奉行所
捕り物
聞きなれない言葉を聞いて、凛三郎が新之助に聞く。
新之助の中の祐一は、しまった、と胸の内で舌打ちした。
「気にしなくていい。独り言です。三日経っても動きが無いようなら、また別の事を考えようと思います。それに、その他に最近、浪人者で金が入ると言っている者が居ないか、又は羽振りが良くなった者が居ないか、その方の探索もお願いします。」
新之助は、思わず出た横文字の言葉に狼狽したが、直ぐに胡麻化した。
遺体を見た新之助は、その体に刃物を突き刺すという暴挙に出た。
それに腹を立てていたら、今度はこの時代では使われていない言葉を発した。
余程注意をしていないと、自分が自分で無くなってしまうような気がする。
元の新之助に取り込まれないように、また令和の言葉をなるべく使用しないように気を付けるには、祐一としての自覚を持って新之助を演じなければならない。
そういう強い意志を持っていよう、この時から、そう自分に言い聞かせた。
同心への指示は、ただの思い付きではない。
五十両と言えば、令和の世では五百万円に相当する。そんな大金を偶然に通り魔が、襲って奪うという事は考えにくかった。
予め、知っていて襲ったに違いない。そう確信しての指示であった。
山岸凛三郎は早速、川辺辰之進や同心仲間とともに、配下の岡っ引きを交代で常磐屋と田中屋に張り付かせ、浪人たちの聞き込みも行わせた。
両方の店を張るように言いつけられた岡っ引きたちは、主人や番頭が店から出かけると、その後を気付かれないように二人で付ける。
残った二人は、そのままずっと店を見張る。
同時に二組が店から出る事も有ったが、その時は必ず一人は店を見張る事にしていた。
店の者が出かける事は有ったが、その殆どは商用であり、怪しい動きは見られない。
特に、夜間の動きには注意をしていたが、三日目の朝が開けても怪しい動きは、双方の店共に無かった。
三日目の朝、常磐屋の前で気付かれないように店を張っていた、岡っ引きの辰三の所へ源蔵とその下っ引の仁助がやって来た。
「辰さん、塩梅はどうだい。動きは有ったかい。」
源蔵が辰三に訊ねる。
「いいやからっきしだ。済まないな、後は頼んだ、交代させてもらうぜ。
それにしても、こんな事をしていて、本当に大丈夫なのかな。他にやる事が有るように思うんだが。」
辰三がぼやいた。
「まあ、あの蒲生様の言う事だ。あんまり期待しない方がいいと思うが。
でもそれも今日で最後だ。ご苦労さん、後は任せておきな、
ゆっくり休んでくれ。」
「おお、そうさせてもらうよ。夜っぴいて立ちずくめで体が冷えちまった。
それじゃな。」
辰三とその配下の下っ引は、源蔵らと交代してその場を離れた。
その傍には、代わったばかりの他の二人が待機している。
昼が過ぎても、常磐屋に動きは無い。
田中屋で、何か動きが有ったとも聞いていない。
源蔵は諦めていた。
「なあ、仁助。常磐屋は金を盗られた方だぜ。その常磐屋を張るなんて、
可笑しくねえか。俺だったら、あぶれ浪人で腕の立つ者を当たるけどな。」
その時だった、常磐屋から番頭の与一が一人で出て来た。
手に包み物を抱えている。
何時もなら丁稚の小僧を連れて出るのだが、この時は一人だった。
源蔵と仁助は、何時もと違う様子の番頭の後を附ける事にした。
番頭の与一は、急ぐとも慌てた風でもなく一人、黙々と歩いていく。
店の有る七軒町から、東へ向かう。その方向は清水山の方角で、その先には田中屋が有る。
それで源蔵は
「なんでぇ、田中屋へ行くのか。これは当てが外れたかな。」
そう仁助に向かって言った。それでも二人は与一に悟られぬように、
時には道の反対側の離れた場所を歩いたり、人影に紛れたり、
物陰に隠れたりしながら与一の後を附けて行く。
清水山を越えると、急に人影はなくなってくる。道が左右に分かれている。
