その宣言(プロポーズ)は控えてほしい
決闘開始時刻になり、アリーナに出たレオンハルトとセレスティーヌ。二人は雨着を身に纏うことなく、いつもの装束で剣を構えている。その間にも雨は容赦なく降り注ぎ、土を叩いている。
「雨の中での決闘は初めてですね、セレスティーヌさん」
不思議だ。
控えの間では緊張していたというのに、ここでセレスティーヌと真正面から向き合っても、レオンハルトが動揺する気配はない。
「そうですわね、レオンハルト様」
レオンハルトの白銀の髪、セレスティーヌの金色の髪、そして二人が構えている剣の刃が一瞬光った。
「雷も鳴ってきましたわ」
どん、と雷が血を鳴らす音が遠くで響いた。だがセレスティーヌは雷鳴には目もくれず、まっすぐレオンハルトを見ている。
「落雷に備えて分隊を各地に待機させています」
レオンハルトもまた視線を揺らがさない。レオンハルトが思うに、今落ちた雷は民家のない森林だ。しかし被害者がゼロとはまだ言い切れない。今夜にでも調査チームを派遣しよう。
「避難指示や誘導、消火といった防災訓練も定期的に実施し、各分隊に二名は経験のある人員を配備しています。有事の際に現場が混乱する可能性は低いでしょう」
レオンハルトは淡々と述べた。するとセレスティーヌの目が細くなる。
「レオンハルト様。それはわたくしに開示してもよろしい情報でして?」
その心配か。なるほど、とレオンハルトは納得し、こくりと頷く。白銀の髪から雨粒がいくつか落ちた。
「むしろ、住民の皆さまに少しでもご安心いただくために積極的に開示すべき情報だと僕は考えています」
「一理ありますわ。では、わたくしの友人に広めてもよろしくって?」
「はい。構いません」
また刃が光る。しばらく待つと、やはり落雷の音がした。「遠くなりましたわね」とセレスティーヌが呟いた。
「セレスティーヌさん。今日はお互い、いつもより装束が泥で汚れるかと」
「あら、そんなことを気にしていては戦士など務まりませんことよ」
「そう仰るだろうと思いました。肝心なのは、国の色を纏って戦うという事実だけですからね」
「一言一句同意いたしますわ」
「それでは、セレスティーヌさん。よろしいですね」
「ええ。今日こそレオンハルト様に勝って、プロポーズいたしますわ」
レオンハルトは鼻で長く息をした。
「……その宣言を控えていただくことはご相談可能でしょうか?」
前言撤回だ。慕っている相手からプロポーズなどと言われては動揺する。レオンハルトは表情筋を崩さないことで精一杯だ。
「今までも宣言してきましたけれど……」
そう言われると何も反論できなくなる。レオンハルトは剣を握る手に力を込めた。
「……いえ、失礼いたしました。決闘という場で戦士に口上を控えてくれなどと、同じ戦士としてあるまじき願いでした」
レオンハルトはあっさり願いを取り下げた。
そう、今は一人の戦士同士である。このくらいで心が乱されていては、国を守りながら戦争に勝利などできるものか。そう、自分は一人の戦士であり、王国の象徴である色をその身に纏って剣を持つ騎士なのだ。レオンハルトは「受けて立ちます」と本分を取り戻す。
「対戦、よろしくお願いします、セレスティーヌさん」
「よろしくお願いいたしますわ、レオンハルト様」
どちらの足ともわからない、ばしゃ、とぬかるんだ土を蹴る音が鳴る。一瞬、世界が白くなった。紺と青だけが動く。やがて剣を振りかざすレオンハルトとセレスティーヌの姿、そして世界が戻る。
二人の剣がぶつかった時、雷雲が大きく唸った。
――やはり剣だけがいい。
ここ数日は盾も持って戦っていたが、レオンハルトには剣一本で攻防を兼ねるのが合っている。
何度か剣を叩きつける。セレスティーヌが持つ、伝説の騎士団長ジークフリートの愛剣――雨に濡れても美しい。跳ね返った土がその刃に張りつこうとも、一撃一撃放たれるたびにそれらが飛んでいく。
いいな、雨の日に見る火花というのも。レオンハルトがあえて刃に角度をつけて斬りかかれば、そのたびに明るい光が弾ける。
じゃっ、とぬかるんだ土が大きく鳴る。レオンハルトが思い切って後退してみたからだ。マントが大きく翻る。
――こうすれば来るだろう、正面から。
レオンハルトの予想通り、セレスティーヌは助走をつけて駆け出す。少しは疑うことを知らないのか。こちらまで届く直線上の地面を、あえて足で掻き乱しておいたというのに。レオンハルトは苦笑した。
