遠雷~side コレット~
完結マークを付けてからの追加ですみません^^;
番外編に載せるつもりだったのですが、やっぱりこっちに……。
ヴィルフレッド=ラヴィネルは、私の三つ上の兄。お菓子の腕を磨くべく、世界中を旅している。
私が自分のお店を出すときに、ここを選んだのも、以前兄がここを訪れて素晴らしい街だと言っていたから。
そんな兄が、突然店にやってきた。
「コレット! 久しぶりだな!」
両手を広げるヴィルの胸に、思わず飛び込んだ。埃っぽい外界の匂いにまざって、懐かしい匂いがした。
「ずっと来られなくてごめんな。
立派な店だな。お客さんもちゃんと……あ、邪魔しちゃ悪いな。
閉店まで、その辺ぶらぶらしてるよ」
そう言って、ヴィルは出て行った。お店の入口で見送ってから、お客様をお待たせしていたことを思い出す。
「す、すみません」
「いいえ、大丈夫です。お知り合いですか?」
「えぇ、ちょっと。プティング四つと焼き菓子の詰め合わせでしたよね。包装はいかがなさいますか」
「自宅用なので、そのままでいいです」
「わかりました。ありがとうございます。またのご来店をお待ちしています」
お客様に続いて、クラウス様もお帰りになった。見習いさんの研修って、大変そう。差し入れを受け取ってくださることになってよかった。
(フィロジキィって、フィラッカーでいいのかしら。
んん、今度、市場に食べに行ってみようかな。ヴィルも連れて行けば、喜ぶかもしれないわ)
その日もそこそこの客足で、お菓子は順調に売れた。売れ残った分は、いつもはご近所さんに配っているのだけれど、今日はヴィルがいるから試食をしてもらおう。
カララン。
ドアベルが鳴った。
「ただいま。そろそろいい?」
「お帰りなさい! うん、今、閉めようと思ってたところ。
上がって。お茶淹れるから」
カフェコーナーの椅子に腰かけたヴィルに、花茶を淹れる。それから、ちょっとどきどきしながら、私の作ったお菓子を並べた。
「よかったら、感想くれない?」
「おっ、コレットの菓子かぁ。いいよ。へぇ。美味そう」
ヴィルが一番に手に取ったのは、“ニーヴを讃える花”。
これは売れ残りじゃなくて、ヴィルのためにとっておいたものだ。
「これ、すごい凝ってるな。上の林檎は……揚げた? いや、干して焼いたのか。
パイ生地が……へぇ、なるほど。あぁ、これは、いいな」
ヴィルは一つ一つの素材を確かめながら、ちびちびと食べていく。私はといえば、伝票を数えながら、ヴィルのつぶやきに聞き耳をたてていた。
一つ目のお菓子を一通り食べたヴィルは、他のお菓子にも手を付けていく。
「ん~、これはちょっと甘さがくどいかな。いや、こういうのが好まれるのか?
