猪狩り五年
「落ち葉のくずを農園にお譲りしたんですの?」
バルドーと夜明け前に落ち葉投げの訓練をした翌日の昼、セレスティーヌはいつもの礼装姿で王立騎士団本部の稽古場に来ていた。
レオンハルトは休憩がてら、彼女と並んで野ざらしの長椅子に座っている。二人の目の前で剣を打ち鳴らしているのは、バルドーとジャンだ。
「はい。先日の猪狩りでご協力いただいた農家の方に」
「畑、猪被害で荒れてましたものね」
猪に荒らされた畑すべてに行き渡るかは微妙な量だが、ないよりはマシだろう。
「あ、そうだ、セレスティーヌさん。マチルダさんは、火あぶりの達人についてどう仰ってましたか?」
「『うちの人もうかうかしていられないな』と嬉しそうに言っていましたわ」
「嬉しそうだったんですか」
「お母様もお父様も、お互いが腕を上げると喜ぶんですの」
ああ、わかる気がする。レオンハルトはちらっと隣を見る。――ワンピースを装備した影響ではなかったのか。レオンハルトはすぐ顔を逸らした。
「『いつかローデンベルク流クレームブリュレの師範の座を奪ってやる』がお母様の口癖の一つですのよ」
「現在の師範はローデンベルク卿でしたね」
「ええ。お父様も砂かけ術の師範の座を狙ってますわ」
これで夫婦仲は良好なのだから不思議なものだ。いや、これだからこそ良好なのか。「うわあっ」とバルドーに圧されて躓きかけたジャンに、レオンハルトは「筋はよかったぞ」と大きく声をかけた。
「あの眼鏡をかけた赤毛の騎士様が、先日の猪狩りで情報をまとめてくださった方なのですわね」
「はい。ジャンと言います。騎士団のことなので詳しくは言えませんが、色々試させてるんです」
「色々……」
レオンハルトは今朝、バルドーからここ数日のジャンの成果を聞いていた。情報収集や整理、軍用犬の世話は向いているが、剣の腕は人並みらしい。だが〝らしい〟では納得できなかったので、こうして直接バルドーとジャンの手合わせを見学しているというわけだ。
「……セレスティーヌさんも騎士になってみたいとか……?」
そしてもう一つの目的がこれだった。
「わたくし?」
セレスティーヌは深青色の瞳をぱちくりさせた。「はい」とレオンハルトは顔を逸らすことなく答える。
「先日、バルドーからそう伺ったのですが……」
「ああ、行列の日ですわね」
「はっ……い。その日に伺いました」
だんだん行列の件に触れられることに慣れてきた。セレスティーヌがちっとも嫉妬する様子がないことにも。
「そうですわね……騎士になったら……」
「……なったら?」
何か具体的な目標があるのだろうか。それとも、やりたい任務があるのか。
「できればレオンハルト様と共闘させていただきたいのですけれど」
共闘。
「……えっと、それはなぜでしょうか?」
嬉しいが、まず理由を聞かねば。
「猪狩り、本当に楽しめましたもの!」
「それはっ……僕もです……!」
嬉しくなる理由が増えた。そんなレオンハルトの心になど気付かない様子で「けれど」とセレスティーヌは頬に手を添える。
「騎士の皆さまは、年がら年中、猪狩りばかりなさっているわけではありませんでしょう?」
「まあ、はい。さまざまな業務があります」
「どんなお仕事でも楽しめる自信はありますけれど……」
楽しめるのか。どんな仕事でも。いや、楽しめるのだろう、ローデンベルク家に生まれたセレスティーヌならば。
「やはりわたくしは、騎士になったら当分レオンハルト様と猪狩りだけしたいんですの」
「だけ」
「はい。五年も続けたら満足できると思いますわ」
「五年」
「ええ」
五年かあ。
レオンハルトはバルドーに型を教わっているジャンを眺める。五年間、セレスティーヌと猪狩りだけかあ。せっかく有望な人材であるセレスティーヌに、騎士として命じる任務は猪狩りだけ。それも五年間かあ。
騎士団長としては叶えられそうにないなあ。
「ですので、おじいさまがご忠告なさったように、きっとわたくしは騎士には向いていないのだと思いますわ」
「……ということは、つまり……」
「なってみたい気持ちはありますけれど、騎士にはなりませんわ。騎士団長のレオンハルト様に猪狩りばかりさせるわけにはまいりませんもの」
五年間、一緒に猪狩りだけしたいのは本気らしい。
「すみません……はい、それだとさすがに困ります……」
「ですわよね? わたくしも、急に山籠りしたくなる時がありますもの」
