「セレスちゃん」? 「美人じゃないですか」?
朝練と朝食を済ませたレオンハルトは王立騎士団本部の執務室にいた。いつもはバルドーがどっかりと中央に座る紺色のソファに、今はレオンハルトが足を揃えて腰掛けている。開け放たれた窓からは夜明け直後の涼しい風がわずかに吹き込んでいる。
「光栄だった……」
こうしてレオンハルトが独り言を漏らすのは珍しい。
レオンハルトは昨日のセレスティーヌとの決闘を思い返しながら、眼前の――デスクの後ろの、執務室に入るとすぐ目に入る、〝伝説の騎士団長〟ジークフリート・ローデンベルクの肖像画を眺める。
とても老齢とは思えない、ぴんと伸びた背筋。膝も曲がることなく、長身の筋骨隆々とした体にはいつも特注の鎧が纏われていたという。頭の毛は一切ない。レオンハルトのものよりも色褪せた紺色のマントは長い年月騎士団を率いていた証である。そして両手で地面に突き立てているのは、昨日目にしたばかりの、あの美麗で頑丈な剣だ。
騎士にはそれぞれ盾も支給されるのだが、ジークフリートは対人戦で盾を使用する機会は少なかったそうだ。その点はレオンハルトも同じである。「両手で剣を使ったほうが強い一撃を与えられるからだと。意味わからんよな」とジークフリートの考えを教えてくれたのは先代騎士団長である。
意味はわかるが、やはり戦場では危険すぎないだろうか。レオンハルトは最初こそ疑念を抱いたものの、実際に盾を捨ててみると、想像以上に決着が早くついた。それ以来、レオンハルトは剣のみで生き残る技を磨き続けている。たまに飛んでくる矢を片手で掴めるのも、盾を捨てた利点の一つだ。
ジークフリートがこの世を去ったのは、レオンハルトが二十二歳を迎えた年だった。王立アカデミーを卒業し、そのまま王立騎士団へ進んで五年目のことである。
当時すでに騎士を引退していた伝説の騎士団長の訃報を聞いた日の朝は全身の血の気が引いたものだ。あまりにも酷い顔をしていたのだろう。訃報を告げてきたバルドーに「悲しんでる場合か」と思いっきり殴られた。おかげで我に返ることができ、そのまま今日のように朝練を開始した。騎士が悲しんで立ち止まっていても民や国は待ってはくれないのだ。
そして同じ年、レオンハルトは異例の若さで王立騎士団騎士団長に任命された。レオンハルトが就任後に初めて取り掛かったのは、本部内の通路に飾られていたジークフリートの肖像画をこの部屋へと移動することだった。
この偉大なる伝説の騎士団長が、後ろから悪魔のような形相で睨みを利かせてきている。レオンハルトはそれだけで己を律することができる思いだった。
レオンハルトは両膝に肘をつき、両手で顔を覆った。そして深い深い溜め息をついた。
伝説の騎士団長が睨みを利かせてくれているというのに、昨日、王立騎士団の機密情報をうっかり漏らしてしまうところだった。しかも相手はその孫であり素晴らしい剣士であるセレスティーヌ・ローデンベルク。もうだめだ。このまま騎士団長として己を律し続けることができるのだろうか。
――いや。律するのだ。
レオンハルトは己の頬を叩いた。そう、騎士が悲しんでいても、落ち込んでいても、悔やんでいても、民や国は待っていてはくれないのだ。レオンハルトは年季の入った紺色のソファから立ち上がった。
盗難事件で捕らえ、拘禁している犯人たちの再犯防止策案の資料をレオンハルトが纏め終えた頃、ちょうど昼休みの時間を迎えた。
肩が凝った。これをさらに改善し、王宮に提出しなければ。その前に体でも動かそう。レオンハルトは稽古場に向かうことにした。昼食前に訓練している騎士はいるだろうか。何か役立つ助言ができればいいのだが。
「え、セレスちゃん、修得すんの早くね!?」
セレスちゃん。稽古場からバルドーがそう呼ぶ声が聞こえてきた。
「前々回の決闘でレオンハルト様に初めて見せていただいた技なのですけれど……」
レオンハルトの予想通り、稽古場にセレスティーヌの姿があった。今日も白と青の礼装姿で剣を――あっ、今日は昨日の剣ではない。レオンハルトの眉尻がわずかに下がった。
「団長が見せたん? 何日前?」
「ええと……六日くらい前でしょうか」
「ほっへぇ」
バルドーが間抜けな声を上げた。あの反応を見る限り、レオンハルトが教わって実戦で使えるまでに三日ほど要した技を、セレスティーヌは六日ほどで完璧に再現したようだ。ここが騎士団本部でなければレオンハルトもバルドーのように間抜けな声で驚いていただろう。
周囲には訓練に励む騎士がちらほらいる。おお、あの新米騎士、足捌きがよくなっている。
「真面目な話、なんで騎士になんねぇの?」
バルドーが剣をぶらぶらさせながらセレスティーヌに聞いた。
「幼い頃、おじいさまに言われましたの」
えっ、あの伝説の騎士団長が。レオンハルトは引き続き聞き耳を立てる。
「『お前が入団すると騎士団の秩序を乱しかねん』と」
わかるなあ。レオンハルトは晴天を仰ぎながら、今は亡き伝説の騎士団長に同意した。
「あっ。団長〜」
