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駿河の風  作者: 双花 芯
14/18

閻魔の仁吉


駿府の街も、もうそろそろ秋風が立って来た。両替町の裏手にある家から、

お艶は駿府城の東側にある横内と呼ばれる街並みへ向った。


この辺りは、神社や寺院が立ち並び小さな門前町を形成している。

お艶は、その通りに面した小料理屋へ入って行った。


間口は二間程度で、奥行きも五間は無い狭い店である。

一応、一階はめし屋であり二階が洒落た料理を出すと評判の、座敷部屋になっていた。


「ごめんなさいよ。」

声を掛けると奥の調理場から返事が返って来る。

「いらっしゃいませ。」


時間はとうに昼を過ぎているが、夕餉を出すには早い時間だ。

それでも店の者は客だと思って返事をしたのであろう。女の声だった。


「すみませんね、客では無いんですよ。弥一さんはお居でかね。」

するとその女の店番は、顔も見せずに奥へと向かって声を掛けた。


「弥一さーん、お客さんだよ。」

すると奥の調理場から、弥一と呼ばれた男が現れた。


年は四十四、五歳、背は大きくないががっちりとした体躯をしている。

頭に鉢巻をして、着物の袖は襷掛けをしていて、前掛けを着けている。

大きな目をしている。


弥一はお艶を見ると直ぐに、調理場の奥へ向って言った。

「ちょっと、四半刻ばかり出かけて来るわ。」


お艶も声を掛けた。

「御免なさいね、少しの間、弥一さんをお借りします。」


二人は並んで表に出ると、すぐ隣にある寺院の境内へと足を向ける。

歩きながら弥一が口を開いた。


「閻魔の事かい?」

「さすがだね、と言うところを見ると、やっぱり閻魔一味は江戸を離れたのは間違いないんだね?何処へ向ったのか、何か聞いている事はない?」


弥一は、お艶が同心の手足となって動いている事を知っている。


「俺が聞いているのは、江戸を離れて東海道を西へ向った、という事だけだ。俺の耳に入ってから、もう一〇日も経つからもう駿府に入っているかも知れない。」


「どうしても、居場所を突き止めたいのだけれど、何か手立てはないかしら。」

寺の境内へ入ると、弥一は大きな木の幹の根元へ腰を掛けた。


「閻魔は止めといたほうがいい。あいつは極悪人だ。下手に動くと命取りになる。」


「それでも、私は山岸様の為に調べたいんだよ。何とかならないかね。」

弥一は暫く考えていたが、ぽつりと言った。


「手立ては無い訳では無い。でもそれは本当に命懸けだぜ。自分を囮にするしかない。閻魔の仁吉は大層な女好きで、仕事の前に必ず女を手籠めにする。


閻魔を探すような女が居ると知れば、向こうから掻っ攫いに来るだろう。

俺がそれとなくその噂を広めれば、閻魔が駿府に居るとすれば、お艶さんを狙ってくるかもしれない。


それしか手は無いが、それでも良ければ噂を広めてみる。どうする?」

「私は、かまわないよ。お願いできるかしら。」


「分かった、それじゃ、やってみるが、くれぐれも気を付ける事だ。

それこそお艶さんが奉行所の手先だと知れれば、手籠めぐらいじゃ済まないからな。」


それからのお艶は、なるべく襲われ易いようにまた防御もできるようにと、

住まいを両替町の裏通りから大浜近くのあばら家に移した。


大浜と言う場所は、その名の通り駿河湾に面した浜の一帯で、町中からは三里以上離れている。


このあばら家は艶が隠れ家として、以前から用意しておいたものだ。

此処では、近くに寄って来る人影は直ぐに分かる。