「山籠り」
「プチ武者修行ですわ」
プチ武者修行という方法があるのか。日帰りは〝プチ〟に含まれるのだろうか。
「騎士になったというのに三日も山籠りしてしまうと、職務放棄と見なされますもの」
三日が暫定〝プチ〟らしい。レオンハルトはプチ武者修行を諦めた。
「だから騎士にはなれそうにありませんわね、わたくしは」
失礼だと承知しつつも、レオンハルトも同意見だった。「そう、かもしれません、ね」と言葉は濁した。
「……それと、レオンハルト様」
「はい」
「わ、わたくし、お母様に……聞いてきましたの」
セレスティーヌが声を潜めたので、なんだろう、とレオンハルトは思考を巡らせる。そしてすぐに思い当たった。デートのことだ。
「そっ……それで、マチルダさんは、なんと?」
レオンハルトも小声になる。
「お母様は、お父様と契約する前にも、その……デッ〝デート〟なる儀式を行ったとか」
「バルドーも……同じようなことを言ってました……」
しばらくジャンの掛け声と、型の通りに剣を振るう音だけが聞こえた。
「わわわたくしっ、ジャン様とお手合わせ願いたいですわ!」
えっ、とレオンハルトが手を伸ばした時には、もうセレスティーヌは剣を片手にジャンのもとへ駆け寄っていた。「どぅぇええっ、セレッ、セレスティーヌさんとですか!?」とジャンはあからさまに動揺している。
――ジャンも以前、決闘の見学に来てたんだったな。
それがきっかけとなり、バルドーがその素質を見抜いたのだ。あたふたしながらもセレスティーヌの前で剣を構えるジャンを見て、レオンハルトは「頑張れよ」と声援を送った。
「勝者の余裕ですか」
セレスティーヌと入れ替わるように隣に座ったバルドーは、開口一番そう言った。
「余裕なもんか」
「だんちょー。俺に聞かれたくなかったら、もうちょい小声で話したほうがいいですよ」
「わかってたさ。お前、少しニヤついてたぞ」
「いやあ、おもしろくて」
他人をおもちゃにする性格は褒められないが、バルドーは剣の教え方はうまい。ジャンは意外にも粘っている。
「足の筋肉かな」
レオンハルトはジャンの両足に着目した。足腰と体幹をもう少し鍛えれば、剣の押し合いになっても困らなさそうだ。
「体力もほしいトコですね」
「そうだな。体質かもしれないが、同年代の騎士より華奢だ」
「改めて見るとセレッちゃんはバケモンだなぁ」
「人だ」
「団長もですよ」
「人だ」
ジャンの剣が弾き飛ばされた。
「も、もう一回、お願いします、セレスティーヌさん」
おお、粘り強さがある。いいな。
「もちろんですわ!」
いいなあ。
「――人が増えてきましたね」
バルドーの言ったとおり、稽古場には騎士がぞろぞろと集まり始めている。
「昼食を食べ終わったんだろう」
自主的に訓練をする者と、セレスティーヌとジャンの稽古試合を見物する者に分かれている。
「団長。これ、ジャンが世話してる軍用犬なんですけど」
バルドーは小さな手帳を取り出し、とあるページを開いてレオンハルトに見せた。ニール。トム。どちらも軍用犬ではなく騎士の名前だ。
「気性が荒っぽくて」
「そうみたいだな」
〝団長への暴言確認。粗暴傾向あり。てか短気〟と赤字で書かれている。その短気な二人は、今も稽古場のセレスティーヌに夢中だ。
「早いうちに手ぇ打っといたほうがいいかもですね」
「危害を加えそうか?」
セレスティーヌに。
ニールもトムも、ジャンとともに決闘を見学していた、セレスティーヌ狙いの騎士だ。
「ジャンには向かないでしょうね」
セレスティーヌへの害意はなさそうか。
「わかった」
害意が向くとすればこちらか。ならばいっそわかりやすく反逆でもしてくれれば話が早いのだが、悪事を願うものでもないか。
レオンハルトは溜め息をついた。
万が一、セレスティーヌに矛先が向かうようなことがあってはならない。たとえ彼女が返り討ちにできる実力者であったとしても、だ。
「はやく契約しちゃえばいいのに」
「……それはもう考えてる」
おっ、とバルドーが驚いたのは、またジャンの剣が弾き飛ばされたからではないだろう。
「今日じゃないぞ」
「でしょうね」
おお、またセレスティーヌに挑むのか。ふむ、その前に自分の弱点をセレスティーヌに質問するとは。ジャンの剣の腕前はたしかに人並みだが、ある程度までは伸ばせるだろう。
「ジャンの自主練メニュー、考えてみるかなあ……」
