俺の存在感って、一体…
必要の無い予備校通い程、虚しいモノは無い。
予備校通いの初日の朝。
白いコットンシャツに黒いジーンズ。その上から黒字に白いラインの入ったカーディガンを羽織ってリビングに降りると、母が目を丸くして叫んだ。
『何て格好してるの!?』
何て格好って…何でだ?
戸惑う俺の目の前に、母はクリーニングの袋のかかったモノを突きつけた。
高校の制服だった。
『早く着替えてらっしゃい!』
真面目に言ってるのだろうか?何故に制服?
『いやいや、もう卒業したし。』
卒業してまで着たくないし。
『浪人生って言っても学生でしょう?学生って言ったら学ランでしょう?だから着替えてらっしゃい!』
『…………。』
おいおい、いつの時代だよ。
『早く着替えてらっしゃい、遅刻するわよ!』
と言うか…
『制服なんか着て行ったら、近所の人からまた変な事言われるけど。浪人って聞いてたけど、本当は留年だったのね?とか、言われたくないよね?だから着ない。』
また泣かれたくないし。
そう言うと、納得してくれたのか、母は渋々制服を仕舞った。
(疲れた…。)
まだ朝である。
まだ何もしてないのに、疲労困憊である。
通学電車を待ちながら、ホームで軽い目眩を覚えた。
これで終わりなら良かったのだが…その日は終始、目眩の大盤振る舞いだった。
他の生徒より遅れて入校した俺は、目立ちたくないと云う細やかな願いでさえ叶わなかった。指定された教室に入ると、他の奴らの視線を一身に受け…居心地の悪いこと、この上無かった。
後から入ったから目新しいのだろうが、実に鬱陶しい。鬱陶しいが、面倒なので我慢した。
予備校生活に友人など必要ない。
話しかけようとする輩を、
【話しかけるなオーラ】
全開で遠ざけ、何とか昼休憩まで遣り過ごした。
午前の講義の終わりを知らせるベルが鳴ると、そそくさと教室を出た。
午後からは図書館で自習する。医学書を読みたいから、と云うのが理由だったが、もう1つ加わった。
【話しかけるなオーラ】は、無駄に体力を消費する。
午後からの自習は、入校する時に申告して納得させた。勿論、後述でなく、前述の理由でだ。
正面玄関を目指して、脇目もふらずに歩く。
2階の売店を横切って、階段を降りてタイムカードを押して…。
頭の中に段取りを描きながら歩いていると、
『健一君?』
と、間の抜けた声がした。
俺の名前は健一だが、知り合いに下の名前で呼ばれることは無い。
従って、呼ばれたのは俺ではない。
構わずにズンズン歩いて居ると、
『待ってよぉ、健一君でしょう?』
肩を叩かれた。
(はぁ?)
不愉快を全面に押し出して振り向くと、たれ目で丸顔の、お人好しを絵に描いたような男が立っていた。
『やっぱり健一君だ!久しぶりだね。俺のこと覚えてる?』
何なんだ、そのセリフは。
お前は女子か?
てか、こいつは誰だ?
『悪いが覚えてない。』
悪いが話しかけないでくれ。
『そっかー。だよね、最後に会ったのって、小2の春休みだもんね。覚えてないよね。』
小2の春休み?
ってことは、転校する前か。
『浮羽で会ったのか?』
『そうそう!隣の家に住んでたんだよ。変わらないね。でも、少し恐くなったような気がするけど…気のせいかな?』
目の前の男は、さらっと怒りの種を撒いたのだが…全く悪びれた様子が無い。空気が読めない類いの人種だろう。
頭痛がしてきた。
『昔から格好良かったけど、相変わらず格好良いね!だから直ぐわかったよ。』
その言葉は要らん。格好良いは無駄な要素だ。
『剣道はまだ続けてるの?』
ん?剣道?
剣道は小1から続けて、中学でほぼ極めたが…ん?
剣道を習い始めた時に、一緒に通っていた奴が居たな。確か、隣に住んでた三人兄弟の…真ん中の…
『ひょっとして、登喜雄か?』
『そう、登喜雄だよ。良かったぁ…思い出してくれたんだね!』
目の前の男…登喜雄は、嬉しそうに破顔して、俺の手を取ってブンブンと振った。
それを見ていた女共が、『わー』とか『キャー』とか奇声を発した。
『……………。』
無表情で無言の抵抗を試みたが、空気の読めない登喜雄には、通じる筈もなかった。
通じるどころか、全く気に留めずに手を握り続ける登喜雄に、怒りがフツフツと沸いてきた。
『ちょっと来い!』
握られた手を振り解き、登喜雄の腕を掴んで強引に移動した。
背中に、女共の悲鳴が聞こえた。
奇声でなくて、悲鳴だ。煩わしいこと、この上無い。
頭痛だけでなく、目眩までしてきた。
登喜雄を引っ張って、地下の休憩室に移動した。依然として嬉しそうな様子の登喜雄に、叩いて遣りたい衝動に駆られたが、グッと堪えた。
『久しぶりの再会に水を挿すが、お前は女子か?』
言いたいことは山程あるが、先ずは最初の感想を述べてやった。
『男だよ。何言ってんの?』
キョトンと、首を傾げて言われてしまった。
だよな?お前の反応はそんなもんだろう。
『それから、下の名前で呼ぶな。もうガキじゃないんだ。弁えてくれ。』
『え?じゃあ、名字で呼ぶねw』
何故だか嬉しそうに応えやがった。
もう一度問う、お前は女子か?何で嬉しそうにしてやがるんだ?
面倒くさいから心の中に留め置いてやる。有り難く思え。
『それから、俺は目立ちたくないんだ。頼むから、さっきみたいなコトは止めてくれ。』
これが一番言いたかったことだったのだが…頭を抱える言葉が返ってきた。
『え?それは無理だよ。もう目立ってるし。朝から持ち切りだったよ。』
『………………。』
なんでだよ。 なんで何もしてないのに目立つんだ?
頭の中で、目立ってしまった要因を探すが…新入りと云うこと以外はまるで思い当たらない。
あれや此れやと探り続けていると、一番聞きたくない言葉を、『当たり前』とでも言うような顔で言い放たれた。
『だって、格好良いもん。』
『その言葉は要らん。』
思わず口に出してしまっていた。
『なんで?』とか『勿体ない』とか、勝手に言い募る登喜雄を前に、俺は眉間をグイグイと揉んだ。そうすれば頭痛が治まるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのだが、やはり効果は無かった。
『この顔はコンプレックスなんだ。お前も知ってるだろう?』
そうなのだ。
俺はこの顔のせいで、散々嫌な思いをしてきたのだ。