周りに隠れる場所が無いのだ。


不意に襲われる心配だけは無くなる。近くには二町(約二二〇メートル)ほど離れて、同じような小さな漁師が利用していたあばら家があるだけだ。


しかも、そのあばら屋にはこの数年、人が住んだためしがない。

だから、逆に襲われた時には逃げる場所が無い。


お艶は襲われた際に、暴力を受けて手籠めにされる位は覚悟していた。

だが切り札として、昔名の女郎蜘蛛のお紋の名を出す事も考えていた。


もし命の危険を感じた時に、その名を出せば盗賊仲間では少しは知れた名だ。盗賊仲間同士の仁義はまだ残っているはずだ。


さすがの閻魔の仁吉も、その名を聞いてもなお殺そうなどと、そこまでは落ちぶれていないだろうと、そう思う事で気休めとした。


ただし弥一が言ったように、奉行所の手先と知れた時にはその限りではない。

あばら家で過ごすお艶だったが、数日に一度は町中へ買い出しに出なければならない。


あばら家まで食料を運んでくれる男も業者も居ない。

仕方なく、重い荷物を背に担ぎ、町中とあばら家を往復する。


そんなある日、お艶の後を附けて来るような人影を感じた。

気付くと、町の端辺りでその気配は消える。そんな事が、二、三度あった。


お艶はそれに気付いていない風を装い、その影を背中で感じていた。

弥一に相談をしてから八日が過ぎた頃、九月の夜半、暮の五つ半頃(夜九時頃)あばら家の外に、複数の足音が聞こえて来た。


「来た!」

お艶は身構えた。この時の為に用意した短刀を、そっと懐へ忍ばせる。


その直後に、足音が一つ近づいて来て、引き戸を叩く音がした。

ほどなく男の声が聞こえてきた。


「こちらは、お艶さんの家かい。お前さんが探しているという話を聞いたんで、出向いて来たぜ。閻魔の仁吉親分の使いでさあ。

ここを開けてくれないか。」


開けてくれと言っても、男の力ではしんばり棒を掛けてあっても、

簡単に戸は壊せる。


それをしないのは、何かの罠かも知れないと思っているのだろう。

お艶は心を落ち着かせるために、大きく息を一つ吐いた。


「お待ちを、今開けます。」

引き戸を開けると、月明りに照らされて男が一人立っていた。

三十位のいかにも遊び人風情の、背の高い男だった。


「何だい、こんな夜遅くに。」

お艶は咎めるように、平然と言った。


その仕草は、修羅場を何度もくぐった事のあるような、そんな風情を醸し出している。男が一瞬、怯んだように見えた。


「あんた、お艶さんだね。閻魔の仁吉親分を探しているそうじゃないか。

何の用だい。」


その答えを、お艶は用意していた。

「あんたは本当に仁吉親分の使いだろうね。もし違っていたら、

ただじゃ置かないよ。」


「へっ、気の強え女だな。どう、ただじゃ置かないか知らねえが、

俺は間違いなく仁吉親分の使いだぜ。


だから、こんなに丁寧にあんたを扱ってやっているんだ。

そうでなければ、今頃俺があんたを手籠めにしているぜ。」


お艶はそれを聞いて、閻魔の仁吉の手の者だと確信した。


「そうかい、疑って悪かったね。実は私のお父つぁんが仁吉親分の知り合いで、もし親分が駿府に来るようなら、渡してもらいたいものがあると、

(いまわ)の際に言い残したんでね。それを渡したいのさ。」


「へえー、それで渡したい物ってえのは何だい。」

「それは、直接親分に渡すよ。」


「そうかい、それなら会わせてやってもいいぜ。親分から、もしお艶と言う女がいい女なら連れてこい、と(ことづか)っている。あんたなら申し分ない。どうだい、付いてくるかい。」


