嫉妬くらいしてくれないのか
レオンハルト一人だけではなく、複数の騎士の業務に支障が出てしまった。
最後のご令嬢が退室した執務室で、レオンハルトは椅子の背もたれに上肢を預ける。
時刻は昼休憩をとっくに過ぎている。これがバルドーだったら、もっと早くお断りできたんだろうな。「レオンハルト様のお顔が大好きなんです」と告げてきたご令嬢にもレオンハルトは「僕にはお慕いしている女性がいます」と返答したが、「嫌です、レオンハルト様のお顔がいいんです」と食い下がられるだけだった。再度「僕にはお慕いしている女性がいます」と言ったものの「私にはレオンハルト様のお顔しかないんです」と粘られ、そのご令嬢一人だけでも何度「僕にはお慕いしている女性がいます」と言ったかわからない。
結局、「兄の顔は僕とよく似ています。一度お戻りになって兄をお誘いして確かめてみてください」と捻り出せたことでレオンハルトは攻防を制したのだった。兄には改めて謝罪しておこう。
騎士たちにも詫びなければ。
しかしどう説明すればよいものか。個人の資金で豪華な食事でも――いや、今は食事で代替できそうにもないか。レオンハルトは昨日狩ったばかりの大量の猪肉を思い出した。一部は干し肉用に回したとはいえ、王立騎士団本部の食堂メニューは三日ほど猪肉が続くだろう。
肉がダメだからといって酒を振る舞うわけにもいかない。王立騎士団の飲酒は当番制だ。ならば新しい短剣でも――いや、騎士が私的に武器を入手するには王宮からの承認が必要だ。それに、詫びの品が新しい短剣で喜ぶのは自分くらいのものだろう。過去のバルドーの顔を振り返ればわかる。
レオンハルトは為す術なくデスクに突っ伏した。
「団長〜。入りますよ〜」
バルドーの声だと思い、レオンハルトが顔を上げた頃にはすでに扉はがちゃりと開いていた。肘で扉を閉めたバルドーが両手に抱えているものを見て、ああ、とレオンハルトは嘆く。
「やっぱり来てらしたんだな、セレスティーヌさん」
バルドーが抱えているのは、レオンハルトが昨日目にしたばかりのクロスボウと盾、それからおそらく技法書と何かの小包みだ。
「はい。レディの行列がなかなか途切れない団長へのセレスティィィ〜〜〜ヌちゃんからの預かり物です」
バルドーには悪いが、できるなら直接受け取りたかった。レオンハルトは「ありがとう」と虚ろな目で言った。
どこに置きますか、と口にはしつつも、バルドーは年季の入った紺色のソファ前のローテーブルにクロスボウと本を下ろしていく。盾はソファの端に置かれた。そして小包み――茶色の紙袋はレオンハルトのいるデスクにどさりと運ばれてきたのだった。「これは?」とレオンハルトがくんくんと匂いを嗅ぐ。
「パン。団長、昼飯まだでしょ」
「ああ……そこまで気を使わなくてよかったのに」
「いらねぇなら俺が食いますけど。セレッちゃんがわざわざ街まで買いに行ってくれた、超うまそ〜なパン」
すかさずレオンハルトの両腕がごそっと紙袋を隠す。
「いただかないとは言ってない」
「そんな威嚇せんでも。どーぞ。俺は食堂で食いましたし、猪」
バルドーはやはりソファの真ん中に陣取った。
「それより団長、どうでした? 一日に三十人からプロポーズされたのは」
「正確には三十五名だバルドー。大変だったが、お前が今まで潜り抜けてきた険しい道にはとうてい及ばないと思うぞ」
「いや、さすがに三十五人から次々にプロポーズされた経験はないですよ」
「……ないのか?」
「ないですね」
ないのか、と言うレオンハルトの指は紙袋を開けるか開けまいか悩んでいる。「開けろよ」とバルドーに呆れられたため、ようやく開けることにした。
――こんなに嬉しいのか。好きな女性からパンをいただくというのは。
紙袋の中には、レオンハルトがこれまで食べてきたどんな高名なパン職人のものよりおいしそうに見えるブールやガーリックトーストが入っていた。この小分けされた包みはなんだろう。紙袋の中の、さらに紙袋を開けてみる。マフィンだ。ドーナツまで。ガーリックトーストがあるから小分けにされていたのか。おいしそう。
「おもちゃのパンじゃないんですよ、団長」
「それくらいわかっている。まだ温かいし」
「食えよ、じゃあ」
「食べることで視界から消えてしまうのがもったいないんだ」
「絵でも描けば?」
その手があったか、とレオンハルトは納得し、先代騎士団長から受け継いだペンで手帳にパンの配置をメモすることにした。絵の基礎的なデッサンと模写を学んでいてよかった。幼少期に教師をつけてくれた両親に感謝しなければ。
どこから見た配置かがわかるよう、最後に方位記号を描き、レオンハルトはペンを置いた。
「何があったんです」
「僕はセレスティーヌさんが好きだと気付いた」
