第17話
「にゃあ~~~!」
「ちょ、イリス……? イリスさーん?」
「みゃぁああ~~~!!」
「……おい、誰だイリスの癇癪起こさせた奴。ストレス過多で猫化してんじゃねぇか。」
「相変わらず、随分と可愛らしい訴え方をする子やなぁ……。」
「……あれ、絶対長い奴だと思うけど。」
「イルメリナ、あれ……どうにか出来るの?」
「流石に……厳しい、かなぁ…………。」
あのかっこよかったイリスは……何処か遠い所へ出張したらしい。
幻楼街で魔法補助薬とやらの材料を買い占め、戻ってきたら……イリスが目指したのはリビング。てっきり魔法薬を調合する為の設備がある場所へ行くかと思いきや、ノアと同じくそう思っていたヴィルヘルムも酷く驚いた。
幾ら声を掛けようと、どれだけ制止を呼び掛けても聞かず。そのままずんずんと他の特務官達も何やら資料を手に持って話していたのを無視して……リビングの机の下に潜り込んだ。
何処から持ち出したのか、毛布に包まって丸くなり、尾だけがそこから顔を出してはダンダンダンッ!!と激しく床を叩きながらにゃーにゃー猫のように鳴いている。
イリス先輩、それは……狡いですよ。
「……イリス先輩が妹分扱いされる本当の理由って、これだったんですね。」
「末っ子だろ?」
「はい。めちゃくちゃ末っ子です。びっくりするぐらい末っ子過ぎて今、感情が追い着いてなくて。」
「はははは!」
「……その末っ子状態だけど、長いと半日続くから。」
「え”。」
「あぁなると本当に困るのよねぇ……。変な所で本気出し過ぎて私の精神安定化系の能力もぜ~んぶ無効化。視線合わせて落ち着かせようとしても、それすらも弾くレベルの結界とか張ってくるの。」
「僕の電撃も無効化しちゃうんだよ?」
「え、普通にやば過ぎません……?」
「うん! 普通にやばい!」
「元気に言わないでください……。」
「イリス……?」
「にゃあ~~~!!」
「い、痛い。痛い痛い。普通に痛いから。尾、しならせないでって。」
あのまましばらく苦しんでもらってても良いかもしれない。
「シャーーー!!」
「い”っ。」
「帯電したな。」
「帯電しましたね。なかなか良い火力してそうです。」
「ふ、ふふ……。の、ノア君、何かヴィルに恨みでもあるの?」
「いえ、そんな訳では。」
「ほんと? 僕から見ても何か……うん。ヴィルの事、殴りたそうな感じ。」
「いえいえ、俺が先輩を殴るなんてそんな失礼な事はしませんよ。ただちょっと……馬鹿だなぁって。」
「何やったんだあいつ。」
「……こいつ、こんな口悪くなかったと思うけど。」
「とりあえず……ヴィル坊はええとして、イリスはどうにかせんとな。やっぱり困った時のシュタール卿か?」
「私、呼んでくるね。」
「頼んだ。……んで、俺らはどうする? 一旦何とかしようとしてみるか?」
「え、本気? 僕無理だと思う。」
「俺も無理やと思うな。」
「俺、巻き込まれんの嫌だからやるなら言って。帰るから。」
「……まぁ、だよなぁ。」
「因みに……ノア。2人と一緒やったんじゃろう、何ぞそれっぽい要因はあったんか?」
「ヴィル先輩が今回の買い物の金額、全部払いました。」
「「「「あ~……。」」」」
これだけで想像が出来る程度の日頃の行いらしい、ヴィルヘルムは。それはもう……苦労されただろう、周りの人が。
そうこうしている間に状況は安定するどころか悪化しており、布団の中でぐでん、と床に寝そべりながらも完全に竜化した力強い手を布団の外へ出し、床に爪を立てて嫌な音を立てているイリスが居る。
……まぁ、俺は大分満足ですよ。イリス先輩のそんなめちゃくちゃ子供っぽい所が見れて。
「皆~。主任連れてきたよ~……って、悪化してるじゃん。」
「おう、悪化した。」
「おう、じゃないわよ。」
「ふむ……。」
「…………すまない。」
「まぁ……こればっかりは仕方ないね。ローゼン特務官、少し場所を。」
「……はい。」
ヴィルヘルムと入れ替わるように、つい先程までヴィルヘルムの座っていた地点に膝を突くアルドリック。それを感じ取ったのか、それとも何かをされると思ったのか。間髪入れずにイリスの尾がこれまでで一番強くしなって――揮われる。
ノアも噂程度でしか聞いた事がない物の、竜人の尾は本気で揮うと鋼鉄ですらもひしゃげたり。場合によっては分断出来る程の加圧を施せるらしい。少なくとも……あれは、あそこに居るのがヴィルヘルムではなくアルドリックだと分かっての行動と……思い、たい。
しかし、そんなノアの心配を裏切ってイリスの尾は同じく竜人のアルドリックの手によって簡単に止められる。まるで飛んできたボールを掌で受け留めるような、軽やかさでそれを防御し、イリスの尾が突然発生した壁を確認するようにその掌を撫でながら重力に従って床へ落下する。
以降、イリスの尾が暴れる事はない。イリス自身も、つい先程まで床に爪を立てていた手は布団の中に引っ込んでこんもりとした丸く大きな繭になり果てている。
「君は……なかなか与えられる事に慣れないね、ヴォルカ特務官。」
「……。」
「ヴォルカ特務官、君はこれまで与えられる事がそのまま死に直結するような環境に居た時間が長かった。……だからこそ、それを思い出してしまう施しが酷く受け入れられないのはよく分かる。」
……………………え?