しまった。支柱に隠れるのを忘れていた。片腕を挙げたバルドーに呼ばれた。「レオンハルト様、ごきげんよう」セレスティーヌにまで見つかってしまってはもはや逃れられない。レオンハルトは腹を括って挨拶することにした。
「こんにちは、セレスティーヌさん。昨日はありがとうございました」
「こちらこそですわ。お邪魔しております」
「すみません、あちらで稽古している部下の様子を見たいので、僕は挨拶のみで失礼いたします」
「え、団長早っ」
だが嘘ではない。バルドーに指摘されつつも、レオンハルトは足捌きがよくなっている新米騎士の元に向かった。
新米騎士への指導も適当なところで切り上げ、レオンハルトは食堂に行くことにした。今日はたしか、今朝部下が駆除任務がてら捌いた鹿肉が出るんだったな。鹿駆除に出動した分隊はまだ狩りに慣れていない、訓練中の騎士が数人いた。ワイン煮込みにでもしたのだろうか。あ、煮込みだ。食堂に近付くにつれ、レオンハルトの鼻にふんわりと香りが届いてくる。
狩り、いいなあ。ここのところ、実戦らしき実戦はセレスティーヌさんとの決闘くらいだ。決闘も楽しいが、たまには予測不能な獣とも戦いたい。
そういえば、昨日のセレスティーヌさんの剣技は型にはまらない獣のようだっ――いやいや、違う、セレスティーヌさんは獣ではなく剣士だ。それに伝説の騎士団長のお孫さんでもある。いくら武門の名家ご出身とはいえ、相手を獣呼ばわりは不敬極まる。今思ったことは墓場まで持っていこう。
そう考えながら、レオンハルトは鹿肉のワイン煮込みを受け取って食堂のテーブルに着席する。
「なんで逃げたんスか団長」
そしてなぜか向かいの席にバルドーもやって来た。ゴゴッ、と椅子を引いて座るなり、バルドーは先ほどのレオンハルトの対応を指摘したのだった。
「別にセレスティーヌさんから逃げたわけではない」
「あれ、俺『セレスちゃんから逃げた』なんて言ってませんけど」
レオンハルトは勢いよく鹿肉にフォークを突き刺した。「お行儀お行儀」わざとらしいバルドーの声が聞こえたので、レオンハルトはきちんとナイフで切り分けて食べる作法を思い出した。
「――お前、ずいぶんセレスティーヌさんと仲がいいんだな」
そういえば、騎士団本部にセレスティーヌさんが現れる日にはいつも決まってバルドーが横にいる気がする。レオンハルトは記憶を掘り返した。そもそもどのような経緯で騎士団本部に来るようになったのだろう。そして自分はフォークで雑に食べているこの茶髪の副団長は、なぜ通行許可証を発行したのだろう。レオンハルトは慣れた仕草でナイフを扱う。
「ああ、まあ。セレスちゃんにコテンパンにやられてから、他のやつらもやけに向上心芽生えてて」
「昼休憩に稽古場で訓練する騎士が増えたような気がしたのはそのせいか……?」
ではあの新米騎士の足捌きが前よりもよくなったのもか。レオンハルトは不思議がる。だが、訓練が好調なのはいいことだ。
「ていうかセレスちゃん、全然諦める気配ないですね」
「何をだ?」
レオンハルトが聞き返すと、肉を咀嚼していたバルドーの顎が一瞬、ぴたりと止まった。そしてまた動きを再開し、目を丸めたまま飲み込んだ。
「団長。マジ?」
「何が?」
さらにレオンハルトが聞き返すと、バルドーはこれまたわざとらしく溜め息をついた。
「結婚ですよ結婚」
誰との、とは言わなかったのはバルドーなりの配慮だったのだろう。レオンハルトがそう理解したのはバルドーに言われて五秒後のことだった。
「あーあ、さすがのモテっぷりだぁ」
このバルドーには返事はしない。
「俺だったらセレスちゃん選ぶのに」
「は?」
これには返事、というより、つい反応してしまった。レオンハルトは先ほどのバルドーのように目を丸めた。『かかったな』とバルドーのニヤけ顔が物語っている。
「だってセレスちゃん、気取ってないし、強いし、楽しいし」
気取っていないのはわかる。強いのも知っている。戦いが面白いのも理解できる。だがレオンハルトは腑に落ちない。
「バルドー、お前、美人が好きじゃなかったのか」
「は?」
さっきから何なんだお前は。レオンハルトはバルドーの言葉や表情の意図がわからず、鹿肉を雑に食べてやりたい衝動に駆られた。
「何言ってんの団長。セレスちゃんも普通に美人じゃないですか?」
美人。
「え?」
レオンハルトがそう首をかしげたと同時にその手にあるナイフとフォークの動きが止まった。バルドーもまた手と言葉を止める。
「……うわ〜……」
先に喋ったのはバルドーだ。
「団長さぁ……これだからモテ男はイヤだねぇ……すっかり目が肥えてらぁ……やめなさいね? そういうの」
「いや、バルドー、違っ」
「あーあ。これをセレスちゃんが聞いたらどんな顔するんだろ〜」
「口が裂けても言うな!」
こっちはさっき獣扱いしかけたばかりなんだぞ、とはさすがのレオンハルトも慎んだ。
「僕はそっちを意識してなかっただけだ」
「団長、そっちって?」
「……戦い方しか気にしてなかっただけだ!」
ふーん、へーえ、ほーお、というバルドーのゴシップ好きの相槌まがいの声を、レオンハルトは一切無視することにした。