レオンハルトの視線は依然としてパンから逸れていないので本人は知らないが、この時、バルドーの表情の変化は今年一番、いやここ数年で一番と言ってもよいほど目まぐるしいものだった。
「よく自分で気付けたね!?」
うるさい。レオンハルトはようやくバルドーを見た。
「バルドー。なんだ、その顔は」
「え、どんな顔してます?」
「僕が騎士団長になって即行でここに肖像画を移動した時とだいたい同じ顔」
「じゃあ相当ドン引いてる顔ですね、今の俺」
「引いてたのか?」
「そりゃ引くでしょ。就任早々まずやることが先々代の絵の移動って」
バルドーの赤茶色の目はレオンハルトとその頭上を行ったり来たりしている。レオンハルトの薄い水色の目は、またしても紙袋のパンだ。「ガーリックトーストからいただく」と、バルドーに頼まれてもいないのに宣言し、レオンハルトは香ばしいパンを一番手に選んだのだった。
――あっ。レオンハルトはパンにかぶりつこうとしたその時、ふと我に返る。
「……食べてもいいのか? 今」
「食えって。いいから。はよ食ってください」
ふたたびバルドーに呆れられたので、レオンハルトは素直にかぶりつくことにした。おいしい。味の品評について両親から語彙を教わってきたレオンハルトだが、「おいしい」。今はとにかくそれしか言えない。
「バルドーは何がほしい?」
「何が。なんの。どの」
「昨日、セレスティーヌさんがクロスボウと盾と技法書をお持ちくださると言ったのは覚えてるか?」
「あー、はいはい。ちゃんと考えましたよ」
「その考えてくれた礼だ。どうせ短剣では喜ばないんだろう。お前は何がほしい?」
セレスティーヌさんからの預かりものを運んできてくれた礼も加算して考えてくれ、とレオンハルトは片手でパンくずをキャッチしながら言った。
バルドーはソファの背もたれに両腕を預け、そうですね〜、と天井を仰ぐ。
「ちょうど髪に使う香油がほしかったんですよね」
「なら僕に請求しておいてくれ」
「なんぼまで?」
「お前はよく使うよな。一年分くらい買っておけ」
マジすか、とバルドーが微妙な驚き声を発した。「次はブールをいただく」とレオンハルトは冷静に報告する。
「それから、バルドー、午前中に迷惑をかけた部下にも何かしらの形で謝罪したいんだが……何がいいと思う?」
「そうですねぇ……さっき片っ端から聞き込みしたんで、業務に支障が出た面子は記録しましたけど」
バルドーは懐から小さな手帳を取り出す。
「喜ぶのがわかりやすいやつとわかりづらいやつがいるんで、とりあえず『後日あらためて謝罪する』って言っといてください。物は俺が考えとくんで」
「そうか……その考えてくれる分は」
「一年分で足りるくらいです」
「そうか。じゃあすまないが、任せたぞ」
「はいはい」
おいしい。紙袋の中に空白ができていくのが寂しい。でもおいしい。レオンハルトの視線は手帳の絵と紙袋の中を往復している。
「それとですね団長」
「なんだ?」
レオンハルトが顔を上げた時にはバルドーは手帳を懐に戻していた。
「まあ、あれだけの行列だったんで、さすがにセレッちゃんにも俺から説明せざるを得なかったわけなんですが」
「そうだろうな……」
何せレオンハルトですら驚く人数だったからだ。事情を聞いたバルドーがセレスティーヌに説明するのも致し方ないことだろう。
レオンハルトが宙からバルドーへと目をやると、そこには満面の笑顔があった。
「セレッちゃん、団長が他のレディと結婚してもいいんですってよ!」
「ゴフッ。げほっ」
「『いかなる理由があろうとも他人様の手柄を横取りするべからず。他人様の手柄は心から褒め讃えよ』だそうです!」
「ちょっ……」
「ちーっとも妬いてなかった! やきもち! 団長と違って!」
レオンハルトはドンドンと自分の胸を叩く。吐き出さなかったのが唯一の救いだ。唯一の。ゲホ、ゴホ、と何度か大きく咳をし、ぜえ、はあ、と息を整える。しかしこの場においてバルドーが遠慮というものを知るわけもない、とレオンハルトの目が見抜いた頃にはもうバルドーの口は開いていた。
「結婚を直談判しにきたレディたちのこと、素敵って褒めてた!」
トドメだった。
「……そこは嫉妬くらいしないのか!?」
「それはさすがに俺も言いましたけど。『いかなる理由があろうとも他人様の手柄は心から褒め讃えよ』ですって」
レオンハルトはこの席に就任して即行で招いた肖像画の老騎士を見上げる。もしかしてその家訓を追加したのはこのお方なのだろうか。立派な心がけだが。騎士としても人としても、大変素晴らしい思想ではあるのだが。
「少しくらい……焼かないのか? やきもちというものを」
レオンハルトは小さく咳き込んだ。
「『それはそれ、これはこれですわ』って言ってた」
