楽しかったなあ、猪狩り
猪狩りの翌日、レオンハルトは未明の朝練後、王立騎士団本部の騎士団長執務室のデスクで書類を作成していた。ちなみにソファ追加の予算申請についての書類は昨日の夕方に王宮へ提出した。問題がなければ、この部屋にもう一脚、紺色の三人掛けソファを迎えられるはずだ。
レオンハルトはペンを走らせる。
セレスティーヌと実地で行った猪狩り――駆除した猪の数と、事前で予測されていた数との差。その理由と、駆除した地点。成猪と幼猪と、二十一頭それぞれの体躯サイズと重さ。仕掛けた罠と、回収した罠、それらの設置場所。作動した罠と作動しなかった罠、それらの理由。
レオンハルトが合計十一頭、セレスティーヌ――もとい猪狩りの専門家が合計十頭を王立騎士団本部へと運んだこと。
あとは――今後、同様の害獣被害に向けて、王立騎士団の軍用犬を配備したい旨。それが叶わなければ、農家それぞれが犬を飼育する案。案が採用された場合、騎士が訓練に立ち会うこと。
現時点で思いつく限りの事項をすべて書き終え、レオンハルトは、ふう、とペンを置いた。
――このペン、そろそろ手入れをしなければ。
先代騎士団長から受け継いだペンの軸をそっとなぞる。インク瓶の予備は――まだ十分ある。
レオンハルトはペン先のインクを丁寧に拭き取った。手入れには水が必要だ。昼にでもやろう。
王宮が王立騎士団からの書類提出を受け付けてくれるのはもう一時間後である。
それまで、武具を磨こう。レオンハルトは執務室にずらりと並んだ鎧、盾、武器のどれから拭こうか。レオンハルトはデスクの引き出しからクロスを取った。
真っ先に選んだのは短弓だった。これはレオンハルトがまだ騎士団長になる前、王国とはやや離れた小国から迎えた来賓の護衛が所持していた予備の弓だ。
護衛に早撃ちの腕前を見せてもらい、レオンハルトが撃ち方について矢継ぎ早に質問したところ「気になるならアゲル」と片言の言葉とともに頂戴したものだ。レオンハルトはその返礼としてナイフを渡した。レオンハルトが獣の血抜きに愛用していたナイフだった。
いつかこの短弓で狩猟してみたいが、異国の弓だ。破損してしまっては復元が困難である。よって、レオンハルトは泣く泣く飾ってはたまに構えるだけに留めている。
――昨日のセレスティーヌさんのクロスボウも、まだじっくり見たかったなあ。
遠目で見ても通常のクロスボウとは違うとわかった。ベースは王立騎士団でも主流の型だが、伝説の騎士団長――セレスティーヌの祖父ジークフリート・ローデンベルクが改造したらしい。武器の改造までやってのけるとは。レオンハルトはデスクの背後に佇む、自分が私淑する相手を仰ぎ見る。
あのクロスボウ専用の技法書まで書き残したらしい。読みたい。しかし、ローデンベルク家の人間でもない者が、おいそれと目を通してよいものではあるまい。
昨日、セレスティーヌと騎士団本部前で解散する時、レオンハルトはよほど苦渋の表情を浮かべていたのだろう。セレスティーヌから「クロスボウと技法書、それからこの盾もお持ちいたしますわね」とありがたい一声をいただいた。それを聞いた直後のレオンハルトがどのような顔をしていたのかは、当のレオンハルト自身にはわからない。ただセレスティーヌは口元に手を添え、肩を揺らして笑っていた。
――嬉しい。嬉しすぎる。
返礼として何が相応しいか、レオンハルトは昨夕、悶々と頭を抱えていた。到底、大金では解決できそうにない。救いを求めてバルドーに事の経緯を説明し、「何をお返しすればいいと思う?」とレオンハルトが尋ねたところ、バルドーから提示されたのは非常に多い眉間のシワと「明日の昼までに考えときます」という言葉だった。明日、つまり今日の昼、バルドーから返礼についての助言をもらえる。バルドーには――何をお返しすればいいのだろう。聞きそびれた。
