天使と天邪鬼(3)
一目惚れ…そうなのだろう。
いや…そうなのか?
あの時確かに、惚れてしまうと直感でそう思った。
しかし…その直感が正しかったのか、実は良く解らない。
何故なら俺は、女に惚れると云う感情をまだ知らないからだ。
正直に言うべきだろう。
しかし、何処から話せばよいのだろうか?
逡巡しながら黙り込む俺を、田辺は辛抱強く待っていてくれている。その表情は穏やかで、責めるような感じは欠片も見当たらない。そんな相手に、偽りなど口に出来るはずはない。
意を決する。
口を開きかけたその時、けたたましい音と共にドアが開いた。
『あー、もう!やっと見つけた!』
『あちこち探したんだよ?』
開きかけた口を閉ざして入り口に顔を向けると、そこには平木と杉山が立っていた。
二人が入って来た途端に、張り詰めていた空気が一気に弛んだ。
『ん?何か用だったか?』
田辺の穏やかな声音で、更に空気が和んだ。
『もー、何かって…冷たいなぁ。プリントとノート、持って来たよ。』
杉山が膨れっ面で寄って来て、田辺の前に紙袋を置いた。
『あ、そうだった!悪い、てか、有難うな!』
杉山の腕をポンと叩いて田辺が礼を言うと、杉山は満面の笑みを見せた。そして杉山は、嬉しそうな顔のまま、田辺の隣に腰をおろした。
『いつの間にか二人が居なくなってるんだもんな。あれから原口が大荒れで大変だったんだぞ。』
『え?』
原口の名前を聞いて、とっさに彼女の顔が浮かんだ。
『何があったんだ?』
さっきまで穏やかだった田辺の顔が、一瞬にして険しくなった。
『田辺が出て行った後でゆかりんごが来てさ、あゆちゃんが気を利かせて帰るって言い出して…』
そう言いながら、平木は俺の隣に腰を下ろした。
『ゆかりんごって?』
『看護科コースの、吟子さんのグループの子だよ。』
田辺に杉山が説明したところで、マスターが二人にお冷やを差し出した。二人共カフェ・オ・レを注文したところで、話が再開した。
『気を利かせた、って何だ?原口に呼ばれて来てるんだ。あゆちゃんは帰る必要ないはずだろう?』
そう言って眉をひそめた田辺に、平木が苦虫を噛んだような顔をして説明した。
『原口にゆかりんごが言った言葉がワケありでさあ、それであゆちゃんは気を利かせたんだと思う。』
『て言うか…気を利かせたんじゃなくて、それ以上聞きたくなかったからじゃないかな?同じことされたら、俺でも帰りたくなると思うもん。』
杉山が辛そうな顔で割って入った。
『どんな話があったんた?』
田辺の顔が、益々険しくなった。
『連休でホテルの予約が取れなかったから、ラブホに泊まろう、とかなんとか…。』
杉山の声は、最後の方は消え入りそうになった。
『はあ?あの野郎、二股してんのか?』
呆れるような声だったが、田辺の顔は怒りに満ちていた。
『そっか…お前、休んでたから知らないもんな。原口のやつ、ちょっと前からゆかりんごと怪しいんだよ。この前、菊池が咎めたんだけど…呆れた理由を聞かされたらしいよ。』
今度は平木が説明し出した。
『呆れた理由?』
『ああ。あゆちゃんはヤらせてくれないんだって。だからゆかりんごと体の関係を持って、バランスを取ってるんだって言われたらしい。』
『はあ?なんだそれ。くだらない!』
『馬鹿にしてるよね。あゆちゃん、すごくイイ子なのに…。』
くだらない!と吐き捨てた田辺の言葉に、重ねるように杉山が言った。
ふわっと笑う彼女の顔が、悲しげに曇るのが脳裏に浮かび、いたたまれなくなった。
『ゆかりんごって子に対しても失礼だろう?全く…女の子は道具じゃないんだぞ!』
田辺の言葉は最もだった。
正論を返された杉山は、田辺の横で「ごめん」と悄気てしまった。
だが…平木の発言で状況は変わってしまうことになる。なにしろ、ひどい内容だったのだ。
『杉山が謝る必要はないよ。ゆかりんごは女原口だから。』
俺も田辺も、平木の言葉に仰天した。
『あの女…人の彼氏を寝取るのが好きみたいなんだ。原口は一応、リーダー的存在だろう?絶対に落とす!って、鼻息荒くしてたらしいよ。』
『……マジか。しかし…すごいな。』
目を丸くした田辺が、やっと絞り出した言葉だった。
その横で俺は、胸くそ悪くて吐き気をもよおしそうになっていた。
『そりゃひでえな。好色一代男の女版か。』
感心するようにそう言ったのはマスターだった。それから、平木と杉山の前にカフェ・オ・レを置いて、首を傾げた。
『で、その二股野郎は何で荒れたんだ?』
『あー…ひき止めたのに、結局あゆちゃんは帰っちゃって、それでブチ切れたんです。』
『子供か。』
平木の説明に、マスターは半笑いになった。
『あゆちゃん…大丈夫なんだろうか?』
そう言って顔を曇らせた田辺の隣で、俺も同じ心配をしていた。




