やきもち!
この時期はあちこちで畑が狙われるな。午後の業務に戻ったレオンハルトは、執務室のデスクで書類を眺めていた。
今目を通しているのは午後、新たに届いた地方の王立騎士団駐屯地からの定期報告書である。盗難事件や暴行事件、火災、事故――おおむね近年と数は変わらない。数が変わらないということは、まだ改善の余地があるということだ。自然災害は致し方ない。なら被災後にどう動いたか、事前にできる準備は何か。火災は……暖炉の火の消し忘れ、火薬による事故。火薬による事故。まさか騎士団のか。いや、盗賊の拠点での事故か。死者がいないのは救いだ。だが火傷は痛いな。あとで詳しく読もう。
そして害獣による被害である。
しかしやはり、この時期はあちこちで野生動物が活発になるな。こればかりは生態系によるものだから、活発になるなとは言えないし。かといって民家や農園が襲われると困る。
王国内は自然も豊かだし、森林や水場での餌には困らないんだがなぁ。動物と話せたら説得できるのに。こればかりは修得できるものでもないか。
「団長、バルドーです。少しよろしいでしょうか」
今朝と違い、丁寧なノック音のあと、聞き慣れた声が聞こえた。連れてきてくれたらしい。「入れ」とレオンハルトが促すと、また今朝と違い、「失礼します」と丁寧に返事をしつつバルドーが数名の騎士を連れてきた。
部下の前だとこれくらい礼儀正しくなるんだよなぁ。
レオンハルトは、自分に向かって吐き気がするほど正しく一礼するバルドーと、それに続いて一礼する部下たちに無言で軽く礼をしながら思った。
「今朝報告された猪による作物の被害が起きた地域に詳しい者と、狩猟や害獣対策に慣れた者たち、それから端にいるのは、先日の団長の決闘後、俺が説教した者です」
「名前はジャンだったな」
レオンハルトは、セレスティーヌとの決闘を見学しに来ていた騎士の一人――赤毛で眼鏡をかけた、少し華奢な――年齢はセレスティーヌと同じか、少し下くらいだろうか。いや、セレスティーヌは何歳だったか。レオンハルトよりは歳下のはずだが。
ともかく、レオンハルトよりも若い、入団二年目のジャンをまじまじと見た。ものすごく緊張している。それはそうだろう、ここは騎士団長の執務室で、連れてきたのは副団長で、自分の横に並んでいるのは六、七年以上も経験のある先輩騎士だからである。
「どうして説教を?」
説教に至った経緯や、説教という名のレオンハルト特製の十対一の戦術資料に目を通すという特別待遇を受けたことはレオンハルト自身知っているが、念のため本人から聞いてみることにした。
ジャンは両肩をぴっと上げ、「は、はいっ」と声も上擦らせながら答える。
「決闘場において、ぼくがレオンハルト団長への敬意を損なう失言をしてしまったため、バルドー副団長からお叱りを受けることになりました!」
素直でよろしい。バルドーが口止めとしてこれを言うように、と教えた通りの文言をジャンはそのまま声に出した。
「僕の強さを疑ったとか?」
レオンハルトはデスクに両肘をつき、手を組んだ。ジャンはさらに肩を持ち上げ、きっちりと腰を曲げる。
「大変申し訳ございません! 団長の強さを疑うなど、騎士としてあるまじき行為でした!」
深々と頭を下げたジャンを見て、レオンハルトはちらりとバルドーを見た。バルドーの数回のまばたきは「たぶん信用できるやつ」と示している。
「――頭を上げろ、ジャン」
「はいっ!」
本当に素直なようだ。ぴしっと背筋を正したジャンは、レオンハルトからは好ましく見える。何よりあの厚さの資料に耐えたと聞く。レオンハルト個人としては、それだけで信用に足る材料だ。
「何事も疑うのはいいことだ。僕だって、いくら最強と言われても、気を抜けばすぐに負けてしまう。だから僕も、どれだけ強さを得ても傲慢になってはダメだと思っている。その点は、ジャンのような部下がいてくれるなら安心だな」
