恋人になりたいということなんだろうな
セレスティーヌと〝クレームブリュレの日〟を新設した翌日、レオンハルトは夜明け前に王立騎士団本部の敷地内と外周の落ち葉掻きを済ませ、使い古した麻袋をいっぱいにした。落ち葉掻きは、先日のご令嬢行列で業務に支障をきたした騎士への詫びの一つとして代行した。敷地外の落ち葉は何周もランニングしながら一つ残らず素手で拾い集めてみたが、案外、薄暗い環境で目を鍛えるのに役立つものだ。これからは定期的に代行してもいいな。
そうして麻袋を稽古場に持ち込んだところで、剣を片手に朝練中のバルドーと出くわし「暇なら訓練に付き合ってくれ」と頼んだのだった。
今は〝クレームブリュレの日〟の顛末を話しながら、バルドー相手に落ち葉を何枚も投げている最中だ。バルドーはレオンハルトから神速で投げられる落ち葉をすいすいと避けている。
「――んで、お母様がいたから砂かけ一門に弟子入りを申し出たと?」
「ああ。直接お母上に入門を願い出たが、入門テストで不合格だった」
「俺はどこからツッコめばいいんでしょうか」
バルドーは真顔で何枚目かの落ち葉を躱した。レオンハルトが「僕が落ち葉を投げるから全力で避けてくれ」と頼んだので、バルドーはそれに素直に従っている。
「『落ち葉で額に傷をつければ合格』……僕が投げた落ち葉はお母上の鼻先に傷をつけただけだった……」
「つけんな。傷を。落ち葉で。お母様の鼻先に」
うおっ、とバルドーがすんでのところで体を反らした。今のはいい線だった。
「『千年に一度の逸材だ』との評価はいただいたが、入門テストは不合格……」
悔しい。しかし燃える。入門テストを通った先には何が待ち構えているのだろうか。レオンハルトは念願の騎士になり、剣術の型の修得に励んでいた頃の高揚感に似た昂りを覚えた。
「千年に一度て。開祖以来何年目よ今?」
バルドーの赤茶色の髪が一本切れた。
「ローデンベルク流砂かけ術が始まるきっかけとなった時代から考えるに、おそらく五十年以上は経っているだろう」
「思ってたより歴史あったけど何とも言えない微妙な数字ですね」
はあ、とレオンハルトが溜め息をこぼした。願わくば、開祖である伝説の騎士団長――ジークフリート・ローデンベルクにも自分の技量を見てもらいたかった。
「僕にはまだまだ鍛錬が必要なんだ」
レオンハルトの投擲精度がさらに向上する。これはやべえ、とバルドーがいよいよ剣まで抜いた。
「だからってこうして朝っぱらから、掃除がてら集めた落ち葉を俺に向かって投げるこたーないと思うんですがね」
バルドーの剣が落ち葉をスパスパ両断していく。
「バルドー、お前は避けるなり剣で斬るなりしてくれればそれでいい。後片付けは僕がやる」
「うん。俺も後片付けしてやる気はさらさらないです」
「それと、今日はセレスティーヌさんはお越しにならないと思うぞ」
「あれ、なんで?」
二枚同時。行けるようだ。しかしコントロールが難しいな。レオンハルトは次に三枚の落ち葉を同時に構える。
「例の、火あぶりの達人がいる喫茶店にお母上と一緒に行くと仰っていたからな」
「パティシエね」
「ああ。パティシエという仮面をかぶった火あぶりの達人だ」
パティシエ可哀想、と棒読みで嘆くバルドーの剣によって三枚とも斬られた。
「セレスティーヌさんと、あのお母上のことだ。……きっと十皿は余裕で平らげることだろう」
「あのね団長。そんな『十人くらい余裕でぶっ倒すだろう』みたいに言わんでも」
「同じことだ。セレスティーヌさんは言わずもがな、お母上も研究熱心な方とお見受けしたからな」
両手で投げてもダメか。だがスピードと角度さえコントロールできれば両手で投げる意義もあるかもしれない。しばらくレオンハルトの両手が落ち葉をシュシュシュと飛ばす。
「昨日が初めてましてだった相手の何がわかるってんです……」
「わかるさ。でなければ本流の師範は務まらない」
「分流あんの?」
「いや、なさそうだ」
「ないんかい」
先ほどよりマシになったか。
「ほんで?」
「なんだ?」
バルドーの剣がくるりと円を描き、十枚の落ち葉が斬り刻まれて地に落ちた。
「デートですよデート。楽しかった?」
「…………楽しかった」
「楽しかったんだ」
「楽しかった。計画を考えてくれて助かった。ありがとう」
今度は二重に円を描いた。
「それから、デ、デートについてお前に聞きたいことがある」
「へいへい。何ですか?」
「バルドー、お前は……その……先日、〝デート〟なる儀式は〝恋人〟という関係性の者たちが行うと言ったか?」