俺ならもっと……。こっちはホワイトショコラ? ふぅん。なかなか……」
「どぉ?」
ヴィルがフォークを置いて腕組みするのを見て、話しかける。
「うーん、俺ならこうするってのはあるけど、どれも美味いよ。
コレット、腕上げたなぁ」
「本当? ありがとう!」
「で、これはさ、なんでこういうふうにしたの?」
ヴィルが指さしたのは、さっき「甘さがくどいかな」とつぶやいていたお菓子。
「あぁ、それはね。クラウス様が……」
「クラウス様?」
「うん。お客様なんだけど、お店のことですごく困ったときに助けてくださったの。
それからお話するようになって、お菓子のアドバイスをいろいろいただいているのよ。
すごくお菓子が好きな方で、ティル・ナ・ノーグのお菓子にとっても詳しいの」
「へぇ。その人が、これくらい甘いほうがいいって?」
「そう。伝統的に、このお菓子はこういう味なんですって。
お祝い事とかに使うみたい。私も、言われていくつかのお店のを食べてみたわ。
これでもあっさりしてるくらいなのよ」
「へええ。ところ変わればってやつだなぁ。
年は? 近いの?」
「んん、十歳くらい上だと思うわ」
「そっか。頼れる友達ができてよかったな」
テーブルに頬杖をついたヴィルは、にこっと笑ってそう言った。
「友達っていうより、あのね、えっと」
「何?」
「私の、憧れの人っていうか……」
まさか、ヴィルに「好きな人です」なんて言えるわけがない。
もじもじと言う私に、ヴィルはそんなに興味はなさそうに「ふぅん」と言った。
「そんだけ歳が離れてれば、友達ってわけにもいかないか。
なんにせよ、頼りにできる人がいるんだな。少し安心したよ」
「うん! お隣のメリルさんもとってもいい人でね……」
そうやって、ティル・ナ・ノーグで出会った人たちの話をしていたら、あっという間に時間が過ぎてしまった。
かなり遅くなってしまったお夕飯を食べて、私は寝台、ヴィルはソファで寝る。
「でね、クラウス様がそのとき……」
「ははっ、おまえ、ほんとその人のこと好きなんだなぁ」
「えっ、す、好きって、そんな」
「だって、さっきからずっとその人の話ばっかりだぞ。
甘いもの好きで、無口だけど菓子には詳しくて、いつも的確な助言をくれて、最近は一緒にカフェに行ってるんだろ。
日中も毎日のように来てくれるのか。優雅だなぁ。子どもはいないの?」
「子ども? いない、と思うけど」
ヴィルったら、何を言い出すんだろう。
え? いない、よね? 私、そういえばクラウス様の私生活ってあんまり知らないな。
「結婚はしてるよな? 十歳上でしてないってことないだろ」
「してないと思うわ」
たぶん。
そういうことって聞いたことないなぁ。
で、でも聞けないわよね。奥さんいるんですか、なんて。どうしてそんなこと聞くのかって言われたら、なんて答えていいかわからないもの。
ご家族のことを聞くならいいかしら。
今度お会いしたらさりげなく話題を振ってみようと思っていると、ヴィルもなんだか会話がかみ合わないことに気付いたのか、一瞬黙り込んだ。
暗くてわからないけど、きっと顔が見えたら「???」ってなってると思う。
「ふぅん。……まぁ、人それぞれか。じゃ、職業婦人ってやつ?」
「ふじ……? お仕事は騎士団だわ」
「え、騎士団の事務とか? もしかして女性騎士?」
あぁ、わかった。
ヴィルはクラウス様のことを女性だと思って話してたのね。
そっか。菓子店に足しげく通うって、男性のイメージじゃないものね。
「違うわ、ヴィル。クラウス様は男性なの。
言わなかったかな。ティル・ナ・ノーグ天馬騎士団の分隊長をなさってるの」
「だん……っ、男!?」
「うん」
ヴィルががばっと起き上がった。
「おおお、男!?」
「うん。名前でわからなかった?」
「いや、まぁ、男性名だけど、女でもいなくはないかなと。
男おぉぉぉ?」
あれ、なんだろう。
ヴィルが頭をかきむしってる。
ひとしきりなんだか暴れたと思ったら、寝台ににじり寄ってきて私の顔を覗き込んだ。
「そいつのこと好きなのか」
「えっ」
「どこまでいった」
「どこまでって……カフェとか孤児院とか」
「そういうボケはいらねぇっ
男? なんてこった。俺のかわいい妹に羽虫が寄ってきてやがった」
「ちょっと、ヴィル。しばらく会わない間に口が悪くなったんじゃない?」
前にヴィルに会ったのは、もう二年近く前。
ティル・ナ・ノーグにお店を出すときに、故郷で見送ってくれたのが最後だった。
「うるさい。手は? つないだのか。
もしかして、キ、キスとか。ここに泊めたのか?」
「ヴィルっ、何言い出すのよ!」
ヴィルに言われて思い出したのは、クラウス様が私の髪に口づけた夜のこと。
あれってどういう意味だったのか、いまだにわからない。
「なんだよ、おまえ、赤くなって!」
「顔色なんて、こう暗くちゃわからないでしょ!