左へ行けば田中屋の方角で、右へ進めば護国神社が有る方角だ。
左へ行くと思った与一が右への道を選んだ。
「おやっ?これは少し変だぞ。あっちの方角に、商売相手になるような店なんか無いぞ。有るのは寺や神社ばかりだ。」
そう言うと、仁助も頷いた。
それから半刻程歩いただろうか。
与一はさらに脇道に入り、薄暗い山道を上って行く。
流石に、源蔵は顔を知られていて、与一に見つかる可能性も有った事から、
その先は仁助に任せた。
仁助は、見失わない程度に大きく間をおいて、与一の後に続く。
すると、与一はとある山寺に入って行った。
その山寺は、半分ほど朽ちかけていて当然の事ながら住職はいない。
寺の回りに有る墓も、荒れ放題になっていた。
そこまで附けると仁助は、踵を返して源蔵の所へ向った。
「親分、てえへんだ。与一が人気のない山寺へ入って行きやしたぜ。
その先まで附けようと思いましたが、辺りには遮るものも無く諦めましたが、あの人気のない山寺で誰かと会うつもりだと思います。
どうしましょう。」
源蔵はそれを聞くと、すぐさま仁助に命令した。
「この道は山寺から一本道だ。俺は此処で見張っているから、
お前は直ぐに戻って山岸様へこの事を知らせるんだ。
分かったな、出来るだけ早くだ。」
そう言われると仁助は、その場から走り出して鷹匠町の番屋へ向った。
其処に、同心の山岸凛三郎が居る筈だ。
走り出して四半刻、仁助は番屋へ着くと、
その場に居合わせた山岸凛三郎に見聞きした事を伝えた。
すると間髪を入れず、山岸はその知らせを奉行所の新之助に、注進するように命じ、自身は配下の者や同僚同心の川辺とその配下の者と共に、
山寺へ向って走り出す。
仁助もそれに続いた。総勢、七人居る。
山岸、川辺、仁助らが山寺の傍で見張っていた源蔵の所へ着いたのは、
仁助がその場から走り出してから半刻以上が経っていた。
山岸が源蔵に小声で言う。
「どうだ。中の様子は?」
「ヘイ、何人か居るようですが話は聞こえません。そろそろ番頭の与一も戻る頃だと思いますが、どうしましょう。」
「ここは一気に片付けよう。みんな油断するな。
相手の中には腕の立つ浪人が居るかもしれない。」
そう言うと山岸と川辺は十手を腰から抜いて、
先頭に立って山寺の中へ踏み込んだ。
本堂の中へ踏み込むと、気配を察した浪人三人と与一が、驚いた様子で
その場に立ちすくんでいる。
浪人の中の一人は、既に刀を抜いていた。
「与一!お前が後ろで手を回していたのか。」
山岸が叫ぶ。与一はおどおどして今にも逃げ出そうとしていた。
「おっと、逃がすもんかい。」
源蔵が与一を追おうとすると、刀を抜いていた浪人がその行く手を阻んだ。
「あぶねえ。」
源蔵は寸での所で、その刃を掻い潜った。
すると山岸がその浪人に立ち向かう。
「源蔵、逃がすな。」
「合点で。」
源蔵は与一を追った。その後ろを仁助が追う。
それを切っ掛けに、
川辺やその配下の者が他の二人の浪人に立ち向かって行く。
浪人たちは刀を抜き、配下の者達に切りかかった。
配下の者達は、十手を使いなんとかその刃をかわしている。
その間を縫って、山岸が浪人の一人に挑みかかった。
その手には十手が握られていた。
山岸と浪人は、二間を空けて対峙したままだ。
山岸の十手には、紺の捕縄が付けられている。山岸は腰を下ろし、
その十手を正眼に構えた。
浪人が上段から踏み込んで、山岸に襲いかかる。
山岸はその刀を掻い潜った瞬間、十手を脇から浪人が持つ刀の背へ振り下ろし、鉤で刀の背を挟み込んだ。
そうしておいて、左手で相手の右手首を掴み、十手で刀を上から叩き落す。
さらに十手と右腕を使い相手の左腕を取って、後方へ捩じ上げた。
浪人はたまらず、地べたへ崩れ落ちた。
すかさず山岸は十手で、浪人の背中を打ち付けると、浪人はたまらず動けなくなった。其処へ下っ引が近寄り、捕り縄を打った。