「言ってねぇよ。一般的な恋人がするデートについて、ショッピングデートを例にして話しただけだよ」
儀式とすら言ってねぇよ、とバルドーの剣が斬る速度を上げた。
「団長。あれですか?」
「なんだ?」
「『僕たちはまだ恋人じゃないからこれはデートじゃないよなあ』とか思ってんですか?」
「……さすがの洞察力だな。恐れ入った」
掴み投げはどうか。レオンハルトはやけくそ気味に麻袋の落ち葉をごそっと掴んで投げた。「照れ隠し?」とバルドーにすべて斬り落とされてしまったが。
「恋人じゃないやつらもしますよ、デート。普通に。一般的に」
「……何のために?」
「相手と仲良くなりたいし。たまに誘われるし」
「お前は誘われただけでほいほいと女性について行くというのか?」
「ハニートラップには気を付けてますよ」
「ならいい」
レオンハルトは今日のところは掴み投げを諦めた。「あとは、そうだな〜」とバルドーが言う。
「『あの子、絶対俺のこと好きだろ』って思ったら誘ってみたり」
「ぜっ……好っ……」
「逆に『あの子のこと好きだな〜』って思ったら誘ってみたり」
「……誘って何になる!」
やはりもう一度だけ掴み投げを試みる。
「何になるも何も、恋人になりたいからでしょ」
そしてやはりバルドーの剣にすべて斬られた。
「こいっ……びと、にはならないだろう、デートという儀式だけでは」
レオンハルトは身をかがめ、下から落ち葉を投げてみる。
「ああ、告白ってやつですか?」
「そうだ。その交渉をしてみなければ恋人にはなれないはずだ」
高速で目だけ狙われると怖いですね、とバルドーは落ち葉の感想を述べた。
「だからセレッちゃんも夫婦になるための交渉として団長にプロポーズしてんでしょ?」
「ふうふっ」
口ばっか狙われるのも嫌ですね、とまた感想をもらった。
「それはっ、なんというか……セレスティーヌさんは段階を飛ばしている気がする!」
「けどまあ貴族ですし」
「家の都合で婚姻関係を結ぶ貴族と一括りにしてはならない、その……独特な交渉の仕方だと思う、あのプロポーズとやらは」
「そーですね。そこは同感です」
「だろう?」
今さらながら疑問しかない。『剣をもって求愛すべし』という家訓に則った、決闘でのプロポーズは。レオンハルトは屈伸を繰り返しながら落ち葉を光の如き速さでバルドーに投げる。
「団長はセレッちゃんと恋人になりたくないんです?」
「こいっ……具体的にどのような損得があるんだ、恋人とやらは」
「損得って。うわ〜ヤな考え。ヤな男!」
「ちがっ……その……世の恋人たちはなぜ恋人になったのかがわからないんだっ」
屈伸運動のスピードが増した。
「なぜ恋人に、ねぇ……」
バルドーの視線が空中を舞う落ち葉だったものを追う。
「俺だったら」
「お前だったら?」
「俺以外の男のこと考えてほしくないから、かなぁ。俺だったらね」
「……思考を占拠したいということか?」
「占拠って言い方やめてください」
戦闘じゃないんですから、とバルドーの冷ややかな声が返ってきた。
「あとは、そうですねぇ……」
「まだあるのか……」
「あんまり気分よくないでしょ、俺が好きなレディなのに他の男がベタベタ触るの」
レオンハルトの屈伸運動が止んだ。
「顔こわ」
怖い表情をしているらしい。「すまない」とレオンハルトは可能な限り顔の筋肉を緩めた。
「……不可侵条約というわけだな?」
「あ〜。俺以外の男と不可侵条約を結んでほしいって感じです」
「なるほど」
「比喩としてね。あくまでね。宣誓書とかいらないですからね」
「いらないのか」
「ほしいなら書けば、としか」
強制するもんじゃないですよ、というバルドーの忠告にレオンハルトもこくりと素直に頷いた。
「あとは〜」
「まだあるんだな」
「そりゃあね」
足が暇になったので、レオンハルトはバルドーを中心にぐるぐる走りながら落ち葉を投げることにした。「死角から飛んでくるの怖いですね」とバルドーは回避と剣での両断を用いる。
「お互いが特別な相手ですよって認識してほしいじゃないですか」
「特別」
「家族とか友達とかとは違うけど……俺は少なくとも他のレディよりは恋人を優先しますし、相手の誕生日は二人で祝いたいし、俺の誕生日も二人で過ごしたいですし。まあ騎士は中々うまく都合つかないんですけどね」
地面に溜まった落ち葉のくずをレオンハルトの足がざくざくと踏み鳴らす。
「有給休暇は自己申告もできるぞ」
「ンなこたぁ知ってますよ。例えです。ものの例え」