幾らノアと言えど、幾ら任務を共にする為に多少のイリスのパーソナルデータを見せてもらったとは言えど、あんな紙切れ数枚で誰かの人生を表しきれる物ではない事ぐらい、ノアにだって分かっている。
しかし、それでも何かを与えられる事がそのまま死に直結するなんて事は。……それこそ、
イリス先輩は……孤児、だった?
それぐらいの規模でなければ、まずありえないだろう。けれど、それはあくまで与えられなかったの説明であって、与えられる事が死に直結するの説明にはならない。……ただ捨てられただけで、ただストリート育ちだけで、ただ孤児院育ちだけでそんな言葉は出てこない。
「……。」
「けれど、それでも。……ここは君の祖国ではないんだ、ヴォルカ特務官。君に対して皇帝陛下が非常に、分かり易く過保護である事も。ヴィクトルが特に気に掛けてくれている事も、そして君とのファーストコンタクトの問題もあって君を警戒したままのセヴェリウス主教やヴァルガルト親衛隊隊長、アイゼン近衛兵隊長が君に対して常々大人の対応をするのも。……その理由が分からない程、君は愚かではないだろう?」
「……。」
「……宜しい。ではヴォルカ特務官、こうしよう。」
「……?」
「私も、この国の全てを信じろとは言わない。この際、皇帝陛下やセヴェリウス主教、ヴァルガルト親衛隊隊長やアイゼン近衛兵隊長も蚊帳の外に追いやろう。――特務局は信じなさい。そこに私が、アルドリック・シュタールが含まれていなくとも構わない。特務局と特務官は君の絶対的な味方だ。我々も、我々帝国も君から真の信頼を、真の信用を、真の理解を得られなかったとしても君の味方であり続ける。……これはただのエゴだ。君はただ、それに付き合わせられているだけに過ぎない。」
「……。」
「どうだろう? それとも、特務官を信じる事も難しいかな?」
「……………………リックとアルも、多分裏切らない。」
「ご理解が得られて嬉しいよ。」
一応、落ち着いたらしい。ずるり、と気だるそうに。まだ不機嫌そうながらも顔を出したイリスを見るアルドリックの表情は……いつぞやのヴィルヘルムと似ている。まだ、ノアを警戒していた時のヴィルヘルムのように。
けど……あれは。多分、別だ。
今のアルドリックの表情は、決してあの時のヴィルヘルムの表情とは違う。イリスに敵対心も警戒もしておらず、だからと言って心配していない訳でもない。値踏みする訳でもなく……ただ、
……………………愉悦?
「……ヴィル。」
「い、イリス……。」
「……半分。」
「は、半分……?」
「……………………半分受け取らないと、本気で薙ぐ。」
「わ、分かった。1割で。」
「半分。」
「じゃあ2割、2割で。」
「半分……!」
「っ、3割……!」
「ヴォルカ特務官?」
「……………………1割。」
「……ヴィクトル先輩。シュタール主任って」
「突っ込むな。……お前にはまだ早ぇ。イリスの過去も……アルドリックの本性も。」
「…………はい。」




