暴君と端正くん(4)
『なんだ?ケンカ売ってんのか?』
眉間に刻まれた筋を更に深くして、原口が目前に迫った。明らかに威嚇しているようだが、相手は俺を見上げる形である。滑稽でしかない。
『いや、喧嘩を売る気はない。無駄なエネルギー消費はしないようにしている。』
こういう輩を煽るのは簡単だ。激昂している相手に対して、冷静に理詰めで応じると、相手は益々憤慨するのだ。案の定、原口は俺の言葉に触発されてくれた。顔がくっつきそうな距離まで迫って来た。
『なんだと?お前、自分で何を言ってるか解ってんのか?揚げ足取ってんじゃねえぞ!やんのか、コラ!』
やや支離滅裂な原口の言動に、背後に居た人間達は明らかに同様している。後ずさる者、止めようかどうしようかと迷っている者…。見ているわけではないが、背中に感じる気配で、手に取るように解る。だが、そんなのはお構い無しだ。威嚇する男に冷静に返した。
『悪いが応じるつもりはない。』
冷静に返しただけの俺に対して、相手は勘違いをしたようだ。口元を歪に曲げて、ニヤリと笑った。
『キレイな顔だもんなぁ。殴られて痣を作りたくないよな。殴られるのが恐いんなら素直に謝れ。そうすれば許してやらなくもない。』
見事なまでの勘違いに、うっかり片眉が上がってしまった。
(やれやれ…。)
心の中でため息をつく。
そうではない。
『恐いからじゃない。アンタに怪我をさせたくないからだ。』
事実である。
理不尽な暴力を受けた後で剣道を習い、更に合気道で修練を重ねた。
そんなだから、相手がどんな手を使おうと受け流せる。
受け流すことを続けるうちに、相手は焦って勝手に怪我をする。
だからコイツも、此方が手を出さなくても怪我をすることになるのだ。
まぁ…修練したのは喧嘩に備える為ではなく、爺に文句を言わせない為であるが…。
だが、そんな俺の思いも、当然相手には伝わっていない。
『なんだと?』
さっきまでの下品な笑みは消え失せ、原口の顔は激昂して真っ赤に歪んだ。
その顔で鼻の穴を膨らませて、俺の胸ぐらを掴む。
その刹那、胸ぐらを掴んだ手を引き離し、ヒョイッと捻って押え込んだ。
背後から、息を飲む音と、『え?』と云う呆けた声が同時に聴こえた。それだけ、一瞬の出来事だったのだ。
原口はと云うと、手を捻られた瞬間に驚いた顔をし、今は押え込まれて苦悶の表情で耐えている。肘の際を押えられている為、顔が歪む程痛いのだ。
『顔を理由に仕掛けないでくれないか?俺はこの顔が嫌いなんだ。』
『だ、だから、なんだ…。』
歪んだ口元から絞り出すように、原口が言った。かなりの痛みのはずなのに、此方に顔を向け、睨み付けている。
凄い根性だ。それは認めよう。
『顔で因縁をつけられると、トラウマで理性が効かなくなるかもしれないからだ。』
俺の言葉に、原口が一瞬嬉しそうな顔をした。トラウマと云う言葉に、鬼の首を取ったような気にでもなったのだろう。
そうは行くか。
肘の際を押えた指を、強く食い込ませる。
『いででででっ!』
解りやすく苦痛に満ちた声を上げ、悶絶する原口。
憐れだ。
だが、コイツが杉山に与えた屈辱を思えば、当然の痛みだろう。
『見た目で判断する奴が多くてね…昔はよく絡まれた。合気道を学んでいたお陰で怪我はしなかったが、受け流すだけでも相手は勝手に怪我をする。あまり気持ちの良いものじゃない。』
原口の肘に食い込ませた指に、更に力を込める。
『理性が効かなくなれば手加減が難しくなる。計算尽くで受け流しても怪我をするのに、手加減無しで受け流せばどうなるか?』
そこまで言って原口を解放した。
肘を掴まれていた手が離れると、原口は立ち上がって俺を睨み付けた。表情だけは威勢が良いが、まだ痛むのだろう…。掴まれていた腕を無事だった方の腕で庇っている。
そんな原口を見下ろして、俺は唇の片方を上げて笑って見せた。さっき見た原口の笑みを真似たのだが、それを見た原口は顔をひきつらせた。
コレはお前が見せていた表情だ。
なのにお前が、コレを見てビビるのは可笑しくないか?
『争いは無駄にエネルギーを消耗する。だからなるべく争いたくはない。それだけだ。』
だからビビらなくて良い。
だが次は本気でビビって貰おう。覚悟しておけ。
原口に顔を向けたまま、平木と杉山の名を呼んだ。
『行こうか。』
そう言うと、二人は無言で頷いた。
二人を先に行かせて後を歩く。原口の横を通る時に、
『冷やせば治まる。試してくれ。』
と、小声で告げた。
俺の言葉に原口の表情が緩む。
それを視界の端で認めて、喫煙室を後にした。




