これは猪狩りです
ソファ追加の予算申請書類は猪狩りを終えてから確認することにしよう。
レオンハルトは盾と、普段通りの紺と白の騎士装束を身にまとい、まだ星が消えない夜明け前の空を眺めていた。王立騎士団本部の門前でセレスティーヌと待ち合わせている。
外灯、新調したばかりだったな。取り付けも問題ないようだ。レオンハルトは門の周囲を照らす外灯を見たり、ベルトに通した応急手当用のポーチや資料、軽食を詰め込んだ鞄をぽんぽんと触ったり、盾の重さを無意味に確かめたり、剣はスムーズに鞘から抜けるかどうか試したりしながらセレスティーヌを待っていた。ちなみに予定時刻より一時間前である。
「――お待たせいたしました、レオンハルト様」
そしてセレスティーヌも予定時刻より一時間前に現れた。
「あ、セレスティーヌさん」
――こんばんは。いや、違う。
「おはようございます、セレスティーヌさん」
「おはようございます。お早いんですのね」
「もしかしたらセレスティーヌさんが早くご到着なさるかと思い……おお、見事なクロスボウと盾ですね」
「ありがとうございます。おじいさまの自慢のものですのよ。現地であらためてお見せいたしますわね」
伝説の騎士団長の武具。見たい。レオンハルトはセレスティーヌの装備を前に、背筋がそわそわするのを覚えた。
「……セレスティーヌさん」
「はい、レオンハルト様。いかがなさいまして?」
「今日は、猪狩りです」
「ええ。猪狩りでしてよ」
「はい。よろしくお願いします」
「よろしくお願いいたしますわ」
お互い出発しても問題ないことを確認し、行きましょう、とレオンハルトはセレスティーヌを連れて歩きだした。
「セレスティーヌさん。盾、お持ちいただいてありがとうございます」
「とんでもございませんわ。昨日、この盾を持ったまま母に殴ってもらって、強度も確認しましたの。猪の突進でも耐えられましてよ」
「お母上に」
事前準備が独特である。レオンハルトはどこから指摘すればいいか戸惑う。
「セレスティーヌさんのお母上は、お父上と毎朝剣を交えていらっしゃるんでしたね」
「はい。先ほどわたくしが家を出る時はお互いナイフを構えていましたわ」
「ナイフも得意なんですか」
「パン用のナイフでしたけれど。どちらがパンを切るかで揉めていましたの」
「ええと……失礼ですが、シェフは……」
「シェフは両親の横でハムをスライスしておりましたわ」
うふふ、なんだかお恥ずかしいですわね、とセレスティーヌは家の朝食事情を知られてしまったことに少し照れているようだった。ローデンベルク家のシェフは肝が据わっているようだ。いつか観戦してみたい、とレオンハルトはぼんやりと思う。
「セレスティーヌさんのお母上は……その、徒手格闘も?」
「ええ。昔から素手が一番馴染むと仰ってますわ。父と出会って、仕方なく剣を使い始めたそうですの」
ああ、『剣をもって求愛すべし』という家訓か。
うちとは違うなあ、とレオンハルトは実家の母親の特技である尋問ゲームや趣味のボードゲームを思い出していた。
「レオンハルト様。このペースで間に合いまして?」
任務地である王都郊外の農園地帯へは市街地を通り抜ける必要がある。まだ陽も昇っていない、暗いメインストリートを歩いていると、セレスティーヌが尋ねてきた。
「このペースなら日の出三十分前に到着するかとは思いますが……」
街灯が点いていたりいなかったり、まばらな明かりの中、レオンハルトは目を凝らしてセレスティーヌの様子を伺う。
「走りたいですか? セレスティーヌさん」
「……レオンハルト様、読心術の心得までありますのね」
「いえ、なんとなくそう思いました」
ふふっ、とレオンハルトが笑った。
「わたくし、盾を装備するのは久しぶりですので……その……」
「スタミナは温存しておきたいので、駆け足くらいであればお付き合いします」
「よろしいんですの?」
「はい。僕も盾を装備して中距離を移動するのは久しぶりですし、準備運動もしたかったので」
「駆け足ですわよね」
「はい。そこだけお約束ください」
「感謝いたしますわ!」
そして二人は目的地である農園へと駆け足で移動した。
今回の任務では、最も被害を受けている畑の地主である農家が周辺一帯を代表し、王立騎士団との窓口になっている。
予定時刻よりも二時間前に到着したレオンハルトとセレスティーヌは「早すぎるのも困るだろうから」と農家への挨拶を後回しにし、不寝番を担当している騎士の元に顔を出すことにした。
「団長。と、セレスティーヌさん。お疲れ様です」
軍用犬と一緒に畑で待機していたのはジャンと同じ猪駆除任務チームの一員だ。名をベックと言い、レオンハルトより一つ歳上の、今回のチームリーダーだ。
「ああ、ご苦労」
レオンハルトはベックに声をかけ、その足元で礼儀正しく鎮座している軍用犬と目を合わせるためにゆっくり身を屈める。そして軍用犬のほうから匂いを嗅ぎにきたことを確認し、その背中を撫でた。
「おはようございます。不寝番、お疲れ様です」
セレスティーヌが一礼するとベックは緊張した面持ちで「いえいえ」と首を振る。
