7、森の中で
森の中は鬱蒼としており、道を切り拓きながら進むのは中々の重労働だった。こんな道を老婆が通れるものなのかと考えてしまう。
獣道も道と言うより草木の分け目と言う程度だ。目印がなかったら直ぐにでも迷っていただろう。
後ろのイーリスは足場が悪いので何回か転びそうになっていた。
思うように進まず時間だけが過ぎていく。
しばらく進むと下草や薮が減り歩き易くなった。これなら進むペースを上げられるだろう。
そう思った時、恐れていた事が起こった。
「小型の魔物がこちらへ急接近しています!」
背後にいるイーリスが小走りで近づいて来た。
ソルは素早く背嚢を下ろし双剣を構える。
「三時の方向から来ています。数は五頭です」
「分かった。荷物を頼む。自分の身は守れるな?」
「大丈夫です。私の事は気になさらずに」
魔物が来ると言われた方向へ切先を向けた。すると木の影から白い狼のような魔物が飛び出してきた。
狼より一回り大きく額に小さな角が生えていた。五頭は牙を剥き出しにして唸りながら二人を包囲する。金色の瞳は敵意に満ち溢れていた。
鋭い爪と牙は二人に狙いを定めると一斉に襲いかかった。
ソルは三方から迫る魔物の動きを瞬時に見切ると、姿勢を低くし地面を強く蹴った。電光石火の速さで飛びかかる魔物の下を潜る。すれ違いざまに真上の一頭の腹部を斬り裂く。鮮血を散らして落下した魔物は痙攣して動かなくなる。
残る魔物は目の前から獲物が消えたことに一瞬混乱していた。動きが鈍くなったところを背後を取ったソルが左右の剣でそれぞれ二頭斬り捨てた。
残る二頭はイーリスの方にいた。防御結界内にいる彼女を襲わんと結界に爪を立てている。だが、結界内にいる彼女の顔には焦りはない。
ソルが口笛を吹いて注意を引くと、二頭は直ぐに狙いを変え飛びかかってきた。凶悪な爪が首元を狙って来るが、彼は頭を動かしただけで回避する。次いでもう一頭の攻撃は一歩横に動いて避け、振り上げた刃で胴体を切断した。
最後の一匹はソルから距離を取ると威嚇するように唸っていたが逃げて行った。
念の為構えは解かずにいたが
「もう大丈夫みたいです」
イーリスの言葉を受けて双剣についた血を払い鞘にしまった。
魔物の死体を見てソルは呟いた。
「これが小型?」
彼女から小型と聞いた時、猫くらいの大きさだろうと考えていたが実際は随分と大きかった。
「この辺りにいる魔物の中では小さい方ですよ。これは角狼といいます。大きな群れで生活しているそうです」
普通の狼より大きいくらいで動きもあまり変わらなかった。特に問題なく倒せる相手だ。
「大して強くないんだな」
「今のは群れからはぐれた角狼です。危険なのはリーダーに率いられて襲って来る群れですね。リーダー格だと魔術も使うようです」
統率の取れた群れは物量もあり厄介だ。魔術も使うなら尚更だろう。
「そんなのに遭遇したらたまったものじゃないな」
「群れはもっと山岳側の森の奥にいるそうなので、縄張りが変わらなければ大丈夫だと思います」
角狼の血の臭いがムッと漂っている。血の臭いは他の魔物を寄せ付ける為、早くここから移動した方がいいだろう。
二人は道を進んで行く。だいぶ歩きやすくなったので進むペースも上がる。目印は等間隔だが木に隠れて見えづらい時があり注意しながら進む。
日が徐々に傾き始めた頃、ソルはイーリスの異変に気づいた。直ぐ後方にいたはずが、いつの間にか離れた所を歩いていた。明らかに足取りが重い。
「イーリス、大丈夫か?」
ソルの声かけにイーリスの歩みが止まった。
「…少し疲れました。常に魔力探知しながら動くのって凄く集中力が必要なんですね。こんなに継続してするのは初めてで…」
イーリスの顔には疲労が見える。それも少し、ではなさそうだ。
「休憩するか」
「いえ、日が暮れるまでに野営できるところまで行かないと…途中に簡易的な結界を張れるようにしてある場所があるそうなので…」
再び歩み始めたがややふらついている。
ソルはイーリスの元に行くと、ふらつく彼女を支え腕に抱えた。何をされたかわかっていないイーリスがひゃうっと変な声をあげる。
「な、何ですか!?」
「もう歩くのは無理だろう。ここからは抱えて行くぞ」
「そんな、まだ歩けます」
「無理をすると後でツケが来るからな。それにこっちの方が早く進める」
