僕には、お慕いしている女性がいます
「まずご家名を教えてください」
朝早くから王立騎士団本部の騎士団長執務室に行列を成しているご令嬢方。その一人目を執務室に通し、レオンハルトはデスク前の紺色のソファへ腰掛けるよう促したあと、名前を尋ねた。黒髪のご令嬢は年季の入った三人掛けのソファにわずかに眉を顰めたが、スカートの裾を持ち上げて座る。
「エーリングと申します」
伯爵家の次女だな。顔も名前も知ってはいるが、記録のため、レオンハルトはデスクに広げた白紙に名前を書いていく。
「本日は何をしにこちらへ?」
レオンハルトは事務的な口調を崩さない。エーリング家の次女はぱっと顔を上げる。
「レオンハルト様に結婚してほしくて!」
「どなたが僕と結婚を?」
「私です!」
「縁談の申し込みですね?」
「結婚の申し込みです!」
つまりプロポーズか。レオンハルトはあまり書き心地のよくないペンで紙に書いていく。
「なぜ結婚の申し込みを?」
「レオンハルト様と結婚したいからです」
「なぜ僕と?」
淡々としているレオンハルトの様子に痺れを切らしたのか、エーリング家の次女はヒールで床をカツカツと鳴らす。
「昔からお慕いしてました!」
その理由を聞きたいのだが。
単純でいい、セレスティーヌの『生まれて初めて敗北を与えてくれたから』のような。
どう質問したものか。
「昔からと言いますと?」
「レオンハルト様が王立アカデミーにいらした頃からです。私、レオンハルト様と同級生ですのよ」
それは知っている。ただしレオンハルトは士官クラスで、目の前の同級生は一般教養クラスだったため、直接的な接点と言えば――全学年、全クラス合同のパーティーくらいか。一度だけダンスをした記憶がある。レオンハルトは十年前を振り返っていた。
「レオンハルト様は首席でご入学されて、そのまま首席でご卒業されましたし」
「首席が大きな理由なのであれば、僕の兄も文官クラスを首席で入学して首席で卒業しておりますが」
「アルベルト様はいちいち細かいでしょう?」
「はい。王宮に仕える書記官として頼もしい目と頭脳を持っていると僕は考えております」
なんだか兄にケチをつけられた気がする。いや、たしかにいちいち細かい性格ではあるのだが。レオンハルトは今もきっときびきび働いているであろう兄の姿を思った。
「私はレオンハルト様と結婚したいんです」
「今のご発言ですが、正式なプロポーズと捉えてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ!」
ならば、とレオンハルトはペンをかたりと置き、目の前の同級生の目をまっすぐ見た。
「正式にお断りいたします」
よし。レオンハルトはまたペンを取り、固辞、と書き足した。
「な、なぜですか!?」
エーリング家の次女が狼狽える。たしかにレオンハルトが断る理由を告げないのも不公平だ。レオンハルトはペンを両手で抱え、ふたたび同級生を見つめ返す。
「僕があなたをお慕いする理由がございません。僕の自慢の兄の細かさを『いちいち』と仰られたのも、少々不愉快でした」
相手はしばらく床を踏み鳴らしていたが、レオンハルトが「次の方」と発した途端、そそくさと退室していった。
「私はビル公爵家の三女です」
先ほどのエーリング家との会話を聞いていたのか。二人目は自分から名乗った。公爵家でありながらきちんと順番を守っている点は好印象だ。「どうぞお掛けください」とレオンハルトがソファへ促すと、茶色の癖っ毛をしたビル公爵家の三女は「古びてますわね」と言いつつ腰を下ろした。そのあいだにレオンハルトは紙に名前を書いていく。
「レオンハルト様は私と結婚なさったほうがよろしいんじゃありませんこと?」
知るものか。これがバルドー相手だったらそう即答していたが、相手はご令嬢である。レオンハルトは「なぜそう思われるのですか?」とペン片手に質問した。
「だって、公爵家同士の繋がりですわよ」
「僕の兄も未婚ですが」
「アルベルト様はご嫡男でしょう?」
ぴたりとレオンハルトの手が止まる。嫡男、つまり家督継承者ではない相手が条件なのか。
「……失礼ですが、お輿入れではなく、婿入りをご希望なのでしょうか」
「いえ? 私はどちらでも構いませんわ」
ではなぜ嫡男は嫌なのだ。レオンハルトだって、どちらでも構わないというのに。レオンハルトがそのまま直球に尋ねると「だって」とビル公爵家の三女は答える。