「え、えっと……」
ジャンは言葉を探しているようだ。眼鏡の奥の茶色の瞳が揺れている。ふっ、とレオンハルトは笑みをこぼした。
「ジャンはいい目を持っていると思うぞ。その観察力と洞察力、それから戦術と戦略の目を鍛えて、王国のために役立ててほしい。僕はお前に期待している」
「……は、はい! ありがとうございます!」
人の力量を見抜くのは副団長にもできる。だが褒めるのは騎士団長だけの役目にしてくれ、組織が崩れないために。レオンハルトがこの席に就いた時、バルドーから頼まれた約束だ。レオンハルトは今日もそれを守ったのだった。
「さて、今日お前たちに集まってもらったのは、王都郊外に広がる農園地帯の一部で発生した猪による畑への被害対策を頼みたいからなんだが――」
バルドーが「失礼します」とデスク越しに資料と地図を受け取り、それらをローテーブルに広げた。
「ジャンが例の説教を受けたのか」
一通りの打ち合わせが終わり、レオンハルトはバルドー以外の部下を解散させた。部下を見送ったあと執務室の扉を閉めるなり、いつもの調子でソファの中央に陣取ったバルドーに、レオンハルトが残った資料を整理しながら言った。
「時間はかかったっぽいですけどね」
「だが一晩で〝反省文〟を提出してきたんだろう」
「団長にも勤務後に見せますけど、俺としては四割くらいの成果ですかね」
「あれに関しては評価の基準がまだわからないな」
「それは俺もですけどね。何せ国内の情報を網羅した獣図鑑と植物図鑑と鉱石図鑑を三冊積み上げたくらいの分厚さなんで」
「ならバルドーから見て、どこがよかった?」
「〝改善案〟が一個あったとこ」
つまりジャンは格別に分厚い十対一の戦術パターン資料を一晩で読んだ上、資料にない新しい状況設定を、反省文という名のレポートで提案してきたということか。それは興味深い。ほう、とレオンハルトは感嘆の声を漏らした。
「いい若手を見つけたな」
「はぁい、団長とセレッちゃんのおかげでございます〜」
バルドーはゆったりと足を組みながら言った。
「バルドー」
レオンハルトは資料をとんとんと鳴らしながら言う。
「……セレッちゃんとは何事だ」
そして資料をデスク脇に置いた。「やっと食いついたかぁ」と、バルドーのニヤけ面が物語っているのはレオンハルトでも悟ることができた。そしてバルドーは背もたれに預けた左腕で雑に頬杖をつき、こう答える。
「セレスティーヌ・ローデンベルクさんの、あ・だ・名、ですけど」
愛称。特別な呼び方。とバルドーは追加で返答した。それくらいわかる、とレオンハルトはデスク上で拳を握る。
「……ご本人に許可は」
「もらってますけど?」
レオンハルトはとうとう黙った。バルドーの、「なんて言うかな〜」という卑しい期待のこもった視線を受けながら。
「……他の騎士は」
「あ、俺だけ許してもらってます。他のやつらには『俺が立ち会いのもと許可制な』って言っときました」
すでに対策済みときた。レオンハルトは自分の副官の手際がいいことを喜ぶべきか、なんと言えばいいか、目の前の上機嫌なバルドーを直視しながら考える。
「対策を講じたことには……礼を言う」
「俺が始めたセレスちゃん呼び、いつの間にか広まってましたからね」
「……それを踏まえて改善したことにも礼を言う」
「どういたしましてぇ」
「だが……」
「だが?」
レオンハルトが言葉を紡げば紡ぐほどバルドーの口角が上がっていく。「顔こわ」とバルドーが文句を言ってきたが聞かなかったことに――そんなに怖い顔をしているのか、自分は、今。
ふふん、とバルドーが笑う。
「やきもち!」
「やきっ……」
へっへっへ、と笑い続けるバルドーに、レオンハルトはどう言い返そうかと思い悩む。
「セレスちゃんより言いやすいんですよねぇ。セレッちゃんも快諾してくれたし」
「……そうか」