イーリスは何か言いたげにしていたが、気にせず走り出した。
訓練では荷重負荷をかけた走りこみを散々やらされていたので、彼女くらいの重さなら問題ない。風を切って進んで行く。
ソルの腕の中のイーリスは目を見開いたまま微動だにしない。胸に抱いた杖を両手で握りしめている。体にも力が入っていたが、ある事に気づくと徐々に力が抜け見開いた目も元に戻った。
そして朧げな光の中にある影を見つめ続けた。
どれくらい進んだだろうか。日が沈みかける頃ようやく少し開けた場所に出た。ここにもリーリンの花が一面に咲いている。
「ここです。日暮れまでに間に合いましたね。ソルさんのおかげです。ありがとうございました」
「何とかなったな…」
ソルは抱えていたイーリスを降ろし座り込んだ。想定していたよりも遥かに長い距離を人一人抱えて走ったものだから流石に疲労困憊だった。これで魔物に遭遇していたら厳しかったかもしれない。
背嚢を下ろし携帯用の皮袋に入れていた水を飲む。
イーリスは四方を囲む木に刻まれた魔法陣に触れると魔力を込めた。すると他の木に刻まれている魔法陣と共に淡く光った。
「結界を張りました。下位の魔物くらいなら入って来れないでしょう」
「それなら少しは安心できるな」
野営の準備をし食事を食べ始める頃にはすっかり暗くなっていた。焚き火の明かりが二人を照らしている。
固いパンと干し肉を軽く火に炙って食べた。固いのは変わらないが香ばしさが出てそのままより食べやすい。
食事をしているとイーリスの鞄がもぞもぞと動いた。彼女が鞄を開けると中からアビィが出てきた。
「お前もついて来たのか」
「留守番は嫌みたいです」
イーリスがパンを折って分け与えると直ぐに食べ始めた。
「アビィはネズミ、なのか?」
「よくわからないんです。おばあちゃんも見たことがない生き物って言ってました。森の中で一人ぼっちだったので拾ってきたそうです」
針のような体毛がある以外はネズミの仲間に見える。謎な生き物だ。
森の中からフクロウの鳴き声が聞こえるとアビィはパンを咥えイーリスのローブの中に隠れた。パンを齧る小さな音がローブから聞こえてくる。
空には雲が多く星の瞬きは見えなかった。細い月がぼんやりと雲の向こうに見える。
緩い風が吹き煙と火の粉を舞い上がらせた。
ソルはひと足先に食事を終えると言いそびれた事を伝えるべく躊躇いながらも口を開いた。
「イーリス、俺のことで伝え損ねていたことがあるんだが」
「何です?」
彼女は干し肉を割きながら首を傾げた。
「…実は俺は獣憑きなんだ」
言ってしまった。イーリスの表情を見ることができず目を逸らす。しばしの沈黙の後何か返答があると思っていたが何もない。
声もない程引かれているのか。目を戻すと、彼女は昨日のお金の話しの時のように顎に手をあてて考えこんでいた。獣憑きと分かった今、今後の計画を考えているのだろうか。そんなことを考えていると彼女の目が開いた。
「獣憑きって何ですか?」
「え…?」
予想外の一言に間抜けな声が出てしまった。
「ソルさんがとても真剣な様子で話してくれたところ申し訳ないのですが、私には獣憑きがどういったものか解り得る知識がありませんでした。勉強不足です」
イーリスは申し訳なさそうにしている。そんな様子を見ていると、一人であれこれ考えやきもきしていたのが馬鹿らしくなり笑ってしまった。
ひとしきり笑うと心の澱が晴れたような気持ちになった。
「私が無知だからって笑わないでください」
自分が笑われたと思った彼女は、明らかに不機嫌になっていた。これは弁明が必要だ、
「いや、すまん。そんなつもりで笑ったんじゃない。馬鹿な俺自身に対して笑ってしまったんだ」
「そんなことあります?誤魔化してません?」
「誤魔化してない。本当だ」
「…それならいいです」
まだ彼女の眉間に皺が寄っているが、とりあえず誤解は解けたのでヨシとする。存外顔に感情が出やすいタイプのようだ。
イーリスは干し肉を更に小さく割くと少しずつ口に入れていた。咀嚼し飲み込む頃には眉間の皺は消えていた。
「それで獣憑きとは何なのですか?」
機嫌が直った彼女の瞳には好奇心が宿っている。期待に添えるような説明ができるかわからないが、と前置きし話し始めた。




