもない。
【エンジン、起動。セキュリティプロトコル作動、お名前をどうぞ。】
「帝国魔導特務局特務官、イリス・ヴォルカ。路上走行シーケンスの起動を命ずる。一般タイプでのエンジン効率を維持しろ。」
【プロトコル、承認。路上走行シーケンス、起動。エンジンタイプを一般に変更……完了。帝国魔導特務局研究所“黑棺”格納庫制御システムへ接続……完了。開門します。】
一切の抑揚のない淡々とした《アステリオン》搭載ボイスが命令を受領し、本体へとその変更を同期する。共に、内蔵されているGPS機能が起動して現在地「黑棺」格納庫の門を遠隔で操作し、開門する。
現在時刻は8時30分を少し過ぎた所。これなら問題なく間に合うだろう。
あいつが先に来るタイプか、それとも遅れてくるタイプかは分からんがな。
「自律直立システム、固定ブレーキシステム解除。移動する。」
【プロトコル、承認。自律直立システム、固定ブレーキシステムの解除を確認。良きドライブライフを。】




