艶
湯殿での面会
丸山藤九郎の探索は思うように捗っていなかったが、蒲生新之助とその同心たちは表立って動く事が出来ずにいた。
倉橋宗右衛門に、釘を刺されていたからだ。それ以外の大きな事件は、起こっていない。このまま、毎日が平穏に過ぎて行くかと思われた。
夏が蒲生家を訪れたその翌日、明けの五つ(午前八時頃)に湯屋へ
行ってみた。
女湯の暖簾を潜り番台の横を通っても、湯番は何も言わない。
新之助は湯番に
「これ以後は貸し切りである。」
と言ってみた。すると湯番はゆっくりと頭を下げた。
脱衣所に入ると、何と凛三郎の話のとおり、刀の置台が用意されている。
新之助は、大小と十手をその刀掛けに収めると着物を脱ぎ始めた。
誰も居ないと思っていたが、女湯の中から人の気配がする。
躊躇いがち湯殿へ入って行くと、十人程が入る事ができる湯船に
一人の女性が浸かっている。
隣部屋の男風呂には、何人かの客が居るようで話し声が聞こえてくる。
新之助は、その女は自分と同じ位の年で、かなりの美人だと思った。
良くは分からないが、武士や商家の妻などではなさそうである。
年は二十五、六。江戸時代では年増と言われる年齢だ。
首筋を手拭いで洗う仕種などに、妖艶さが伺われた。
意識していなくてもそういう仕草が出来るのは、
これまでの経験がそうさせるのか?
唇が厚く、目鼻立ちが整っていた。
首は長く、少し小ぶりな胸は露になっていて、
手拭いで隠そうともしていない。体はほっそりとしている。
新之助が湯船に入ると、その女が会釈をして、
すーっと新之助に近づいて来た。
「町奉行所の蒲生新之助様でいらっしゃいますね。私は艶と言う名で
山岸様から承って、こちらでなら蒲生様にお会いできると思い、
こうしてお待ちしておりました。
こんな格好で申し訳ありません。私は山岸様の元で、探索のお手伝いをさせて頂いており、山岸様には口では言い尽くせない程、それは大変に
お世話になっておる者です。
でも老婆心ながら、勘違いなさらないでくださいまし。
山岸様とは、そういう仲にはなっておりませんので。
あのお方はご養子で、奥様の雪様に首根っこを押さえつけられておるようで、私には指一本触れようとはしません。
私はこんないい女なのにねえ、よっぽど雪様が怖いのでしょうか。
あら、余分なわき道にそれてしまいましたけれど、山岸様は、蒲生様の為なら命も惜しくないと、何時もおっしゃっていらっしゃいました。
それで私も蒲生様の手足となって、お役に立ちたいと思いこうしてお待ち申しておりました。これからは、何なりと私にもお命じ下さいまし。
御用の節は、山岸様へそう申してくだされば、何時でも何処へでも
参上仕ります。」
艶と名乗った女は、そう言いながら少し頭を下げた。
新之助は目のやり場に困りながらも
「そうですか、分かりました。またそなたの力を借りる時も有るでしょうが、その時はよろしく頼みます。」
そう答える。
「一つだけ、私が聞いた噂話でまだ山岸様に申し上げてない事を、
お話しておきたいと存じますが、よろしいでしょうか。」
「それは構いませんが、山岸殿にはそなたから聞いたと私から伝えておきましょう。」
「有難うございます。実は、丸山藤九郎の事でございます。
浅間神社の捕り物で、仲間を失った藤九郎は、またぞろ怪しい動きを
しているようでございます。
なんでもあぶれ浪人や、やくざ者を、何人も集めているという話を聞き及びました。まだ真偽のほどは分かりませんが、また何か分かりましたなら、
お知らせしたいと存じます。
この事は、倉橋様はまだ知りえて居りませんし、丸山の居所もまだ掴めていないご様子です。」
艶は、そのまま湯船を出て行くと思われたが、新之助の意に反してまだその場に居る。
それどころか新之助の太ももの上に手を置いて、新之助を誘う目配せをした。
新之助は、艶のなすままにさせておきながら言った。
「艶とやら、裸の付き合いは大事だとは思いますが、私には必要が有りません。それよりも、山岸殿に恩を感じておられるのなら、身を粉にして山岸殿の手足となって働いて頂けないでしょうか。
