4、取引
「イーリスはいい子だねぇ」
おばあちゃんの声がする。
「おばあちゃんとお散歩しよう」
手を繋いだおばあちゃんの手はしわしわしてる。
「お手伝いしてくれてありがとう」
おばあちゃんはお薬とパンの匂いがする。安心する、いい匂い。
「イーリスは魔術の才能があるね。頑張って勉強したらいい魔術師になれるよ」
おばあちゃんみたいな凄い魔術師になれるよう頑張るね。
おばあちゃん…どこにいるの…?
陽が傾き赤く染まる頃、イーリスはベッドで目を覚ました。震える瞼が大きく開かれる。
「起きたか。大丈夫か?」
ソルはイーリスを覗き込んだ。やはり視線は合わない。
「大丈夫です。私、気を失ってたみたいですね」
「急に倒れるから驚いたぞ」
「何だかいろいろ頑張り過ぎたみたいです」
イーリスは体を起こしベッドから足を下ろした。杖が近くにないか手探りで探す。
その様子を見たソルは、壁に立てかけていた杖を手渡した。ソルの中の疑問は確信に変わった。
「探しているのはこれだろ」
「ありがとうございます」
「お前、目が見えないんだな」
「…はい」
イーリスはソルの方を向いているが視線は彼を追っていなかった。
彼女の両目は僅かな光が分かるのみ。
「幼い頃に病気で見えなくなりました」
「そうか」
「でも魔力探知ができるのでそんなに不自由はしてないですよ」
イーリスは杖を撫でた。
「それに耳と鼻もいいんです。なので、あなたからおばあちゃんの匂いがするのが気になるんですが」
「あーそれはな…」
ソルはやや気まずそうに説明した。
気絶したイーリスをベッドに運んだ後、全身芋虫の粘液まみれだったので川で体と服を洗った。着替えもなく服が乾くまで全裸でいるわけにもいかなかったので、彼女の隣のベッドから薄い毛布を借りて外套のように羽織っていたのだ。
イーリスの衣服にも粘液が付着していたが、少量だったので布で拭く程度でとれていた。
「勝手に借りてすまん」
「いえ、そういう事でしたらいいですよ」
イーリスは薄く微笑んだ。
「こっちが本当のイーリス、なのか?出会った時と随分雰囲気が違うな」
無機質で何を考えているか分からない不気味な女から、年相応で柔らかい口調の儚げな少女へ変貌している。
「あれは“黒い森の魔女”を真似していたんです。似てましたか?」
「黒い森の魔女…童話のやつか」
確か冷酷な魔女が森に踏み入れる人間を全て消していくという話だった。皆一度は子どもの頃に聞いたことがあるような有名な童話だ。
「不気味さで言えば似てたかもな」
童話の挿絵はしわくちゃで腰の曲がった鷲鼻の老婆だったので、見た目はフードを被っていても似ていない。だが、何とも言えないじっとりとした怖さはあった。
「でも何でそんな真似していたんだ?」
「交渉相手にはまず舐められない事が重要だと教わりましたので。目の見えない私では有利な交渉は難しそうなので強者感を出すために頑張りました」
あれが演技ならかなりの演者だ。だが、頑張る方向が間違っているような気がする。
「交渉か。じゃあ俺がここへ来るのは分かっていたんだな」
「はい。魔力探知で気付きました。この辺りに人が来るのは稀なので警戒していたんです。」
「交渉内容はおばあちゃんのことか」
イーリスは頷き話そうとしたが、ローブの中から小さなネズミがもぞもぞと出てきた。イーリスの膝に乗り尖った鼻を彼女の手に押し付けた。
「あら、お腹が減ったの?まだパンあったかな」
アビィに話しかけながら頭を指で擽る。背中の針のような毛がわさわさと揺れる。
「お、食いしん坊ネズミだ」
「ふふ、この子はアビィといいます。とても賢いんですよ。今はお腹が減っているみたいです」
賢そうには見えないが丸々としたフォルムが可愛らしい。
アビィはまた鼻先を押しつける。催促しているようだ。
「日も暮れたし俺たちも食事にしないか?口に合うかわからないが一応準備したんだ」
「食事まで作ってくれたんですか」
「昼の礼もしないとと思ってな。テーブルのパンもスープも俺が全部食べてしまったからな」
ソルは少しばつが悪そうだった。
「さぁ、行こう。あの芋虫も待ってるぞ」
寝室の扉を開けると芋虫がこちらへ頭を向けた。イーリスが近づくとピィと鳴いて擦り寄った。