「団長基準で考えないでくださいね」
「わかってる」
ひとまず次の稽古試合を見てからだ。レオンハルトは前のめりになった。
「――本音を言いますけれど、わたくし、ジャン様相手に少々手心を加えさせていただきましたの」
巡回に行く、とバルドーに告げ、レオンハルトはセレスティーヌをローデンベルク邸まで送り届けることにした。
その道中、セレスティーヌは先ほどの稽古試合について語り始めた。
「ジャンはバルドーと稽古した直後でしたし、僕だったとしても手加減していたと思いますよ」
「そう、わたくしもそう考えたのですけれど……」
セレスティーヌは顎に人差し指を当てる。
「ジャン様にご自身の弱点を教えて差し上げたら、すぐに改善の兆候が見られたんですのよ」
「僕も見てました。器用なものですよね。感心しました」
あのあと、ジャンの動きは明らかに改善していた。とはいえ発展途上であることはたしかだが。
「わたくし、騎士ではなく、レオンハルト様になってみたくなりましたわ」
「へっ?」
理由がさっぱりわからない。思わず隣を見ると、こちらを見上げるセレスティーヌと目が合った。
「だってレオンハルト様は毎年、新人の騎士様をお迎えしてらっしゃいますでしょう?」
「ええ、まあ。ジャンは二年目ですが……今年は二十名余りを新しく騎士に登用しました」
騎士の登用については毎年、新聞でも周知されている。
「それだけ未来の猛者と出会えているわけですわよね?」
「はい、猛者になってほしいと願いながら出会ってます」
「ずるいですわ。羨ましいですわ」
「……それだけですか?」
「それだけでしてよ?」
ぷふっ、とレオンハルトは顔を逸らして吹き出した。
「今度王立アカデミーに見学へ行ってみようかしら……」
「セレスティーヌさんもずるいですよ。僕も行きたいです」
今のうちに若い芽を見ておきたい。
「……レオンハルト様がいらしたら、士官クラスの生徒と言えど、全員が緊張してしまいませんこと?」
「僕が来たくらいで緊張するようでは」
「それもそうですわね……」
「僕は緊張しましたけどね。セレスティーヌさんのおじいさまが見学に来られた際に」
当時はとっくに騎士団での肩書きを返上していたが、それでもセレスティーヌのように興味津々だったのだろう。レオンハルトが王立アカデミーに入学して数年後、ジークフリート・ローデンベルクがふらりと授業にやってきた。直々に教えを乞うことはできなかったが、乗馬訓練中、ふと視線が合ったジークフリートの、あの一瞬の深い青色の瞳は今でも鮮明に覚えている。
レオンハルトがジークフリートの姿を直接見たのは、その日が最初で最後だった。
「懐かしい思い出です」
そう、この隣の深い青色の瞳とそっくりだった。違うのは、こちらのほうが、ずっと見ていたいと思えることくらいか。
「レオンハルト様。なら、『僕が来たくらいで』だなんて言えませんことよ」
「いや、僕とおじいさまとでは、かなり違うかと……」
なんせあちらは肖像画であっても睨まれている威圧感があるからだ。そのおかげで仕事が捗るのだが。
「あ、そうだ。セレスティーヌさんに提案があるのですが」
「いかがなさいまして?」
「次の決闘です。お互い、武器を二種類持つことにしませんか?」
前からやってみたかったことだった。
「武器ですのね?」
「はい。盾がよければ盾をお持ちいただいても構いません」
「……悩み甲斐がありますわね」
「当日まで秘密にしておきましょう」
「よろしくってよ。わくわくしますわ!」
「ええ、僕もです」
「生き物はなしですわよね?」
「はい。なしで」
その手があったか。いつか騎馬戦もしてみたい。
「着きましたわね。送っていただいてありがとうございました」
「いえ、ちょうど巡回の予定もありましたので」
ローデンベルク邸の門前は今日もグレッグが守っている。レオンハルトは彼に一礼した。
「セレスティーヌさん。お屋敷の中に入られるまで見届けるのが、僕の送り方です」
「そうなんですの?」
「はい」
では、とセレスティーヌが門を通り、レオンハルトにカーテシーをした。レオンハルトも敬礼し、セレスティーヌが無事屋敷に入っていくまで見守った。
2026/10/27段階で次話の冒頭まで執筆しておりますが、スケジュールとの兼ね合いにより、次話から不定期更新とさせていただきます。