「あー、団長もセレッちゃんって呼びたいんだぁ〜」
「僕は淑女に対してそのような馴れ馴れしい呼び方はしない」
はあ、とバルドーが気の抜けた疑念を呈す。
「団長以外の騎士を軒並みボコしたお嬢様が淑女とはこれ如何に」
「……それ以外は淑女だろう。というかお前も負けてる場合か」
「だってセレッちゃん、どんどん強くなってくんですもん」
「それは……たしかに、決闘のたびに強くなっておられるが……」
はたして王立騎士団の中に太刀打ちできる騎士がいるだろうか。いてほしいような、いてほしくないような。
「まあでも、たしかに?」
バルドーが右手で顎を擦りながら宙を見つめる。
「俺もセレッちゃんに勝てたらプロポーズされるかもな〜」
「は?」
だって、とバルドーはそのまま続ける。
「セレッちゃん、言ってましたもん。『私に生まれて初めて敗北を与えてくださったのはレオンハルト様だから惚れましたの』って」
生まれて初めて。レオンハルトは思わず背後の、伝説の騎士団長――セレスティーヌの祖父の肖像画を見上げた。ジークフリート・ローデンベルクの公的な戦績は、大戦中含め全戦全勝である。公的な戦績は、レオンハルト同様、全戦全勝なのだ、伝説の騎士団長ことセレスティーヌの祖父、ジークフリート・ローデンベルクは。
いや、まさかな。まさかだ。だが一体。
「どういう理由で惚れてるんだ……」
それ以外の感想がなかった。レオンハルトは悪魔のような形相の、心の師と個人的に崇めている伝説の騎士団長の顔を眺める。
これにも何かしらのローデンベルク家家訓が関連しているのだろうか。レオンハルトは悪魔を前に首をかしげた。
「そういやセレッちゃん、次の舞踏会に参加するらしいですよ」
「ああ……侯爵家の……」
「団長も招待状もらいました?」
「ああ。お前もか?」
「ありがたいことに。業務終わりにでも行こうかなぁと思ってます」
「バルドー、お前はいつも元気だな……」
騎士にとって貴重な休日ですらデートしに行く上、バルドーはさらに勤務日の夜会へと赴いている。公爵家の次男という立場上、レオンハルトもたまに勤務終わりに参加することもあるが、バルドーほど頻度は高くない。
「……いつもあんな口説き方をしてるのか?」
「へ?」
レオンハルトの質問に、バルドーは「何のこっちゃ」と目で訴えた。
「……お、俺以外の、とか。俺と、行かない、とか」
すべてバルドーが今日言った、肩や背筋がぞわぞわするセリフだ。ああ、とバルドーはレオンハルトの質問の意図を察したらしい。
「いや全然。まだ本気じゃないし、あれくらい」
「……お前は……すごいな……!?」
レオンハルトは全身に鳥肌が立つのを感じた。
「あれは初歩中の初歩」
「あれでビギナーランク……なのか……」
にやりとバルドーの片頬が上がったが、レオンハルトの動揺はそれどころではない。
「舞踏会で披露すんのは精々ミドルランクまでですかね」
「ビギナーの上のノービスよりもさらに上……」
「ミドルの上、エキスパートとマスターは――さすがに舞踏会じゃ、ねぇ」
先は長いということか。「ちなみに」とレオンハルトが尋ねる。
「お前はマスターランクなんだろうな?」
「へえ……?」
バルドーが足を戻し、前のめりになる。
「団長。誰に向かって言ってるか、わかってるんでしょうね」
「……王立アカデミーに入学以来、百人以上の女性と浮名を流し――」
「内訳には勝手に流された浮名もあります」
「――そして、卒業する頃には告白という名の恋人関係への交渉を千回も受けていた男」
「告白回数、とっくに三千超えました」
「九年間で三倍……!」
「さすがに最近困ってます」
なるほど、これはマスターランクと認めざるを得ないだろう。レオンハルトは潔く頷いた。
「見せてもらうぞ、ミドルランク」
こうしてレオンハルトも次の舞踏会への参戦を決めた。