だが、やはり、ぬかるみに足を取られるような下手は打たないか。
さすがローデンベルク流歩法のマスターランクだ。セレスティーヌは不安定な土の上をしっかりと駆け抜け、その勢いのまま剣を振りかぶってきた。
今日一番の轟音が響いた。雨の音にも雷鳴にも負けない、鈍く光る銀色の剣がぶつかる音が。
――雨の日もいいな。
レオンハルトは深い青色に映る火花を見ながら、今度は雪の日も見てみたい、嵐の日も、と願う。今日もセレスティーヌは笑顔だ。つられてレオンハルトの口角も上がった。
レオンハルトの剣が、雨を受け止め続ける地面に座り込んだセレスティーヌの喉元に突きつけられた。
「降参ですわ」
セレスティーヌは右手で剣を握りつつ、そう微笑んだ。二人の頭上では雨雲がごろごろと呻いているが、先ほどよりは鳴りを潜めてきたか。
「対戦、ありがとうございました」
レオンハルトは剣を引き、一礼した。
彼女なら自力で立てるだろう。レオンハルトはあえて手を貸さないことにした。やはり、セレスティーヌは剣を柔らかな地面に突き立て、ふう、と息を吐きながら立ち上がる。
「こちらこそ対戦ありがとうございました。レオンハルト様」
また負けましたわ、と言いこそすれ、セレスティーヌの表情は一足先に晴れている。
「レオンハルト様はマントをご着用なさっていますから、後半はわたくしに分があると思いましたけれど……やっぱり、それくらいでは倒れませんのね」
「久しぶりの雨天での戦いだったので、勘を取り戻すのに時間がかかりましたが……」
レオンハルトは笑いながら左手でマントの端を掴む。決闘開始前よりずいぶん重くなったものだ。
「これが弱点にならないための訓練もしてますので」
たまに井戸水でマントをたっぷり濡らし、王立騎士団本部の外周を走るのがレオンハルトの三日に一度の朝練内容だ。
「わたくしも持久力を上げようとしているのですけれど」
「ああ、やっぱり。足元が不安定で雨の負荷もあるのに、以前より粘ってくるなと思ってました」
「本当でして!?」
セレスティーヌが金髪ごと体を弾ませた。元気になるのが早いな、と思いつつ、レオンハルトは笑った。そしてマントから手を離し、今しがたまでのセレスティーヌの戦いぶりを振り返る。
いつもならば攻撃パターンが単調になる後半でも、今日のセレスティーヌは捻った技を繰り出してきた。
「まさかフェイントを仕掛けられるとは想定していなかったです。危うくカウンターされるところでした」
つい先ほどの、セレスティーヌが地面に膝をつく寸前の出来事だった。
「舞踏会でレオンハルト様からスタミナ切れを指摘されましたから、父と猛特訓したんですのよ」
えっ、とレオンハルトが前のめりになる。
「どんな特訓っ……かは、聞かないほうが、いいですね」
敵に手の内を晒すようなものだ。レオンハルトは語尾に進むにつれ声を小さくした。しかし「特別なことはしてませんことよ」とセレスティーヌはけろっと言う。
「父と二人並んで剣を持って、庭を十周ほど走りながら、お互い気が向いたら剣で不意打ちするんですの」
「ずっと並走したままですか?」
「ええ。不意打ちの影響で多少は前後しますけれど、そのあとはまた並んで走りますわ」
なるほど、今度バルドーに付き合ってもらうか。レオンハルトは副官の朝練内容を思い出しながら考える。
「あ、ちなみに僕は、マントを濡らした状態で騎士団本部の外を走ってます」
「……わたくしもドレスを濡らして走ってみようかしら」
「結構重たいですよ」
「庭を三周することから始めてみますわね」
あ、そろそろ控えの間に戻りましょうか、とレオンハルトが気付くまで、二人は土砂降りの中で訓練内容を教え合っていた。
「あの、セレスティーヌさん。こちらですが……」
セレスティーヌと控えの間に戻り、レオンハルトは暖炉に火を点けた。そのままタオルで髪や顔を軽く拭いたレオンハルトは、荷台に置いた荷物の中から一つの小瓶と一枚の書類を取り出した。
「あら。こちらは……お薬でしょうか?」
レオンハルト同様、セレスティーヌも髪や頭を拭いている。礼装に付着していた泥は、アリーナへの出入口でおおかた落としてきた。改めて両手をタオルで拭ったセレスティーヌは、そのままタオルを片腕に掛け、レオンハルトが差し出した小瓶と装束を受け取る。
「王立騎士団で風邪防止に飲まれている薬酒です。書類は、外部への持ち出しと受け渡しの許可証です」
「まあ。それでは許可証から読ませていただきますわね」
「どうぞ」
