第9話
「シュタール主任のお料理、めちゃくちゃ幸せの味がしました……!」
「……掴まれてる。」
「それは君もじゃないかな、イリス。」
「ヴィルの肉料理も、なかなかの火力だと思う。」
「そう? 俺はあれぐらいじゃないと満足出来ないけど……。」
「……肥えてる。」
「…………舌、だよね? 舌の事で合ってるね?」
「さぁ?」
な、何かとんでもない駆け引き始まってる……。
アルドリックの頬が落ちるどころではないビーフシチューを堪能しつつ、あの水準の料理が出来るようにならなけばならないという現実をどうにか直視しないようにするので忙しいというのに……目の前で展開される光景から、目を離せない。
これまでずっと、余裕そうに見えたヴィルヘルムだがイリスには滅法弱いらしい。肥満なんてまるで気にしなくても良さそうな体格をしているのに、それでも多少体重を気にされているらしい。
さっき聞いた話、ローゼン卿は吸血鬼の体質を皇帝陛下に与えられたって話だったし……やっぱりそういう味の好みなのかな。
「ノア。」
「あ、はい。どうされました?」
「ノア、アルから……何貰った?」
「体質ですか? 保留だそうです。」
「保留……? 何かと即決型の彼が珍し……いや、俺の場合は家系の問題か。イリスに至ってはその力強さから決めたと仰られていたし。」
「力強さ?」
「君が凄いって事だよ。」
「周りが弱いだけ。」
「ま、まぁ……それも多少はあるだろうけど。しかし……そうか。なら、アルヴェルト君は今しばらく帝都中央以外の任務は与えられないだろうね。」
え。
「そう……なんですか?」
「特務官という肩書きはただ皇帝陛下から下賜される特権に限らない。その肩書きは、どれだけ皇帝陛下がお気に入りとして傍に囲っておきたいかという執着の強さも表す物だからね。そんな彼が……自分の手が加わっていない存在を、体質という名のドックタグを与えるまでなるべく人目に触れないようにする独占欲があるのさ。」
「……何か、ちょっと怖いですね。色々と。」
「君が普通の感性で安心したよ。アルドリックなんて、この話をすると目に見えて恍惚が隠しきれてないから不気味でね。」
「え”。」
「内心、ああいうタイプが新人として来てしまったらと怖くて恐くて。」
……俺からすれば、貴方の方が怖いんですけど。
わざとノアが弁えているのもあるが、リビングから出てからずっとヴィルヘルムはイリスの背後を。体の左側後方を取って、距離を一定に保ち続けている。あれは何かあった時、直ぐに懐に引き寄せられるようにしつつ、ノアがもしもイリスを害す存在なのであれば早くぼろを出せと言っているような立ち回りだ。
ノアとしてはこういう、掴み切れない人の方がやりにくくて仕方ない。その反面で、多少のやり易さもある。
こういう人は敢えて距離を取っておけばとりあえずは許してくれる。……けど、多分この人はもっとややこしそうな気がするんだよなぁ。
「着いた。」
「鏡……?」
「今から行く場所は幻楼街という亜空間に存在する特殊な街でね。向こうでは一切の魔法も兵器も無効化される、戦闘を結界的に許されない世界。君なら大丈夫だとは思うけど……向こうで武器は取り出さないようにね。」
「は、はいっ!」
「イリス、君もだよ。武器を使いはしないけど、直ぐ体術にシフトして敵吹っ飛ばすんだから。」
「……? 敵は制圧する物、容赦も加減も必要ない。むしろ、生きてるのが恥。」
「その理論には全面的に同意するけど、場所は選ぼうか。」
「……ん。」
リビングから数十m以上、50m未満の位置。この「黑棺」はどれだけ広いんだと突っ込んでしまいたい距離を移動した先に待っていた、小部屋の中にある……大きな鏡。
何処かヴィルヘルムを彷彿させるような、それ以外に何もないこの部屋の両開きの大扉をそのまま呑み込んでしまえそうなこの鏡の上左右には吸血鬼のような、悪魔のような翼の装飾がある。
鏡の縁その物もかなりアンティークというか、ゴシックというかそんな装飾で、何だか見てはいけないような物を見ている気がする。
鏡面その物は……完全な、黒。本来鏡であれば光に反射して世界を映すはずなのに、まるで誰かの背中がそこにあるかのように。暗闇が居座っているかのように何も見えはしない。
「雲外鏡、仕事だ。俺達を幻楼街まで。」
【はぁい、ヴィルヘルムお坊ちゃま! 目的地を幻楼街に固定しました!】
高い、明るい女性の声。イリスの《アステリオン》でもそうだったが、「黑棺」ではあらゆる装備や設備に音声認識システムを搭載する事が主流らしい。……まぁ、それももしかすると彼らが言葉を忘れないようにする為なのかもしれないが。
彼らは、実力者。それ故に寄ってたかってくる者も多いだろうし、そんな彼らを力でねじ伏せられるのであればそれが一番話が早いだろうが、現実はそうも甘くない。
言葉というより、研究とか開発に集中し過ぎて自分の言葉を忘れない為……? それか、純粋にコードを打ち込むのが面倒だとか?
そんな雲外鏡にヴィルヘルムが触れて……指が、飲まれる。吸血鬼の体質を与えられているのもあり、種族特有の青白い肌の指が水面に突っ込むようにすんなりと。滑るように、柔らかく撫でるように入り込んでそっと取り出される。
「うん、問題なさそうだね。さぁ……2人共、中へ。俺が通ると入口が閉じてしまう。」
「ん。ノア、行こう。」
「は、はいっ!」