昨夕、バルドーからも「それより農家の人に頭下げてくれました?」と確認された。鈴を括りつけた紐の件である。「ああ。謝罪と礼を述べた」とレオンハルトが答えたところ、バルドーは「あざます。あと餌のやり方、これからベックがジャンに教えることになりましたんで」と報告してくれた。そのあたりは、ベックに任せてみることにしよう。日頃から軍用犬に慣れているのはベックだ。
――楽しかったなあ、猪狩り。
王立騎士団の長としてはとても言葉にできない気持ちを秘めながら、レオンハルトは武具とクロスを元に戻した。剣を腰に差し、執務室を施錠したのち、報告書を手に王宮へ向かうことにした。
楽しかったはずなのだ。ほんの一時間前までは。
王宮から王立騎士団本部騎士団長執務室へと戻ってきた――正確には、執務室へと続く屋内の廊下を歩いていたレオンハルトは、思わず右手で顎をさすった。
道を間違えたのだろうか。いや、これまでに何度も往復してきた道のりだ。今さら間違えることなど――絶対にないとは断言できないが、少なくとも、この先にあるのは執務室である。見慣れた扉があるからだ。
緊急事態か。
レオンハルトは昨日セレスティーヌに教わったばかりのニンジン歩法を試すことにした。石畳なら案外、速く歩けるものである。そして近くに集まっている騎士の一人に尋ねることにした。
「何があった?」
レオンハルトに声をかけられた騎士は「あっ」と大声で反応した。
やはり緊急事態か。でなければ――王立騎士団本部内の騎士団長執務室に、貴族のご令嬢方があれだけ長い行列を成すことなどないだろう。
「貴族の謀反か?」
「違います、団長!」
騎士がまたも大きく言った。「団長!?」と周囲の騎士がざわめく。レオンハルトは本能的に悟った。これは撤退すべき事案であると。
しかし騎士団長の自分が退くわけにもいくまい。レオンハルトは騎士の野次にも似たざわめき声と、それに呼応したご令嬢方が「レオンハルト様!」となぜか悲鳴じみた歓声を上げるのを聞いた。
「レオンハルト様、まずは私と結婚してください!」
どういうことだ。いつからプロポーズは決闘を挟まないようになったのだ。それに『まずは』とはなんだ。日替わりや月替わりの結婚制度など王国の最新の法律にはなかったはずだ。年度制も同様である。
レオンハルトは立ちくらみしかけたが、なんとか堪える。
「皆さま、その前に確認させてください」
レオンハルトが行列の最後尾――レオンハルトから見て手前のご令嬢方へと言う。
「騎士ではない方が王立騎士団本部内へ立ち入るには、騎士団長または副騎士団長が発行した通行許可証が必要です。皆さまはお持ちですか?」
「通行許可証……?」
ご令嬢方は一斉に首をかしげた。これは全員、所持していないと見た。ということはバルドーも未確認の事案か。後ほど守衛に経緯を尋ねなければ。――そういえば今の守衛はまだ入団して年月が浅かったな。
レオンハルトは、ふう、とほんの小さく息をつく。
「通行許可証をお持ちでないのですね。であれば、申し訳ございませんが、騎士団長として皆さまにはご退出を願うしかありません」
これで難を逃れる術を得た。レオンハルトはごく冷静に努めて、はっきりと伝えた。
「そんなの関係ありませんわ!」
関係あるのだ。レオンハルトは二度目の溜め息を我慢した。そして騎士の一人を呼びつける。
「今すぐ騎士団本部の入場管理を強化しろ。許可証のない者は立ち入り不可だと守衛に強く伝えてくれ。これは騎士団長命令だ、とな。伝令を終えたらお前も管理に参加してくれ」
「はっ」
先ほどまでざわついていた騎士も、レオンハルトの低い声には真剣にならざるを得ない。騎士はぴしっと敬礼し、足早に去っていった。
レオンハルトはまた次の騎士を複数名、近くに呼ぶ。
「こちらのご令嬢を最後尾とする。これよりさらにご令嬢がいらっしゃったとしても、絶対に並ばせず、騎士一名付き添いの上、本部の門の外まで必ずご案内するように。今日は三番隊の第二分隊が常駐しているから、彼らに協力してもらうこと。人員は不足させるな」
「はっ」
「それから二名、執務室の扉前に必ず控えておくこと。ご令嬢方が不審な動きをすれば即座に捕らえるように」
