第15話
イリス・ヴォルカの最初の記憶は……既に、非人道的な実験ばかりを取り扱う研究所の中からだった。
自分の親の顔も、声も、名前も、話題すらも知らないまま、物心着いた頃から。物心が着く前からそこに居た。……それが、彼女にとっての当たり前だった。
起床時間はいつだって早朝、まだ日も上がりきっていない時間で、少しでも遅れるとまだ2桁にも満たない内から鞭打ちの刑に処された。イリスと同じく研究所で過ごす事、暮らす事を余儀なくされた子供達の中にはそれが原因で足の腱が切れてしまい、利用価値がないからと殺処分された子も居た。……それはもう、人としての扱いではなかった。
人を騙す為、そしてより効率的に手玉に取る為。学問だけは最高の物を与えられた。その影響か、この施設で育った子供達の知識への貪欲さは飢えた獣すらも逃げ出しそうな程で、イリスは特にその傾向が強かった。
だからこそ、イリスはそれを許してもらえなかった。
これは遊ぶ為の知識ではない。より効率的に人を殺す為の技術だ。
これは学ぶ為の知識ではない。より確実に人を殺す為の道具だ。
そんな教育ばかりを受けて生きてきたイリスの感情が欠損するのも、必然的な事だった。彼女はそうでなければ生きる事が出来なかったのだ。何もかもを壊されて、何もかもを歪められて。
故に、イリスはこれまで自分が積み上げてきた物を才能として認知する事が出来ない。
そうでなければ……あそこでのあの生活は、何だ? 何故自分達が求めて子を作ったはずなのに、その親の都合で捨てられ、果てには実験動物のような人権がまるで機能せず、最早家畜動物やモルモットのような扱いをされねばならない? 誰がイリスの人権を取り上げた、誰が何の権限を持ってイリスへの人権付与を渋った?
そんな何故が積み重なり、一切答えを与えられぬまま積み上げ続けた結果として待っていたのは――瓦解。自ら積み上げた疑問の重みで思考と倫理、認知の床が抜けて大きな歪みが生じた。
これは、怨嗟だ。
こんな境遇に自分を置いた両親への怨み。こんな扱いを享受する科学者達への怨み。都合の良い道具として洗練しようとする教官達への怨み。そんな環境を生じさせ、それだけには飽き足らずその環境や体制を運営し続ける祖国への怨み。
それがその重みだけで凝縮され、研ぎ澄まされ、幼い頃からイリスの心奥深くに宿り、その身と心を蝕み続けてやがてはイリスという少女の価値観と人生を果てしなく歪めた。
彼女の中に、才能という言葉はない。
イリスは、努力した。あんなくそったれな世界から逃げる為、願わくばそれを壊す為に。
辛かった、苦しかった、怖かった、嫌だった。……でも、助けなんて来やしない。そりゃそうだ、助けが来るような場所なら最初からあんな場所に自分が居る訳がない。あんな場所に、あんな場所で目覚め、あんな場所が牢獄となるはずがない。
だから、イリスは自ら積み上げてきた物を才能などというまるで重みのない綺麗事で済まされるのが、嫌いだ。
でなければ……あの時のあの気持ちや仕打ちは、何だ? イリスの積み上げてきた物は才能などという与えられた物ならば、必然的にあの環境はその代償として与えられた物になってしまう。鉄のように叩いて鍛えられた事になってしまう。
それなのに、世界は容易に理解出来ない突出した技巧を才能などという軽い言葉で片付ける。……だから、人前ではどうしても認めたくないその言葉で表現しなければならない。
正しい人の営みが知らぬが故に、またしても己を殺さなければならない。…………その苦痛が、どれ程の物かを理解していたとしても。
……お前のそれは、才能じゃなくて努力なんじゃないのか?
「あ、あれ? 何だこれ、妙に硬い……いや、重いのか? 全然開かない……。」
「……アルヴェルト、横に逸れろ。」
「……? まぁ、はい。」
「《アステリオン》。」
【対物魔導砲展開……完了。安全装置解除を確認。発破。】
「え、わわっ!」
本当に少し逸れるだけに務めたノアの目の前を横切るように、イリスの前へと移動した《アステリオン》から不自然過ぎて、返って自然に見えるように超電磁砲のような形状をした魔導砲が――生える。
展開が完了すると共に大気中の魔力を銃身に収束させて蒼く稲妻が色を得た途端、レールに乗せられた列車のように。トリガーを引かれた銃弾のようにそれを容赦なく撃ち出す。
生憎と北東部にこれまで一度も訪れた事のないイリスとしては判別が難しいが、帝国軍が保有する原子力潜水艦や魔導潜水艦には隔壁という物が存在する。だから、それ自体は驚くに値しない。……問題は。
貴族の家だろうと何だろうと、城下に隔壁が存在する事なんて……ありえるのか?
《アステリオン》の対物魔導砲は撃ち出したビーム状の超電磁砲に類似したそれを、着弾直後に影響範囲を拡大した。傘が開くように大きく広く上下左右に伸びて、厚さ10cmはありそうな隔壁を――吹っ飛ばした。
先にあるのはあまりにも不気味な普通の部屋。貴族の家らしい何かと高級品が並んでいたり、統一感のしっかりある内装でこの部屋には不気味な程に物がない。
「……。」
「ちょ、扉ごとぶっ飛ばす事ないでしょう!? もし敵に気付かれたら」
「これは潜入任務じゃない。殲滅と確保、そして違法種族転化を可能としている技術に関連する全ての回収か破壊を目的とし、犯人には殺処分許可も降りてる。……あるはずのない暗渠と繋がってる屋敷だ、むしろ壊しまくって気付いてくれる方が都合が良い。」
「それは……そう、かもしれませんけど。」
「……廊下も静か。」
「……もしかして、《アステリオン》の斜線に入らないようにする為にも俺を後ろにしたかったんですか? その、無駄死に……しないように。」
そろそろ殴るぞ。
「……まぁ、多少。」
「了解です。じゃあ俺、後ろから着いていきますね。」
「……ん。」
…………前に立たれると、生きてるか死んでるか分からないから嫌なだけなのに。




