しかしこれからどうすんの?
陽が入ってくる窓越しに、訓練中の騎士の掛け声や、扉の向こうから業務について話しながら歩く騎士たちの物音や声が聞こえてくる。
「でもさ〜、団長」
執務室のソファにどっかり座っているバルドーは、ごきっと首を鳴らしつつ、ドーナツを片手に持ったレオンハルトへ視線をやった。
「セレッちゃんが『騎士になってみたくなりましたわ』って言った時の目、半分マジに見えましたよ」
「入団テストがあるなら……」
ドーナツに噛みつく前、レオンハルトがそう言いかけたが、「いや」と発言を撤回する。
「入団テストは突破するだろうな、セレスティーヌさんなら」
「でしょ。個人のためにテストの方式を変えると、他の連中から不満が出ます」
王立騎士団への入団テストは、筆記と実技に分かれている。筆記は主に王国の法律や周辺諸国にまつわる問題、それから簡単な戦略問題。実技は試験官との一対一での手合わせと、騎士二名との手合わせ。受験者と二人一組になって騎士との手合わせ。また、獣用の簡単な罠を仕掛ける実践問題と罠を解除する実践問題、そして応急処置の実演だ。どれも当代の騎士団長が立ち会う。
セレスティーヌならどれもこなすだろう。レオンハルトはドーナツを一口食べた。ほのかに紅茶の匂いがする。おいしい。
「不合格にする理由ならいくらでも思いつくんだが」
特に、他の受験者と二人一組になって騎士と手合わせする実技なんか。レオンハルトが言う。
おそらく筆記はクリアするだろうから、セレスティーヌを不合格にするなら、実技での振る舞いだ。レオンハルトが溜め息をつく。
「セレスティーヌさんは不屈の精神の持ち主だからな……」
彼女が本気で騎士を目指せば、何度でも入団テストを受けに来るだろう。そうなると不合格の理由も徐々に減ってしまいかねない。レオンハルトは眉間を寄せる。ドーナツに練り込まれた茶葉がほろ苦い。
「セレスティーヌさんが騎士か……」
レオンハルトはもぐもぐとドーナツを味わいつつ目を閉じる。
そのまぶたの裏には、騎士装束で身を包んだセレスティーヌが元気に働く姿が映り始めた。
「レオンハルト団長! 畑を荒らす猪と、ついでに害鳥もモリモリ狩ってまいりましたわ!」
狩りすぎである。レオンハルトは騎士姿のセレスティーヌ――の背後にある、三十五頭の猪と三十五羽の鳥の山を前に苦笑した。「さすがです」とレオンハルトが言うと、セレスティーヌは誇らしげに、しかし物足りなさそうに「まだまだですわ」と応じる。
一緒に狩りたかった。
後日、レオンハルトは害獣駆除任務に、またしても騎士姿のセレスティーヌを同行させる。「レオンハルト団長」と険しいセレスティーヌの声が後ろから聞こえてきた。
「後方からの援護はお任せくださいまし! どんな獲物もズドンと撃ち抜いてみせますわ!」
とても頼もしい。そしてやはりセレスティーヌは害獣に次々と矢を命中させ、レオンハルトがその喉を突き刺す。セレスティーヌが放った矢とレオンハルトの剣が同時に猪の頭を貫いたら――とても楽しいだろう。
七十頭の猪の山を背に、レオンハルトはセレスティーヌと右手を打ち鳴らした。
「レオンハルト団長……わたくし、仲間から告白されましたの……」
えっ。
執務室へやって来るなり頬を赤らめながら報告してきた騎士姿のセレスティーヌに、レオンハルトの眉がぴくりと跳ねた。レオンハルトの反応を待たずにセレスティーヌは退室していった。すさまじい速度のニンジン歩法で。
また別の日、騎士姿のセレスティーヌが厳かな表情で執務室へ入ってくる。
「レオンハルト団長、ご結婚なさるんですのね」
え。
「心から祝福いたしますわ。おめでとうございます!」
そう敬礼するセレスティーヌの表情は、仲間の勝利を祝う、凛々しいものだった。レオンハルトは眉に力が入る。「レオンハルト団長」また騎士姿のセレスティーヌが執務室に来た。
「わたくし、騎士仲間の……あちらの彼と、恋人という結婚前段階の関係になる交渉をいたしましたの。交渉は成立しましたわ。団長も祝福していただけますわよね?」
「……いやいやいや! できるわけがないだろう!」
ばちっ、とレオンハルトがまぶたを開けた。食べかけのドーナツ片手に、もう片方の腕で空になった紙袋を抱え込む。
「――妄想終わりました?」
バルドーから冷ややかな声がかかった。「ああ」とレオンハルトはうっすら汗をかきながら頷く。
「……今は目立った紛争はないし、国内の主要都市の治安も落ち着いている」
「そうですね」
「ただ」
ごくん、とレオンハルトはドーナツを飲み込む。
「現在の情勢が最高の、最大限の平和なのかは僕にはわからない」
「そッスね」
「だからいつ戦火に包まれるかわからない。戦争に繋がる予兆のようなものは……過去の史料から学ぶことはできるけどな」
「はい」
「もしセレスティーヌさんが騎士になったとしたら」
としたら、とバルドーが復唱した。レオンハルトが続ける。
「たとえば偵察部隊に加えて、敵の行動……特に敵の戦い方を見てもらって、我々の拠点でそれを再現してもらえば役に立つだろう」
「あ〜、再現率すごいですもんね」
セレスティーヌが騎士団の技を修得する速さは群を抜いている。それは稽古場でセレスティーヌ本人と過ごしているバルドーも既知のことだ。「ああ」レオンハルトが頷く。