「団長。ふ、不審な、と言いますと……」
「刃物や薬物の取り出しや投擲。ご令嬢同士の乱闘。急な脱走と判断できる身動き。これらは必ず制圧し捕縛。それ以外はお前たちの目を信じる。相手の身分は気にするな、そこは僕の責任だ」
「はっ」
本来なら騎士団本部の外、せめて屋外の稽古場にでもご令嬢方をお連れしたいが――三十名以上もいる。一人一人が不審な動きをしないよう見張りながら移動させるのは、かえって危険かもしれない。なら――本当は立ち入らせたくはないが、レオンハルトが持ち込んでいる装飾品含めて武器が揃った騎士団長の執務室なら、どうとでもなる。ああ、『使われぬ武具に価値など無し』とはこのことだったのだろうか。
レオンハルトはあらためてご令嬢に告げる。
「皆さま。今であれば特例として不法侵入の罪には問わないことにいたしますが、ご退出いただけませんか?」
「いたしませんわ!」
いたします、であってほしかった。
それなら、とレオンハルトは至って平静に続ける。
「これより一名ずつ執務室への入室を許可します。本日、今だけ、特別な措置です」
きゃああ、と歓声が沸き起こった。不思議なご令嬢方である、あまりよくない意味で。
中にはレオンハルトへ駆け寄ろうとしたり、手を伸ばそうとするご令嬢もいたが、事態と騎士団長の意図を察した騎士によって阻まれている。
レオンハルトは自分のテリトリーである執務室に向かう前に「これだけはお忘れなく」と付け足す。
「僕は今から執務室へと戻りますが、その途中、くれぐれも僕の体や装束に触らないようお気を付けください。不審な動きと見なし、臨戦態勢に入りますので」
「り、臨戦?」
さすがにご令嬢方も戸惑ったらしい。「はい」とレオンハルトは頷く。
「我々王立騎士団は国王陛下ならびに王室へ忠誠を誓い、王国の安全を守る組織です。皆さまはその本部へ無許可で立ち入っている身であることをご自覚ください」
「でも私たちは、レオンハルト様に縁談の申し込みに来ただけですわ!」
「だから罪には問われないと?」
「ええ」
どうしたものか。レオンハルトは鼻で長めの息をこぼした。
「その理屈がまかり通るのであれば、皆さまが僕との縁談目当てに僕の実家に不法侵入なさっても、僕は皆さまを罪に問えないことになってしまいます」
「そっ、そんなことするわけがないですわ、レオンハルト様!」
「しかし我々は皆さまの本心を知ることができません。ですから、立ち入る者が危険人物ではないことを保証するために、王立騎士団騎士団長と副騎士団長が通行許可証を発行するのです」
セレスティーヌに発行されている通行許可証だって、屋外の稽古場までの通行を認めるものだ。
「現状では、あなた方が本当に縁談の申し込みにいらっしゃったのか、それとも集団で襲撃しにいらっしゃったのか、個別に他の目的があるのか判別できかねます」
セレスティーヌのように「国の旗に誓います」と言ってくれたら少しは信じられるのだが。よろしいですね、とご令嬢方に言い聞かせ、レオンハルトは扉前に控えさせる騎士を連れて執務室へと向かった。道中の顔ぶれを横目で見つつ、記憶の中でその名前と生家を照らし合わせながら。
「一名ずつ順番にお呼びいたします。それまでこのままお待ちください。移動の際は騎士をつけます。単独行動は認めません」
騎士二名が解錠するレオンハルトを隠すようにご令嬢方の前に立ちはだかった。レオンハルトは一人で入室し、デスクへ向かう。その途中、肖像画のジークフリートと目が合った。
――ほんの一時間前までは楽しかったのになあ。この身から出た錆かもしれませんが、どうかこうなってしまったことをお許しください。
レオンハルトは相変わらず悪魔のような形相のジークフリートにそう乞うのだった。
そして着席し、デスクの引き出しから紙と――先代から受け継いだものではない、レオンハルトが購入したペンとインク瓶を取り出した。それから「どうぞ」と告げ、一人目の入室を許可した。