「面倒でしょう、当主の妻って」
それを公爵家のご令嬢が口にするのか。いや他所のお宅では構わないが、もしグランツシュタイン家で同じことを口にすればすぐさま両親から叱りつけられるだろう。レオンハルトは「なるほど」と適当に相槌を打つことにした。
「先ほど、公爵家同士の繋がりと仰いましたが……」
「ええ。ご存知の通り、うちは貿易産業に力を入れていますわ」
「恐れ入りますが、それ以上は教えていただかなくとも結構です。うかつに他家のご事情を聞くわけにはまいりませんので」
ローデンベルク家の家訓や台所事情ならいくらでも聞きたいものだが。レオンハルトは淡々と話す。
「家同士の結びつきを意識されておられるのであれば、まずは現当主同士で話し合うべきお話です」
「私のお父様は隣国へ嫁げって言ってますのよ!」
その隣国からビル公爵家が違法な薬品を密輸している噂と関連しているのだろうか。この話題をレオンハルトが父と交わしたことはないが、国務卿の父のことだ。きっと噂くらいは耳にしていることだろう。ましてやそんな噂のある家との縁談を許すような父ではない。レオンハルトはそう察しつつも「まずはご当主とのお話し合いを」と言って次のご令嬢を招くことにした。
三人目はシトリン侯爵家の長女だった。
たしか、王立アカデミー時代と、騎士団に入団して以降、何度かダンスを踊ったことがある。レオンハルトはその長い金髪に見覚えがあった。
やはりソファはご令嬢には不評らしい。シトリン侯爵家の長女は「うっ」とあからさまに不快感を示しつつ腰掛けた。
「わ……私、レオンハルト様のことが好きで……っ」
一人目、二人目とは違い、緊張しているようだ。「ゆっくりで構いません」とレオンハルトが促す。
「レオンハルト様はお強くて……」
「それは騎士として、でしょうか?」
「は、はいっ。私、子どもの頃に誘拐されたことがあって……」
彼女の誘拐事件にまつわる記録は王立騎士団にも当然残っている。先代の頃に解決した事件だ。犯人はすでに処罰されている。
強くて、誘拐されたことがあって。レオンハルトは紙にかりかりと書いていく。
「だから、レオンハルト様みたいに強い人に、ずっと守ってほしいなって思ってて……」
強い人に守ってほしい。そこまで書き、ふむ、とシトリン侯爵家の長女を見る。
「他の騎士も実力は確かですよ」
いくら王立アカデミーの士官クラスを卒業していても、王立騎士団への入団テストには苦労する者も多い。
「でっ、でも、レオンハルト様はその中でも一番お強いんでしょう?」
一番。ぱた、とレオンハルトは紙の上にペンを置いた。
レオンハルトは〝歴代最強の騎士団長〟と称されている。それはレオンハルト自身も知っている。
強い人に守ってほしい。
レオンハルトは今しがた書いたばかりの字を目でなぞった。
強い人がいてくれたら。たしかにその気持ちはレオンハルトにだってわかる。自分より強い存在がいてくれたら、歴代の偉大な先達を押しのけてまで〝最強〟だなどと呼ばれずに済むからだ。
だが、その称号が周辺諸国への牽制としてうってつけであることも、レオンハルトは理解できている。
かつて諸国にとって〝死〟が代名詞だった王立騎士団は、平和な世には似つかわしくない――ある日から、いつしか取って代わって呼ばれるようになったのが〝最強〟だった。そして最強の王立騎士団を率いる当代の騎士団長こそ〝歴代最強〟。なんとも単純な呼び名にレオンハルトは苦笑する。
「僕は、僕が一番強いと思ったことはありませんよ」
「え? でも、皆さん、最強だって……」
「それは僕以外の、他者からいただいた言葉です。光栄にも」
どこが光栄なものか。
――ああ、わかった。そうか。セレスティーヌが言ったという、『私に生まれて初めて敗北を与えてくださったのはレオンハルト様だから惚れましたの』。
なるほど。自分も、もし誰かに初めて負けたとしたら、その時は惚れてしまうだろう。レオンハルトは自嘲気味に微笑んだ。
「僕は、いつか騎士の誰かが、僕を倒してくれることを願っています」
「なぜですか……?」
長い金髪がわずかに揺れた。
レオンハルトは、あくまで柔らかな声色で答える。
「そのくらいしてくれなければ、国王陛下と民のために剣を振るう王立騎士団を率いる、次の騎士団長は務まりません」
「……レオンハルト様がいらっしゃるなら、安心では……?」
シトリン侯爵家の――いや、騎士ではない者がわからないのも無理はない。レオンハルトは右手で背後の肖像画を指し示した。
