行くな! 猪狩り!
今夜すでに七人目だ。レオンハルトは桃色のドレスを身に纏い、きらきらと瞳を輝かせるご令嬢と7曲目のダンスを踊っている。
バルコニーでバルドーからアドバイスを受けて以来、レオンハルトは「綺麗ですね」以外のセリフを言えていない。これではもはやドレスを褒めるだけの紳士ではないか。ランクアップ試験に合格するにはまだ足りないことは、レオンハルトだって自覚している。
レオンハルトは、ふと壁沿いのソファに目を遣った。相変わらずセレスティーヌは友人の辺境伯家のご令嬢と雑談している。踊らないのだろうか。フロアには何組ものペアが踊っているし、それにつられて彼女も動きそうなものだが。
「レオンハルト様? どうしましたか?」
ダンスのパートナーを放置するな。最低限、笑顔は向けておけ。両親からの教えを思い出し、レオンハルトは慌てて表情を取り繕う。
「すみません。僕は久しぶりの舞踏会なので、勘が鈍っているようです」
「そういえば、夜にこうしてレオンハルト様にお目にかかれるのは本当に久しぶりです。最近はどのようにお過ごしなんですか?」
助かった。ご令嬢の方から話題を振ってくれた。これなら話しやすい、とレオンハルトは安心する。
「最近は相変わらず騎士団の業務と……あとは決闘を少々」
「け、決闘?」
ご令嬢は笑みを浮かべつつも困惑している。
「はい。楽しいですよ」
「……た、楽しいんですか」
「僕が騎士団長だからなのかはわかりませんが、中々、申し込んでくる方に恵まれませんから」
「は、はあ……たしかに決闘申し込みは合法ですし、国も積極的に細かなルールを設けたそうですが……最近はあまり聞きませんものね、決闘」
「そうなんです。僕も、最後に申し込んだのは先代騎士団長でした」
次の騎士団長はお前だ、と指さして宣言してきた先代騎士団長。しかしレオンハルトは、まだ二十二歳の若輩者である自分に騎士団長が務まるとは到底思えなかった。とはいえ命令に背くような反逆の意思はレオンハルトには一切ない。そこで「歴代の騎士団長就任時の平均年齢は三十五歳前後です」と異議を申し立てるために決闘を申し込むことにした。もう三年前のことになる。
決闘に勝利したレオンハルトは「これで僕が若すぎることをわかっていただけますか!?」と先代に強く主張したが、「ああわかった、やっぱり次はお前しかいない」と先代から異議を差し戻されたのだった。決闘の勝者として「じゃあ副団長はバルドーにしてください」と条件を突き出したのが、レオンハルトが唯一できた、なけなしの抵抗だった。
「ふふ」
あの時は楽しかったな。決闘のあいだだけは、身分も立場も上下関係もなく、お互いが戦士として戦える。懐かしい記憶を思い出し、つい自然に笑みをこぼしたレオンハルトに、目の前のご令嬢は頬をぽっと赤く染める。
「レオンハルト様。私とのダンス、楽しんでいただけているんですか……!?」
あ、ここは決闘場ではなかった。危ない、レオンハルトは背筋に冷や汗をかく。
「たの、しい……」
レオンハルトはぽつりと呟いた。
ダンスは楽しいものだっただろうか。パートナーの動きを先読みし、その読みが当たった時は嬉しいが、それは戦闘のために目を鍛えているからである。
楽しい。最後に楽しかったダンスは――ああ、初めて伝説の騎士団長の愛剣と剣を交えた、セレスティーヌとの決闘中。あの時はダンスのステップを踏むように足を動かした瞬間があった。あの戦いは、本当に楽しかった。すべての舞踏会が剣舞であればいいのに。
レオンハルトは、今自分と踊っているご令嬢の瞳が、セレスティーヌの色と似ていることに気付いた。あの時、セレスティーヌの瞳には火花が輝いていた。目の前の、シャンデリアから反射した光よりも、とても力強く美しいものが。
「……っ」
あれ、目を逸らされた。――何か失言しただろうか。いや、笑顔は絶やしていないし、特に何か言った覚えもない。
レオンハルトは顔を赤らめながら視線を逸らしたご令嬢を、バランスを崩さないようしっかり支える。
「これはこれはセレスティーヌさん。こんなところでお会いできるとは奇遇ですね」
レオンハルトの耳がぴくりと動いた。バルドーがセレスティーヌに話しかけている。あいつ、踊ってなかったのか。
「えっ、バルドー様……?」
セレスティーヌの友人である辺境伯家のご令嬢が黄色い声でその名を口にする。
「そちらの麗しいレディとは初めましてですね。バルドーと申します」
「わ、私はマリーと申します。セレスティーヌとはアカデミー時代から親しくしております」
「ああ、ようやくお名前を伺うことができました。じつは以前から、その優雅なお姿が気になっていたのです」
お前の情報網なら名前くらいすぐ調べられるだろう。レオンハルトはダンスの足を止めず、じっくりと聞き耳を立てる。
「できればマリーさんもダンスへお誘いしたかったのですが……お恥ずかしながら、まだマリーさんとお知り合いになれた興奮が冷めやらないのです」
よく舌が回るやつだな、器用に声色まで変えて。レオンハルトはバルドーの語彙と作法に感心する。あれがミドルランクの技なのだろうか。