私は艶が、どのような人物かは知りません。が、その身のこなしなどから、
修羅場をくぐって来た事があるのではないかと推察します。
これからは、私も艶を頼りにしようと思います。私の為とは言いません。
山岸殿の為に、汗を掻いてやってください。お願いします。」
新之助がそっと、頭を下げると艶は驚いて、膝を触っていた手を
すっと引っ込めた。
「ご、ご無礼を致しました。あ、頭をお上げください。蒲生様のお言葉、
肝に銘じます。わたしのような者に、そのようなお言葉を掛けて頂き、
誠にありがたく思います。これからも、命に代えてお仕え申し上げます。」
思いもよらない、新之助の言葉であったようだ。
「いいえ、命は何よりも大事です。たとえ、山岸殿のためとはいえ、
命を粗末にしてはいけません。ただ汗を掻くだけで結構です。」
再びの、新之助の言葉に艶は驚いている。
命が大事だから、命を粗末にするなと言っている。
頭を下げたり、命を大事にしろと言ったりする侍は、
今まで見た事も聞いた事もない。
艶は慌てた様子で、新之助の傍を離れ湯屋から出て行った。
そのような事があった日からしばらく、新之助は女湯で朝湯を使っていた。
隣の男湯から、凛三郎の言うように巷の噂話やら、家族や仕事の愚痴やら、
また昨日起こった市中の小さな事件やら、色々な話が飛び込んで来る。
此処では、市井の情報を得るには、もってこいの場所であることは
確かなようだった。
新之助は湯から上がると、その足で奉行所へ向った。
山岸凛三郎を呼び出すと、既に凛三郎は既に出仕していた。
「お呼びでございましょうか。」
凛三郎が、廊下の外で新之助に声を掛けた。
「ああ、入ってください。」
新之助が声を掛けると、凛三郎は障子を開けて部屋へと進む。
「早速ですが、先程湯屋へ行って来ました。」
「そうでございましたか。それで如何でしたでしょうか。」
「お艶に会いました。山岸殿が指図しておいてくれたのですね。」
「はっ、恐れ入ります。」
凛三郎は腰を屈めて、恐縮をしている。
「それでお艶は何と言っておりましたでしょうか。」
「丸山藤九郎が、新しい仲間を募っているような話しぶりでした。また何かを企んでいるのかもしれません。ただ、まだ裏付けは無いようでしたが。
それで、山岸殿からお艶に、続けてその裏付けを取るように命じてください。丸山が何処に居て、何を企んでいるのかを探れればそれが一番いいのですが。」
「分かりました。お艶は非力ではありますが、探索にかけては他の誰にも負けません。蒲生様の手足になるように、勤めさせます。」
「ええ、よろしくお願いします。我々は舅殿の手前、表立った動きは出来ません。このような時はお艶や、源蔵達の力を借りるしかない。
それと、もう一つ。丸山藤九郎と、常磐屋事件の時に逃げおおせた佐伯と申す浪人者とは、どうしても同一人物では無いかという疑念が晴れません。
それも合わせて探って頂きたい、と思います。」
「分かりました。そのように伝えます。」
「ところで、あのお艶と言う女の素性を、少し聞いておきたいのですが。」
新之助が問い質すと、凛三郎は少し言い澱んだ。記憶を失う前の新之助には、内緒にして置いた事だったからだ。
「お叱りを承知でお話しいたします。お艶はその昔、盗賊の一味だった女です。器量が良くて、すばしっこくて、頭が切れる事からその盗賊の頭領の女として、幾つかの盗み事に絡んでおりました。
私がまだ駆け出しのころ、その盗賊一味のお艶以外をお縄にした事がございます。その折に、ひょんな事からお艶の生い立ちを知る事になりました。
私には身に詰まされる生い立ちで、しかも根っからの悪人とは思われませんでした。私は単独でお艶を追い詰めましたが、どうしてもお縄に出来なかったのでございます。
まだ蒲生様が、与力として御出仕する前の事でございましたが、
当時の上席には内緒にして私はお艶を逃がしてやりました。
お艶はそれから数年は何処かの田舎で暮らしていたようですが、
ある時、私の前に現れて罪を償いたいと申し出てきました。
訳を聞くと、どうしても罪の意識に苛まれて、
熟睡できないとの事でした。