馬鹿なこと言ってないで、早く寝て!」
「あああ、コレットぉ! 大人になっちまったのかぁ!?」
「私はとっくに成人よっ
明日も早いんだから、私、寝るからねっ」
「とっくに? コ、コレットぉぉぉぉ」
ヴィルはまだ騒いでいるけど、相手にしない。
もうっ、す、好きかどうかなんて、聞かないでよっ
翌朝、起きてみれば、ヴィルはちゃんとソファで毛布をかぶって寝ていた。
旅をしてきて疲れているだろうと起こさずにいると、お昼すぎに「腹減った」とのっそり起きてきた。
お客様が途切れたところで、一緒にお昼ご飯を食べる。
「クラウスってやつ、今日来た?」
「ううん、来てないわ。見習いさんが来てて忙しいっていってから、しばらくいらっしゃらないかもしれないわ」
「そっか。くそう、顔を拝んでみたかったな」
「昨日いたわよ」
「え?」
「ヴィルが来たときに、カフェコーナーにいらしたわ。
だから、てっきりわかってるものと思って……」
そういえば、お帰りになるとき顔色が悪かったような気がする。大丈夫かしら。
「覚えてないな。騎士団に行けば会えるのか?」
「どうかしら。あ、今度差し入れをする予定だから、もしその頃までいるなら、持って行ってくれない?
森の中で演習をするんですって。その日がちょうど定休日なら私が持っていけるんだけど、たぶん違うから」
「お、わかった。
ここの食文化もおもしろいからな。前はあんまりゆっくりできなかったから、しばらくいるよ」
「うん」
そうしてヴィルが私の家に居候することになって、代わりにクラウス様はぱったりいらっしゃらなくなった。
やっぱりお忙しいんだろうな。
今度の定休日は……きっとお休みになりたいだろうから、ヴィルと市場に行こう。クラウス様がお好きだという、フィロジキィを食べてみなくっちゃ。
そうして、差し入れをした日。
なかなか帰って来ないヴィルに、寄り道でもしてるのかなと思いながら閉店処理をしていると、顔見知りの分隊員さんが駆け込んできた。
「コレットさん! すみません、お兄さんが怪我をなされて……!
お手数ですが、至急宿舎までいらしていただけませんか?」
「えっ」
あのときは、本当に驚いた。でも、行ってみればたいしたことはなかったみたいで、元気だった。
それよりも気になったのは、少しお痩せになったクラウス様のこと。やつれた頬に、傷まであった。
「こちらも、お怪我を」
頬の傷に手を伸ばしたら、びくりと身を引かれた。痛むところに触ってしまったみたい。ご、ごめんなさい。
初めて入ったクラウス様のお部屋は、実用一徹という感じで、余計なものは何もなかった。でも、机の上に置かれたちょっとした物とか、走り書きのメモとかが目に入ってどきどきした。
帰り際、なんだか名残惜しくて振り向いたら、クラウス様が気付いてくださった。組んでいた腕をほどいて「どうした?」というように目線を送ってくれる。
「あの……。おやすみなさいませ」
何を言ったらいいかわからなくて、二度目になってしまったあいさつをする。
「あぁ。おやすみ」
するとクラウス様も返事をしてくださって、怪我をしていない方の腕をあげて手を振った。
……その手で撫でてほしいな、なんて思うのは私が贅沢になってしまっているせいかな。
クラウス様。
どうして、あのとき私の髪に触れたんですか?
どうして、お忙しいのに、休みのたびにカフェめぐりにつきあってくださるんですか。
どうして……。
これ以上考えると、自分に都合のいい期待をしてしまいそうで、慌ててヴィルを追いかけた。
ヴィルは、なんだかエメリッヒさんとの間に微妙な空気を醸し出していた。
この二人、少し似てるように思えるのは、私の気のせいかしら。
大通りを家に向かって歩く。
どこかで、犬の遠吠えが聞こえた。