「こいつ慣れると意外に愛嬌があるな。野菜くずやると喜んでたぞ」
「ふふ、懐かれてますね。この子の名前はミミワといいます。普段は森の中にいますが呼ぶと直ぐ来てくれるんですよ」
見た目はアレだが、慣れると賢い大型犬と接しているようだった。
「今日はありがとう。明日お礼のにんじんあげるね」
イーリスがミミワの頭を撫でると巨大を揺らしながら土の中へ潜って行った。
完全に地中に潜った事を確認すると床の扉を閉める。
土の匂いが薄まると今度は香ばしい匂いがした。
「悪い、先に服着るわ」
ソルは暖炉の前に干していた服を急いで来た。概ね乾いているようだった。被っていた毛布は畳んで椅子に掛ける。
その間にイーリスはテーブルの椅子に座り、足元にいたアビィをまた膝に乗せた。
服を着たソルは暖炉の中から大きな黒焦げの包みを火かき棒で取り出し、ナイフで十字に切れ込みをいれた。すると中から湯気を上げる大きな葉の包みが現れる。
包みを平皿に載せるとテーブルへ運んだ。今度は包みを切り開くと中には蒸された魚と根菜類が入っていた。食欲を唆る香りが部屋中に広がった。
「とてもいい香りがします。魚、野菜、ハーブ
それにお酒が入ってるみたいですね」
「流石だな、当たりだ」
ソルは食器を並べそれぞれの皿に料理を盛った。イーリスの皿には魚の骨を入れないよう気をつける。
「俺の住んでいた地方でよく食べた料理だ。魚とハーブ類は外で調達したが野菜と酒は棚にあった物を使わせてもらった」
「楽しみです。頂いてもいいですか?」
「いいが、熱いから気をつけろ」
イーリスは杖を椅子に立てかけ、手で食器の位置を確認し食事を始めた。
芋はホクホク、玉ねぎは甘く、魚の身は柔らかい。程良い塩加減とハーブの香りが調和していい仕事をしていた。
「凄く美味しいです。いつも食べている食材なのに全然違います」
イーリスは驚いた表情を見せた。
「調理方法でかなり変わるからな。口に合うようで良かった」
彼女の様子を見ていたソルも食べ始める。有り合わせで作ったが上手くできているようだった。
アビィがキュイキュイ鳴き始めた。食事の催促のようだ。イーリスが冷ました芋を渡すと両手で持ち猛スピードで食べた。
ある程度食事が進んだところでソルは先程の話を切り出した。
「それでさっきの話なんだが、おばあちゃんがどうかしたのか?」
イーリスは食事の手を止めた。
「…おばあちゃんとはずっと二人きりで住んでいたんですが、一ヶ月前に街へ行ったきり帰って来ないんです。」
目が伏せられ、顔には不安が浮かぶ。
「今まで年に何回か街へ行くことはありましたが、いつもニ週間くらいで帰って来るのです。こんな事は初めてで…」
「それは心配だな」
ここで一つ疑問ができた。
「ん?ここは魔物が出る危険な森だろ。そんなところを気軽に通って街まで行けるものなのか?」
「おばあちゃんは魔術師です。それもかなり優秀だったそうです。この家の周りの魔物避けの結界もおばあちゃんが張ったんですよ」
「魔術師か」
それなら合点がいく。
結界の事は分からないが優秀な魔術師なら可能だろう。
「今回は私の誕生日のプレゼントに新しい杖を買って来ると言っていました。いつもより遠い街に行くけど帰るのはいつもどうりだって…」
イーリスは椅子に立てかけていた杖を手に手取ると、強く握りしめた。
「お願いです。一緒におばあちゃんを探すのを手伝ってください。私は幼い頃からこの森を出た事がありません。外の事に詳しい人の助けが必要なんです」
話の流れから想定していた頼みだった。命の恩人の頼みなら人探しくらい快く受けよう。だが気になることが。
「探すのはかまわないが、イーリスはここで待っていた方がいいんじゃないか?」
「気遣いありがとうございます。でもただ待っているだけは嫌なんです。私もおばあちゃんを探したい…自分の身は守れますから連れて行ってください」
強い意志を感じる声だった。
「それならば一緒に行こう」
イーリスの顔が緩み安堵の表情となる。断られると思っていたのか、無意識に緊張していたようだ。
そんな様子を見たソルはいつの間にか微笑んでいた。笑うなんていつぶりだろう。
二人は残りの食事を平らげると食器を片付け、今後の行程の会議を始めた。