私はそれを聞いても、お縄にするのが憚れましたので、
私の手下として探索を手伝ってもらえないかと伝えたところ、
快く引き受けてくれたという次第です。
それからお艶は、私の元で悪人を捕らえる手伝いをしているという意識で、段々と罪の償いをしている気持ちになって来ていたのでしょう。
眠れない夜は無くなって来たと、喜んでいました。お気づきと思いますが、
お艶が罪を償いたいと申し出て来た時に、私がお縄に出来なかったのは、
偏に私の保身の為でした。
逃がした時に、お艶は川に落ちて死んだことにしたのです。それをその時にお縄にしたのでは、私の立場が無くなってしまうと思ったからです。
蒲生様には嘘が付けません。もし、蒲生様が私は許されないとお思いであれば、潔くその処罰は受ける所存です。」
凛三郎の長い説明が終わった。新之助は暫く考えていたが、一つ質問をした。
「それで、お艶はその盗賊一味の時の名もお艶だったのですか。」
「いいえ、その時は通り名で女郎蜘蛛のお紋と呼ばれていました。
お艶と言う名は、私が名付けました。」
「それでは、問題は無いでしょう。私が携わる前の事であり、
女郎蜘蛛のお紋はその時に死んでいるのですから。」
「有難きお言葉。これからも精進いたしますので、私とお艶をよろしくお引き回し下されたく存じ上げます。」
凛三郎は大きく頭を下げると、部屋から出て行った。
何日か後で、新之助は出仕の前に、再度湯屋へ足を運んだ。
するとそこには又、お艶が湯船に浸かっていた。
相変わらず、細身の裸体をさらけ出している。
新之助が湯船に入ると、湯に浸かったまま近づいて来た。
「蒲生様、山岸様からお聞きしました。山岸様のみならず私までも
お許しいただき、大変ありがたく存じ上げます。
この御恩情は一生忘れる事ではありません。
蒲生様と山岸様の為ならば、この身を削ってもご奉公させて頂きます。
存分にお使いくだされたく存じ上げます。」
「ははっ、そんな事はどうでもいいですよ。それよりもそんな事を、
こんな場所でしかも裸で言う事ですか?」
新之助はおどけて見せた。
「失礼いたしました、本当にその通りでございますね。
でも此処でしか蒲生様にお目に掛かれる場所を知りません。」
お艶が笑顔を見せた。
「ところで蒲生様、佐伯主水や丸山藤九郎とは直接関連が有るかどうかは分かりませんが、江戸で暗躍していた閻魔の仁吉一味が、この駿府へ入ったという噂を聞き及びました。
まだ噂の域を出ていませんが放っておくわけにも参りません。
私にぜひ、探索を御命じ下されたく存じます。」
「何か、当てでもあるのですか。」
「はい、お聞き及びと存じますが、私は以前盗賊一味と組していました。
その時の仲間の知り合いで、とうの昔に足を洗った男を知っております。
その者を伝手に、何とか探ってみたいと存じますが。」
「分かった、よろしくお願いします。でもくれぐれも深追いはしないように。常に山岸殿と連絡を密にして、一人で全てを成そうなどと思わないように。
それが身の安全にもつながるし、一番の早道でもありますから。」
「有難うございます、肝に銘じます。今まではそのように暖かいお言葉を掛けて頂いた事はございません。もったいない事でございます。」
「口では申さなくても、山岸殿もきっとそう思っているに違いない。
くれぐれも用心を怠らないように。」
「分かりました。それと、後先になりましたが、
佐伯主水と丸山藤九郎の事は、まだはっきりとはして居りません。
引き続きこれも調べておりますので、何か分かったらお知らせいたします。
それではこれにてご無礼をいたします。重ね重ね、こんな裸身のままで
失礼仕りました。」
お艶はそう言い終えると、ふくよかな臀部を見せながら、
湯船から出て行こうとした。新之助はその後ろ姿に声を掛けた。
「これからは私に用がある時は、遠慮しないで拙宅へ訪ねてくればよい。
家内にも女中頭にも、お艶の事は知らせて置く故。」
艶は振り返る事を躊躇しながら、背中で、有難うございます、と返事をしながら頭を下げて湯殿を出て行った。
続きは明日 「閻魔の仁吉」