「分かった、会わせて貰うよ。でもこんな夜半だ。

明日にしておくれでないか。」


「何を言ってんで、未通女(おぼこ)でもあるまいし、なんでこんな時刻に来たと思っているんで、その位わかるだろ。」


「はん、そう言う事かい。分かったよ、少し支度をするから

外で待ってておくれ。」

お艶はそう言うと、男を家の外に追い出した。


簡単に身支度をすると、外に出て男に連れて行けと催促した。

一町ほど歩くと、いつの間にか男の傍には三人の男が寄って来た。


これが何かの罠だった時の為に、用心していたようだ。

男四人とお艶は連れ立って、大浜から北西へ向って松林を歩いていく。


途中から北へ進路を変更した。月明りの夜道であったが、その内に何処を歩いているのか分からなくなってしまった。遠回りをしたのかもしれない。


目的の場所へ着いたのは、一刻(二時間)程後だった。そこは何処かの堂のような佇まいだった。お世辞にも綺麗な場所とは言えない。

屋根の瓦も、板塀も荒れ果てている。


雑草が生えた真っ暗な庭を行くと、前方に微かな明かりが見える。

先頭に立っている男は、その明かりに向かっていた。


腹の高さまである外廊下に続く階段を上がり切ると、古い引き戸を開ける。

其処はかっては本堂であろうと思われた場所で、床はぎしぎしと音を立ててもおかしくないほど、古びた板床である。


その床にむしろが引かれていて、五人の男が車座になって座っていた。

その中心に居るのが、閻魔の仁吉であろうことは直ぐに分かった。


傍には、心もとない明かりを灯す、一本の蝋燭が立てられている。

仁吉はお艶の意に反して、大男では無かった。その代り厚い胸板で、

太い腕と足が着物からはみ出ている。


胡坐をかいて座っている股間から、薄汚れた下帯が見えている。

髭は薄く、目鼻立ちははっきりしていた。年は、四十位か。


五人の男は、一斉にこちらを見た。先頭を歩いていた男が、仁吉に言った。

「親分、連れてきましたぜ。」


声を掛けられた仁吉と思しき男が、口元に笑みを浮かべた。

「ほーっ、いい女じゃねえか。遠慮はいらねえ、こっちへ来い。」


お艶は負けていない。

「遠慮なんかするもんかい、こんな薄汚いねぐらで。あんたが閻魔の仁吉さんかえ?」


両袖に二の腕までを入れて腕を組み、すっくと立ったままお艶が言った。


「ああ、そうだ。度胸も良さそうだ、ただの女じゃねえな。俺を探していると風の便りに聞いたんで、どんな女か試しに会いたくなった。気に入ったぜ。


そうだな、まずは此処へ座って、酒の酌をしてくれ。話はそれからだ。」

仁吉はそう言うと、持っていた湯飲み茶わんを差し出した。


傍には徳利が置いてある。

お艶は仁吉の傍へ足を流して座ると、徳利を手に取り仁吉に注いだ。


仁吉はそれをグイっと飲み干して、もう一度茶碗を左手で差し出し、

右手でお艶の肩を抱き寄せた。


「おっと、気軽に触るでないよ。お楽しみは後だよ。」

お艶は、仁吉の手を払いのけて、飲み干した仁吉の茶碗をその手から

奪い去った。


「私にも注ぎなよ。」

「へっ、ますます気に入った。野郎ども、此処で少しの間、飲んで待ってろ。俺はこの女と、この裏ですっぽりと濡れて来るぜ。」


仁吉はお艶の手の中の茶碗に酒を注ぐ。お艶がそれを一飲みにすると、

面白がってもう一杯注いでやった。お艶はその酒も飲み干した。


暗い部屋の中も、段々と目が慣れて来た。

其処はやはり荒寺の本堂であったようだ。


仁吉の後ろには、当時は本尊が祀られていただろうと思われる(しゅ)弥壇(みだん)があった。


その後ろは真っ暗であるが、狭い空間があるようだ。仁吉はそこへ、お艶を連れて行くつもりであろう。


お艶は、用心深く周囲を観察した。何処にも逃げ場はないようだ。

こうなれば、須弥壇の後ろで事が始まったら、懐の短刀で仁吉を刺すしかない、と思った。


続きは明日 「討伐」

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