「僕が予想する限り、密偵としての技術は未知数だが、教えれば粗方習得はしてくれるだろう」
「まあ想像はできます」
「利点はたくさんある。セレスティーヌさんが騎士になることの」
とはいえ、とレオンハルトは締めくくろうとする。
「デメリットはさっきも言ったように、セレスティーヌさん頼りになることだ。そこが釣り合うかどうかだな」
「いくらでも使いようはあると思いますけどね、俺は」
「そこは僕も同感だ」
ドーナツも食べ終わる頃だ。ほろ苦い味がおいしかった。レオンハルトは空になってしまった紙袋の中を眺め、おいしかったなあ、としみじみ思う。あ、パンくずがある。レオンハルトは紙袋を逆さにし、細かな残りを口に放り込んだ。
「まあ団長、騎士の件は置いといて」
「うん?」
よし、すべて完食した。レオンハルトは紙袋をそっと両腕で包み込む。
「決闘はどうすんの?」
がさ、と紙袋が鳴った。
レオンハルトは唇を舐め、バルドーから窓へと視線を移す。天気がいいな。晴天も好きだが、たまには雨も拝みたくなるというものだ。雨天でしかできない訓練もある。
降雨中に的を射ったり。
レオンハルトは異国から迎えた来賓の護衛から譲り受けた短弓を見る。あの弦、王国で普及しているものとは微妙に違うんだよな。だからこそ実戦で使えないのだが。いつか取り寄せてみたい。
クロスボウも。
セレスティーヌから預かった、伝説の騎士団長ジークフリート自慢のクロスボウ。バルドーがローテーブルに置いてくれたが、デスクから見てもやはり貫禄がある。盾もだ。年季の入ったソファとはいえ、クッション性はまだ保たれている。その上に立てかけられた盾は、俺は頑丈だぞと主張しているようだ。あ、少し古傷がある。盾がきちんと使われてきた証拠だ。
しかしクロスボウを改造し、専用の技法書まで残すとは。レオンハルトは背後に立つジークフリートの肖像画を仰ぐ。
先代はジークフリートについてあまり話したがらなかった。
だが、ジークフリートを嫌っているというより、ジークフリートが騎士団長だった頃、先代が是が非でも経験させられた数々の苦汁の味を思い出したくない、というような顔だった。とはいえレオンハルトがめげるわけもなく、少しは話を聞き出せたのだが。
先代といえば、結局、ペンの手入れをする時間を設けられなかった。予定だと昼休憩にでも手入れを、と思っていたのだが、あのご令嬢たちの件があっては仕方ない。レオンハルトに結婚を直談判しにきた、ご令嬢行列のことである。
しかし三十五名全員に、このソファは不評だったなあ。
「……どうすればいいんだろうか」
ようやくレオンハルトの薄い水色の目がバルドーの顔に戻ってきた。「はぁ〜〜〜」とバルドーがそれはそれは長い溜め息をつく。
「セレッちゃんと結婚は?」
レオンハルトは頬がかっと熱くなる感覚がした。
「したいんですね」
バルドーが代弁した。「だっ、だが、バルドー」レオンハルトは紙袋を離そうとはしない。
「だからって……決闘で負けるのは」
するとバルドーがソファの背もたれに頬杖をつき、こう言う。
「それはどっち?」
「どっち、と言うと?」
「騎士団長として負けるやつ? レオンハルト・グランツシュタインという男として負けるやつ?」
なんだ、そういうことか。レオンハルトはバルドーの質問の意図を汲み取った。そして「決まっているだろう」と語気を強める。
「どんな戦いであれ、僕は負けるつもりなんか毛頭ない。王立騎士団を率いる騎士団長としても、一人の男――いや、レオンハルト・グランツシュタインという人間としてもな」
にや、とバルドーが笑った。
「あッぶね〜。返答によっちゃ殴ってましたよ、今」
バルドーの右手がひらひら泳ぐ。
「こちとら〝最強〟を担ぎ上げてんスから」
「ああ。皆に担いでもらってるよ、ありがたいことにな」
歴代の偉大な先達を押しのけてまで〝最強〟と呼ばれたくなどない。自分はまだ発展途上なのだから。
とはいえレオンハルトは、強さを求めることは生来、嫌いではない。そして最近、より一層楽しめてきたところなのだ、セレスティーヌのおかげで。
「今んとこは大丈夫そうで安心しました」
「ああ。もし僕が騎士団長という立場を忘れかけたら、遠慮なく殴ってくれ」
「あーい」
んで、とバルドーは話を本筋に戻す。
「セレッちゃんとの結婚ですけど」
「待っ、待て。ちょっと待ってくれバルドー」
レオンハルトがデスクと見つめあったままバルドーに右手のひらを掲げる。「何ですか」バルドーの声はぶっきらぼうだ。
「け、けっ結婚……というのはだな」
「はい」
「まずはおそらく、たぶんだが、政略結婚でもない限り、まず前段階の関係性になる必要があるのではないか? 結婚という話が持ち上がる前段階の。たぶん」
なんだそりゃ、とバルドーが天井を仰ぐ。だがすぐに、ああ、と思い当たる節を見つけたようだ。
「恋人ってことですか?」
こくこくこくと俯いたままのレオンハルトが小刻みに頷いた。
「セレッちゃんと恋人になりたい?」
「……それが……」
レオンハルトが両手で顔を覆いながら顔を上げる。そして指の隙間を小さく空け、ちらりと薄い水色の瞳でバルドーを覗き見る。
「こ、恋人……とは、一体何なんだ?」
「はぁぅぇえ?」
バルドーらしくない素っ頓狂な声だった。