「軍用犬……先代騎士団長が積極的に採用なさったとお聞きしていますわ」
レオンハルトがセレスティーヌのほうを見上げたが、彼女はベックへ話しかけたようだった。ベックが「はい」と頷いている。
「なんでも、先々代の騎士団長――セレスティーヌさんのおじいさまから『これからは犬の時代だ』と言われたとか」
「そういうことでしたのね」
その話、もっと詳しく語れるのに。レオンハルトは軍用犬をひたすら撫で回す。これも軍用犬の導入に至った経緯を自分から直接セレスティーヌに説明できないことへの嫉妬か。
お前はいいなあ、嫉妬しなさそうで。
レオンハルトはつぶらな瞳のベテラン軍用犬に羨望を抱いた。あ、前より白髪が増えてるな。レオンハルトの指が軍用犬の白髪をなぞった。
「団長。昨夜と今朝はまだ猪は見ていません」
「そうか……警戒しているのかもな」
レオンハルトはしゃがんだままベックを見上げる。
「お前たちも疲れただろう。多めに軽食を持ってきたから、食べるといい」
「え、団長、俺とこいつのも持ってきてくださったんですか!?」
「ああ。こいつは本来なら犬舎で餌をあげるべきなんだろうが……今日くらいはいいだろう」
レオンハルトは鞄から余分の軽食と軍用犬の餌を取り出し、ベックに手渡す。それを受け取ったベックは「ありがとうございます」と一礼した。
「おそらくバルドーからも頼まれるだろうが、ベックからジャンにも餌のやり方を教えてやってくれ」
「はい、わかりました」
ベックが手順に則って餌を与えているのを確認し、レオンハルトは次に資料を取り出した。
「セレスティーヌさん。こちら、部下がまとめてくれた資料を元に整理した地図です」
昨日、ジャンたちがローテーブルに広げていたものより一回り小さい地図だ。バルドーが退室したあと、レオンハルトが作成したものである。
「色分けしているのは、まず、鈴を括りつけた紐の配置と猪の住処がある可能性の高いポイント。数字の小さい赤い部分ほど住処の有力候補です。赤いバツ印は仕掛けている罠で、星は罠に掛かった痕跡があった場所。夜明け前なので読みづらいですが……ご覧いただいて構いません」
「感謝いたしますわ、レオンハルト様。この青線は……出没の時間帯が異なる目印でして?」
「よくおわかりですね」
セレスティーヌこそ読心術を修得しているのではないか、とレオンハルトは疑った。
「おじいさまが似たような分け方をしておりましたの」
「おじいさまと……ッ」
これは先代騎士団長から教えられた小技なのだが、まさか伝説の騎士団長ジークフリート・ローデンベルク伝来のものだったとは。次代にも伝授していてよかった、とレオンハルトは心が満たされる思いだった。
「ちなみにおじいさまがふざけて我が家の間取り図を青線でぐるっと囲んだこともありましたわ」
「……それはセレスティーヌさんがおじいさまから『お前が猪だ』と言われたからですか……っ」
「その通りでしてよ。お茶目が過ぎますわよね」
これは家族からしか知ることのできない貴重な情報だ。レオンハルトは本部に戻り、ソファ追加の予算申請についてまとめたらすぐにメモしようと決めた。
「レオンハルト様。猪はすべて狩るご予定なのでしょうか」
「はい。駆除の方針は農家の皆さんとも話し合って決めています。元々このあたりに猪は生息していなかったんですが……この任務を終えたあとについては、ええと……」
「聞かないでおきますわね」
「助かります。ありがとうございます、セレスティーヌさん」
また決闘場でのように怒られたくはない。レオンハルトは苦笑しつつ、セレスティーヌから質問がないか、一緒に地図を覗く。
「レオンハルト様。この地図の隅っこの数字は、猪の目撃件数でして?」
「はい。同じ個体かはわかりませんが……報告書と農家の皆さんへの聴取と照らし合わせて、およそこれくらいいるだろうと部下が調べた目安です」
「上段、下段と並んでいるのは個体の大小かしら……」
「その通りです。ざっくり分けたものですが。もしかして、おじいさまも?」
「ええ。我が家の間取り図の隅っこに、上下にそれぞれ一ずつ書かれましたわ」
「一ずつ」
「猪の数でしてよ」
深く聞いていいものだろうか。レオンハルトは逡巡する。
「不寝番はいつまでのご予定でして?」
セレスティーヌがレオンハルトとベックを交互に見た。「俺は二時間後までの予定ですが」とベックが答え、レオンハルトもそれに頷く。
「……仕掛けている罠を確認しに行きますか? セレスティーヌさん」
先ほどから、セレスティーヌがやけに罠のポイントを気にしていたため、もしや、とレオンハルトは考えた。
「……よろしくって?」
セレスティーヌは地図で顔の下半分を隠し、目だけで騎士二人と軍用犬一頭の意見をきょろきょろと伺った。珍しく茶目っ気のある彼女の仕草に、レオンハルトは思わず顔を背けてぷっと吹き出す。
「行きましょうか、セレスティーヌさん。ベック、すまないが、もうしばらく頼めるか?」
「もちろんです。団長、セレスティーヌさん、お気を付けて」
ベックと餌を食べて満足げなベテラン軍用犬に見送られ、レオンハルトはセレスティーヌとともに罠の確認に向かった。