「……特別か……」
落ち葉のくずが小刻みに鳴り出した。「コレだいぶ怖いですね」とバルドーが振るう剣も速くなる。
「てか知ってます?」
「何をだ」
「昨日、団長がセレッちゃんとおデートしに行ってから、他の野郎どもまでみなぎってんのなんのって」
みなぎる。
「闘志が?」
それしか思い当たらなかった。
「闘志っつーか、『団長のデートの誘いに乗るんなら俺らのデートの誘いにも乗るのでは?』という団長への闘争心です」
がさ、とレオンハルトの足が一瞬止まったが、またすぐに走り出した。
「……『いかなる理由があろうとも他人様の手柄を横取りするべからず。他人様の手柄は心から褒め讃えよ』」
「ほ〜? 団長、それ言えるんだ」
ちょうどバルドーと目が合ったので、レオンハルトはその赤茶色の瞳に向かって落ち葉を連投した。
「……言いたいわけじゃない」
「でも?」
「僕もその教えに則る。則れるような人間になりたい」
「それはまたご立派な心がけですこと」
俺だったら言えねえわ、とバルドーは屈んで落ち葉を避けた。
「俺は横取りしたいし心は汚ねえもん」
「不貞行為は処罰対象だからおすすめしない」
「正攻法で奪うのをモットーに生きてます」
「ならいい。十分綺麗だ」
屈まれてばかりでは退屈なので、レオンハルトはバルドーの足元へ落ち葉を投げる。「こえっ」とバルドーが飛び上がった。
「僕は」
「うん」
「セレスティーヌさんに、僕以外の男性のことは……」
「うん」
レオンハルトの走る速度は緩やかになったが、宙を駆け抜ける落ち葉の枚数が増える。
「……考えてほしくない、とは言えない。相手の自由だからだ」
「うん」
「僕がお慕いしているのに、他の男性がセレスティーヌさんをベタベタ触るのは……」
「うん」
今度は速度が増し、枚数が減った。
「……ベタベタ触られているセレスティーヌさんはあまり想像できないが、僕は嫌だとは思う。不可侵条約は双方合意の上で結びたい」
「うん」
「お互いが特別な相手だ、とは……そうだな……」
また落ち葉を踏み鳴らすリズムがゆっくりになった。
「そうであってほしい、と思う。一緒にクレームブリュレの日を祝うのは、僕であってほしい」
「そっか」
「ああ」
「謎の記念日ですね」
「私的な祝日だ」
恋人か、とレオンハルトがぽつりと呟いた。
「なりたい、ということなんだろうな。僕は」
「そこは団長にしかわかんねっスよ」
「そうだな」
バルドーの動きがこなれてきたので、レオンハルトは走るのを止めた。
「他の男性がセレスティーヌさんをデートに誘うのも、告白という交渉をするのも自由だ」
初心に返り、一枚ずつ落ち葉を投げることにした。
「だが、セレスティーヌさんに初めて勝った人間が僕である以上、僕は決闘の勝者の座を誰にも譲る気はない」
「たぶん誰にも奪えませんて」
「『埃相手とて一切油断するべからず』だ」
バルドーの騎士装束に小さな穴が空いた。「すまない、あとで繕う」とレオンハルトは投げ続ける。
「普通に『好き』って言え」
「すっ」
バルドーの髪がまた一本切れた。
「団長はセレッちゃんの何なんですか」
「決闘と求婚相手」
「んじゃセレッちゃんは団長の何なのさ」
「……決闘と求婚を申し込んでくる方で……こっ、恋人という契約関係になりたいお相手」
ふーん、とバルドーが軽やかな剣捌きで落ち葉を斬り捨てていく。
「セレッちゃんが騎士になろうとしても?」
レオンハルトの投げた落ち葉が今、最高速度を記録した。
「顔顔。団長。顔、とんでもないことになってますよ」
「……騎士同士の恋愛は禁止されてはいないし」
「そうだね」
「騎士同士で結婚した前例も何組もある」
「そうですね」
「ただ騎士団長としては、もしセレスティーヌさんが騎士になったら、今後の運用方針に悩んでしまう。前も話したが、セレスティーヌさんの戦い方はトリッキーすぎる」
「そうだね」
「今はそれしか言えない」
「うん。そうですね。それでいいと思います」
「……今度ちゃんとお考えを聞く!」
「そうしてください」
訓練もういいですか、とバルドーから声が降ってきた。レオンハルトは両手を膝に当て、ぜえはあ、と息を切らしている。「ああ。助かった」と答え、今日の訓練は終了することにした。まもなく夜明けだ。はやく稽古場を片付けねば。
レオンハルトは地面一帯に散り積もった落ち葉だったものを「目と足腰を鍛えるか」と素手でくまなく拾っていった。そうしてまたしても満杯になった麻袋を見て、なんとなく心も満たされた気になった。