セレスティーヌがアリーナへの出入口で泥を落とした時、レオンハルトもマントの水分を力強く絞ったが、それでもやはり多少は残っているようだ。窓から雨粒がぽつぽつと入り込んでいるのと同じように、マントからも時折水滴が落ちている。剣も拭いたが、念のため、刃を剥き出しにしたまま壁に立て掛けている。
「レオンハルト様。許可証、確認いたしましたわ。ありがたく頂戴いたしますわね」
「お酒には変わりませんので、服用する時はお気を付けくださいね」
「わかりましたわ。じつは、わたくしも似たようなものを持ってきておりますの」
セレスティーヌもごそごそと荷物を漁る。
「こちらですわ」
そう言ってセレスティーヌが見せてくれたのは、小瓶に入った粉末と一本の羊皮紙だった。
「おじいさまが開発なさった滋養強壮剤ですのよ」
「伝説の騎士団長が……!?」
「こちらの書類は、王宮から開発と服用を認可していただいた証明書ですわ」
「それは騎士団長の僕が見てもいい証明書ですか……?」
いくら王立騎士団を統率する長といえど、王宮から発行された書類をそう簡単に目にしていいはずがない。レオンハルトは両手で目元を隠す。「逆でしてよ」とセレスティーヌから指摘される。
「この薬品が合法のものかレオンハルト様にこそ確認していただかねば、これを現在も服用している我が家はお取り潰しになってしまいますわ」
「……たしかに」
レオンハルトの目が出てきた。
セレスティーヌが言った通り、王立騎士団長である以上、証明書が本物かを確認しなければならない。偽造された証明書ならそのままローデンベルク家を調査する必要がある。――調査するなら武具や技法書がいい。そんなことを思いつつ、レオンハルトは証明書を拝借し、紐を解く。
「――はい。証明書の内容と、王宮の印影、それから発行者の印影を確認しました」
証明書は本物だ。レオンハルトは羊皮紙を巻き直し、セレスティーヌに返却した。
「それでは、よろしければこちらをお使いくださいまし」
セレスティーヌから小瓶を受け取ったレオンハルトは、おお、と粉薬に感服する。
「伝説の騎士団長が滋養強壮剤まで開発なさっていたとは……」
「わたくしが生まれるよりもうんと前のことだと聞いておりますわ」
「先ほど拝見した許可証も、発行日は古かったですしね。大戦からおよそ十年後の日付でした」
レオンハルトは両手で大事そうに持つ小瓶に釘付けだ。大戦での経験が活かされているのだろうか。この無数の細かな粒は伝説の騎士団長ジークフリートが倒してきた敵兵の数か、それとも敵兵に与えてきた傷の数か。いや違う、彼が命を賭して守ってきた王国民の数か。ああ、きっとそうだ。
「ありがたく……使わせていただきます……!」
レオンハルトは唇を噛み締め、セレスティーヌに深く一礼した。そして滋養強壮剤を荷物の奥に仕舞い込む。
「お互い、風邪には気を付けましょうね、レオンハルト様」
「……はい……! 少し暖炉で暖まってから解散しましょう」
大きめのタオルも持ってきています、とレオンハルトがセレスティーヌ用の新しいタオルを差し出すと、セレスティーヌもまた持参してきていた。二人はやはり一度押し黙り、「お互いへの礼として交換しましょう」と肩から腰まですっぽり包める大きさのタオルを受け取りあった。
タオルに身を包み、膝にブランケットを掛けて長椅子に並んで座る。雨はやや小降りになったが、まだ止みそうにはない。
――今日言わなければ。
レオンハルトが先ほどジークフリート秘伝の滋養強壮剤を仕舞った時、荷物の中の手帳が視界に入った。そしてご令嬢方が行列を成した日に、バルドーから投げつけられたメモの存在を連想したのだった。
ぱちっと暖炉の火が弾ける。あ、薪が少し崩れた。
「……あの、セレスティーヌ、さん」
おかしい。窓の向こうに広がる市街地は相変わらず雨が降り続けているというのに、レオンハルトの耳には窓に滴る雨粒のぽつぽつという音と、暖炉の火がぱちぱちと燃える音しか届かない。
緊張だ、これは。
レオンハルトは、王立騎士団に入団して初の戦闘任務に向かう時の気持ちを思い出していた。
「……明後日、の、午後二時から午後五時までの、ご予定が……空いてましたら……」
レオンハルトはまっすぐに目の前の暖炉の火を見つめているが、セレスティーヌがこちらに視線を向ける気配がした。レオンハルトは一度、ぎゅっと下唇を噛み、こう続ける。
「……ぼ、僕と、一緒に……甘いものを食べに行きませんか……?」