「僕はこちらの肖像画の、先々代騎士団長のジークフリート・ローデンベルクを尊敬しています」
「先の大戦を逆転に導いた英雄、ですよね……?」
はい、とレオンハルトは頷いた。
周辺諸国が同盟を結んで、このフトゥウーノ王国を攻めた先の大戦。当時王立騎士団を率いていたジークフリートは、圧倒的不利な戦況にもかかわらず最後まで諦めなかった。その上ジークフリートは、数世代前、王国に降伏した城塞都市を――かつて敵として争っていた都市の民を見捨てなかった。そして見事守り抜き、逆転勝利を成し遂げたのである。
「ですが、そんな偉大な英雄も、老いれば必ず死ぬのです」
つまりレオンハルトの代も永遠ではない。だからこそ、今自分に従ってくれる騎士の誰かが、自分を打ち倒してくれることを願っている。そうでなければレオンハルトは安心して国の防衛を任せられない。
「でっ、でも、私は、死ぬまで、レオンハルト様にそばにいてほしいです……」
よほど怖い経験だったのだろう。シトリン侯爵家の長女は自身の両肩を抱く。
たかが身代金目当てに何の非もない少女を拐かすとは、馬鹿げた、そして卑怯な大人たちだったのだろうとレオンハルトは考える。
「申し訳ございません」
レオンハルトは落ち着いた声だ。
「僕は、生涯、あなただけをお守りすることはできません。騎士を志した時から、僕の強さは国のために使うと、国の旗に誓っているのです」
シトリン侯爵家の長女は一度、言葉にならない悲痛な声を出した。
「護衛を雇われることと、ご不安な際は騎士にご依頼なさることをご検討ください。ご相談だけでも、いつでも窓口で受け付けておりますので」
「……わ、私は……っ」
「はい」
レオンハルトは柔らかな態度で待つ。
「私は……っ、これまでに踊ったダンスで、レオンハルト様とご一緒した時が、一番楽しかったんです……!」
ダンス。
レオンハルトは数日前の、久しぶりに参加した舞踏会に思いを馳せる。
「ダンスはいいものですね」
自然とレオンハルトの口から漏れていた。するとたちまち目の前の娘が瞳を輝かせる。ああ、この方の瞳の色は緑なのだな。今、見たい色とは違う。
レオンハルトは、これまで社交の場で見せてきたとおりに頬を上げた。
「僕がダンスでご一緒して楽しかったのは、別の女性だけでした」
あなたではない。レオンハルトなりの宣言だった。
「……先日の、ローデンベルク家の……?」
ああ、そういえばシトリン侯爵家の長女もあの場にゲストとして招かれていたな。レオンハルトは会場の光景を思い出す。
「はい」
彼女とのダンスだけだ、楽しいと思えたのは。
「……諦め、ます……」
そう言い残し、シトリン侯爵家の長女は自ら退室していったのだった。辞退。レオンハルトは、ぼんやりとした手つきでそう書いた。
ペンを置き、レオンハルトは両肘をデスクに乗せる。そして、誰にも見られていないというのに、両手でその顔を覆う。
強い人に守られたい。
人間として真っ当な欲求だ。誰しも自ら進んで危険な目に遭いたいわけがないだろう。しきりに歴代最強の騎士団長に決闘を申し込んでくる、ただ一人を除いては。
――わかった。この暑さの原因が。
王宮に気温の変化について意見を求める前でよかった。気候なんて関係ないに決まっている。嫉妬だってそうだ。バルドーも軍用犬も関係がない。ここ数日の自分を反省した途端、まるで他人事のようなおかしさを感じてしまい、レオンハルトはつい吹き出してしまった。
――楽しいのなんて当たり前だ。
いつかは誰かに越えられなくてはならず、しかしそう簡単には譲ることのできない〝最強〟などという重たすぎる称号を、一緒に過ごせば過ごすほど、もっと高みへと持ち上げてしまいたくなる相手なのだから。
ちらりと背後の偉大な騎士を仰ぎ見る。これから彼の前で、約三十名の女性にこう伝えることになるのか。
つい一時間前までは感銘を受けていた老騎士の険しい瞳が、なぜか今は妙に痛い。レオンハルトの肩が少し震えた。「かけている」ではきっと怒られるのだろう。「気がする」もダメだ、先々代騎士団長として、いや大戦を勝利に導いた一人の騎士として、そして彼女の祖父として、若輩者のどっちつかずの返答など許してくれないだろう。
それに、もう事実なのだろう、バルドーに尋ねるまでもなく。
「僕には、お慕いしている女性がいます」
四人目以降、レオンハルトはそう断った。