「……そういうものなのか? 本来は」
僕が間違っていたのか、と己を顧みるレオンハルトの眉尻は上がりそうもない。
「いや、仮に俺がセレッちゃんの立場だったら妬きますけど」
「そうなのか……?」
「妬くっつーか、『やべえ、他のやつに先越される!』って焦るっつーか」
「僕もそうなると思う……」
レオンハルトは過去の自分の嫉妬心と焦燥感を思い出しながら、もぐもぐとブールの残りを頬張る。
「あ、それと」
「まだ追い討ちをかけたいのか、バルドー……」
もう十分だぞ、と目で訴えつつも、業務に関する連絡であれば聞くしかない。レオンハルトは耳を傾ける。
「セレッちゃん、『それより、騎士になってみたくなりましたわ』って言ってた」
それより。ご令嬢の行列より。騎士になってみたくなった。レオンハルトの首が大きく斜めになる。
バルドーは発言当時のセレスティーヌを再現したいのか、胸の前で両手を組んだ。
「『レオンハルト様を援護させていただいた猪狩り……とても胸が高鳴りましたもの……』」
「……教えてくれたのはありがたいんだが……お前の口からは聞きたくなかった……!」
「でしょうね」
バルドーはすぐ演技をやめた。
「……それだけなのか? セレスティーヌさんが騎士になってみたくなった理由」
「うん。それだけでした」
「それだけでか……」
「嬉しい?」
「嬉しい」
さらにおいしくなった。レオンハルトは名残惜しそうに紙袋を覗き込みながらブールを食べ終えた。
「団長。実際、どうなんです? セレッちゃんが騎士になるの」
レオンハルトは紙袋の中へと手を伸ばす前、一度バルドーの顔を見る。「これは僕の主観だぞ」と延べ、「はい」とバルドーが頷いたところで再度紙袋へと視線を落とした。
「セレスティーヌさんの剣術は独特すぎる。個人戦なら問題ないだろうが、他の騎士と連携させるのは……絶対に無理だとまでは言わないが、騎士団の型が染み付いた熟練の騎士ほど苦労するだろう」
がさごそと軽くなった紙袋が鳴る。
「かといってセレスティーヌさんが熟練の騎士に合わせようとしても、それはセレスティーヌさんの大きな強みである独自性、意外性と不意打ちの成功率の高さを封じてしまうことになる。と、僕は思う」
「実戦経験の浅い騎士なら?」
「セレスティーヌさんについていける場面もあるかもしれないが、逆に型を習得することや他の騎士との連携が難しくなる。結果的に連携メンバーを固定せざるを得なくなり、そこを敵に学ばれると総崩れになるだろう」
こちらの連携パターンを敵に学ばれたと仮定して、とレオンハルトが続ける。
「別の戦場に移したとしても同様のリスクはあるし、他の騎士が地形に慣れるまでに時間がかかる。生き残れたとしても適応力の高いセレスティーヌさんくらいかもな」
「ほぉん」
「ただしセレスティーヌさんは囮役や撹乱役には向いている。不利な戦況を覆す切り札にもなり得る。だが、それらもあくまで単独で戦わせる場合の話だ。当然、負傷する可能性も高くなる」
そうだよなぁ、とバルドーは足を雑に組んだ。レオンハルトは「最後にドーナツをいただく」と言って先にマフィンを取り出す。
「狩猟の腕前は確かだろうな。なんなら森林や山中での行動のほうが向いていそうだ」
「セレッちゃん、やっぱり獣だったかあ……」
「それは明確に否定するが、獣に近い感覚は身についているとは思う」
「人はそれを獣の習性と呼びます」
「人だ」
「野生動物」
「人間も元を辿れば野生の生き物だ」
それから、とレオンハルトが続ける。
「セレスティーヌさんは強い上に、扱える武器も多様そうだ。戦術に組み込んだ場合、隊も分隊もチームも、最終的にはセレスティーヌさん頼みになりかねない」
「そりゃ怖いねぇ」
「ああ。怖い。セレスティーヌさんが出動できなくなった時点で詰みになる」
マフィンの甘い香りがレオンハルトの鼻を抜ける。「もしも」とレオンハルトはバターの匂いを漂わせながら言う。
「セレスティーヌさんが生涯現役で戦えたとしても、それまでに培った戦術や連携パターンは次の世代では使えない。悔しいが、紙とペンと頭脳と本棚と人材と時間の無駄になる確率のほうが高い。戦時中の国民に天才を待てとは言いたくない」
「でも、騎士になってみたくなりましたわって」
「それは、嬉しい、僕が」
「なんで嬉しいの?」
「……理由が僕だから」
よかったね、とバルドーが平坦な音で言うと、ああ、とレオンハルトは心を込めて頷いた。マフィンもおいしかった。
「団長。口元がニヤついてまっせ」
「嬉しいからだ」
「この幸せ者〜。顔面どっかにぶつけてイテッてなれ」
「油断はしない。埃にも顔をぶつけそうなどこかにも」
残るはドーナツだ。レオンハルトはがさがさと紙袋に手を入れた。