「ですので、マリーさん。セレスティーヌさんを先にお誘いしてもよろしいでしょうか?」
えっ。
「もちろんです、セレスティーヌをよろしくお願いします。次は私と踊ってくださいませね」
「必ずあなたの元に戻ってまいります。……じゃ、行こうぜ、セレッちゃん」
おい待て。いつもより小声で、低い声で「セレッちゃん」だと。それはもはやエキスパートランクの技ではないのか。レオンハルトの笑顔がぎこちなく揺れる。「お手柔らかにお願いいたしますわね、バルドー様!」という元気なセレスティーヌの返事が聞こえ、レオンハルトの眉が一瞬跳ねた。
「――見て見てセレッちゃん、あっちで団長も踊ってんよ」
「ええ、拝見しておりましてよ。今のお相手で七人目ですわね」
見られていた。
レオンハルトは背中の熱さを感じながらも、バルドーにリードされながら踊るセレスティーヌを一瞥する。濃紺色のタキシードと、深い青一色のドレス――口裏で合わせていたかのようにお似合いのコーディネートだ。
「『獲物からひとときも目を逸らすべからず』が家訓の一つなんですの」
僕か。僕のことなのか、獲物というのは。なるほど、狩りの名手に狙いを定められた獣はこのような気分なのだろうか。そうか、セレスティーヌはフロアという狩場でレオンハルトという獲物に狙いを定め、いつその胸を突き刺そうかと機会を伺っていたのか。
ドレスソード、もう一振、持ってくればよかった。そうしたらこのフロアでも――いやいや、ここは決闘場ではない。
ましてや貴族のタウンハウスだ。セレスティーヌと剣戟など――したいなぁ。レオンハルトの眉尻が下がる。
「レオンハルト様、そんな切なげな眼差しで私を見てくださるなんて……」
「え」
レオンハルトと踊るご令嬢は耳まで赤くしている。切なげ。どんな顔だ。
「……僕は今、どんな顔を?」
他人様にこのようなことを聞くのも恐れ多いが、自分が今どのような表情をしているのか気になり、レオンハルトはパートナーに尋ねてみた。パートナーのご令嬢は、「そ、そうですね」と恥ずかしげながらも答える。
「物欲しげで……」
「物欲しげ」
「目が潤んでいて」
「潤んでいる」
「そわそわされていらっしゃって」
「そわそわ」
「……ダンスだけでは物足りない、というような、そんなお顔です」
――あとでバルドーに聞いてみるか。レオンハルトにはさっぱりわからず、ひとまず「ふふふ」と小さく微笑んでおくことにした。
そうしているうちに、レオンハルトたちがバルドーとセレスティーヌのペアに近付いた。
「セレッちゃん。行く? 猪狩り」
「まあ、バルドー様。よろしいんですの!?」
よろしいわけがない。レオンハルトがバルドーをちらりと見たが、バルドーは気付いていない様子――いや、わざと無視している様子だ。
「農家に頼まれた一般人という体で行こうぜ」
「なるほど。その手がございましたわね」
どんな手だ。レオンハルトはパートナーの体をぐっと引き寄せ、大胆なステップでバルドーたちに歩み寄る。
「おっと失礼」
たとえバルドー相手であっても、ここがダンスフロアである以上、レオンハルトは笑顔を崩さない。ただし「お前余計なことを言うな」という強い意思だけはその薄い水色の瞳で表した。
バルドーの赤茶色の目がぴたりとレオンハルトを見る。こちらもまた笑顔だ。ふふん、とバルドーの喉奥が鳴ったあと、その赤茶色の視線はまたセレスティーヌへと戻っていった。
「……行こうぜセレッちゃ〜ん」
人はこういう時に舌打ちというものをしたくなるのだろう。レオンハルトはどこにもぶつけられない苛立ちを抱えることになった。
こうなれば、直接セレスティーヌを止めるしかないか。いくら何でも、騎士ではない彼女に害獣駆除は同行させられない。
室内楽団が演奏する曲が一区切りを迎え、レオンハルトはパートナーに一礼する。パートナーは興奮した様子で「また踊ってくださいね……!」と名残惜しげにカーテシーをするのだった。そんなに楽しかったのだろうか。レオンハルトは笑顔のまま会釈した。
よし、セレスティーヌさんのところに向かおう。あの調子では本当に猪狩りに行きかねない。
そう思いフロアから離れたレオンハルトだったが、すぐさま女性陣に囲まれた。このご令嬢方、騎士よりも士気があるのではないか。俊敏さだって負けていない。部下には見習ってほしいものだが、今はそれどころではない。レオンハルトは至って温厚に接する。
「――皆さま。申し訳ございませんが、先にお声がけしたい方がいらっしゃいますので、そちらを優先させていただけませんか?」
レオンハルトがそう言うと、レオンハルトを取り囲んだ淑女たちが一斉に「まあ!」と悲鳴にも似た声を上げた。
「レオンハルト様からお誘いになるなんて……」
「初めてではなくって?」
「アカデミー時代も含めると初めてでしてよ……!」
「どこのどいつですの!?」
なるほど。これは、今までレオンハルトが受けていた猛攻がセレスティーヌに向かいかねない。レオンハルトは、まずは目の前のご令嬢方を落ち着かせることを最優先事項に決めた。
「ええと、あの……やはり、まずは皆さまと踊らせていただきます。順番にお待ちください」
その語気はなんとも情けないものだった。