山岸は次の浪人へと向う。
一方、源蔵と仁助は与一に迫っていた。
源蔵は分銅を付けた捕り縄を、頭の上でぐるぐると回し、与一めがけて投げつけた。するとその分銅は与一の首に巻きつく。
源蔵が捕り縄を引くと、与一は後ろへ転げ落ちた。仁助がその上に馬乗りになり、与一の両手を後ろへ回し、その手と体を捕り縄で縛り付けていく。
その頃には、山岸と川辺は二人の浪人を打ちのめしていた。
こうして、山寺での戦闘は一段落した。山岸ら一党にけがは無い。
山岸が言う。
「意外に簡単に片付いたな。凄腕の剣豪が居ると思ったが拍子抜けだ。」
すると年嵩の川辺が言った。
「もしかしたら、先に何処かへ逃げていたのかもしれない。
与一に問い質そう。」
そこへ源蔵が、捕り縄で縛り付けていた与一を連れて来た。
「此処にいたのは、これで全員ではあるまい。」
川辺が聞いた。すると与一が観念したのか、素直にそれに答える。
「はい、もう一人ご浪人が居りましたが、私が此処へ到着すると直ぐに、
何処かへ出かけられました。」
山岸が聞く。
「どこに行ったのかは分からないのか。」
「はい。存じません。」
「その者の名は、何という。」
「確か佐伯主水様とおっしゃったと思います。」
其処へ知らせを受けた蒲生新之助が到着した。
山岸凛三郎が、一部始終を報告する。
すると新之助は
「浪人たちの懐を確かめてください。」
と命じた。
源蔵達が三人の浪人の懐を確かめると、二人の袖袋からそれぞれ三両ずつ、
もう一人からは四両の金が出て来た。
「蒲生様、これ以外は見つかりませんが。」
そう報告する。新之助は与一に問い質す。
「それは、この浪人達への手間賃だな。それで奪った五十両はどうした?」
すると与一は頭を垂れて答える。
「それは私にも分かりません。多分、先に逃げた佐伯様が持っていると思われます。」
「お前の目的は、金ではなく浅次郎の命だったようですね。浅次郎が亡くなればお前は大番頭に成れる。浪人どもへの報酬は、店から奪った五十両を当てる事にした。そうであろう。」
与一は観念している。
「その通りでございます。申し訳ありませんでした。でも、それでは足りないので、もう十両持ってこい、と今朝がた連絡が有りまして、こうして此処へ参った次第でございます。」
与一は後ろ手に縛られたまま、頭をうな垂れた。
「それでは、奉行所まで戻りましょう、ご一同ご苦労でした。」
新之助がそう言って、乗って来た馬へ上がろうとした時に、源蔵が聞いた。
「あの、蒲生様。この十両は如何いたしましょう。」
「十両?そんな物を私は知らないし、見てもいない。もし手元にあるのなら、皆で分ければ良いでしょう。」
源蔵や仁助、他の下っ引達も驚いた。
「本当によろしいのでしょうか。有難うございます。」
源蔵が礼を言い、皆も新之助に頭を下げた。
新之助は馬に跨り右親指を一本立てると、ニヤッと笑った。
が、その仕草の意味が分かる者はだれ一人としていなかった。
奉行所で改めて吟味した結果、今回の浅次郎殺しは番頭の与一が、
往年の浅次郎に対する妬みや恨みが積もり、浅次郎が五十両もの大金を
夜間に田中屋へ運ぶ事を知った与一が、知り合いの浪人者に依頼して、
浅次郎の命を狙ったものだった。
最初から奪った金には執着がなく、
浪人達で分ければよいと言っておいたようだ。
捕らわれた浪人達は、頭と目される佐伯と呼ばれた浪人者から、
後で与一が持ってくる十両を三人で分ければよい、と言われていて、
先に奪った五十両の行方については知らされていなかった。
さしずめ、佐伯という浪人が一人で奪い去って逃げたようだ。
奉行所は佐伯主水の似顔絵を作成し、その行方を追った。
こうして、常磐屋の一件はひとまず落着した。
続きは明日「町娘誘拐事件」




