夏
初めて刀で切り合いをした
その頃、駿州屋吉兵衛も店を出た。風呂敷には三百両の大金を忍ばせて、
それを小脇に抱えている。番頭が火の入った提灯を持って、付いて来ている。
二人は、浅間神社の入り口である浅間山の登り口まで来ると、番頭が火を消して、吉兵衛だけが山へ向って上り始めた。
その時に、吉兵衛の後ろを隠れながら付かず離れずしている影が有った事を、吉兵衛は気付いていない。
その影は、大小二本を腰に差した、着流し姿の蒲生新之助だった。
吉兵衛が山へ登り始めて、しばらくすると一人の男が目の前に現れた。
参道は狭く、回りの木立がざわざわと風に揺れている。
半月の明かりでようやく行く手が分かる程度の明るさが有った。
吉兵衛は突然の事で驚き、思わず後ろへ一歩下がった。男が低い声で言った。
「吉兵衛だな。一人だろうな。」
駿州屋吉兵衛は、おどおどしながら答える。男の顔は見えない。
「はい、一人でございます。夏は、夏は無事なのでございますね。」
「ああ、心配はいらねえよ。金は持って来たか。」
「はい。この通り。」
吉兵衛は、小脇に抱えた風呂敷包みを男に示した。男はそれを見ると
「付いてきな。」
と言い放って、境内へ続く道とは違う道へと入って行った。
吉兵衛がそれに続くと、その影のように新之助も後を追う。
しばらく歩くと、広く空いた平地が有った。そこまで来ると、前を歩いていた男が振り向く。そして、回りに言い放った。
「お宝が来たぜ。」
すると総勢、五人の男たちが木立の陰から現れた。
その中の一人は、縄で縛られ猿轡を噛まされた夏を連れている。
よく見れば、その中の二人は浪人者のようだ。
「夏、夏か、無事だろうね。」
夏は身を捩って、男から逃れようとしているが、猿轡の為に声は出ない。
「おっと、まだだぜ。お宝が先だ、こちらへ渡せ。」
案内役の男が言うと、近くにいたもう一人のやくざ風の男が、吉兵衛に近づいた。
吉兵衛は、その男に金が入った風呂敷包みを渡した。
「夏を、夏を返してください。」
吉兵衛は涙ながらに懇願する。すると浪人者の一人が、顎で合図をした。
夏を縛り付けていた縄の先を、その男が手放す。すると夏は、体を縄で縛られたまま、吉兵衛の所までおぼつかない足取りで駆け寄って来た。
思わず夏を抱きすくめる、吉兵衛。
その後ろで浪人の一人が大刀を抜き、その抱き合っている二人を切ろうとして刀を振り上げた。
その刀が振り下ろされようとした時、木立の陰に隠れていた新之助が、鞘の差表にさしてあった小柄をその浪人に向かって投げつけた。
小柄は浪人の手首に刺さった。浪人は体制を崩す。
その瞬間を縫って、新之助は吉兵衛と夏の前に立ちはだかった。
「何だ、てめえは!」
やくざ風の男が叫んだ。
「蒲生様!」
吉兵衛も叫ぶ。
「吉兵衛、夏、まだ安心は出来ぬ。私でもこの六人を相手にするのには、少し骨が折れる。心して身を守れ。」
新之助は着流しであった為、十手は持ち合わせていない。
自身の身で二人を庇いながら、慎重に周りを見渡す。
男たちは各々、手に刀を抜いて持っているが、一人だけ浪人者がそれを遠巻きに見ている。その男が頭目であろうと、新之助は目星を付けた。
新之助は刀を裏返して、刀の背を下にした。その時に、一人のやくざ風の男が新之助に切りかかって来た。
新之助は、その男の刀を下段から振り払うと、返す刀で男の左肩を強く打った。
男はたまらず、その場に蹲る。
新之助の体の中に居る長沢祐一は、こんな事が本当にできるのか、と驚愕していた。
竹刀を持って競技相手と対峙した経験はある。
相手の竹刀を掻い潜り、相手を打ち負かした事も何度かある。
でもその時でも相手の竹刀は自分の体の何処かを掠めていたし、何処かを打ち付けていた事も有る。ただ祐一の竹刀が相手より先に有効ポイントに達していただけの話で、真剣であれば相打ちになるかも知れない。
祐一はただ蒲生新之助の技量を信じるしかないと覚悟を決めた。
その信じるに足る唯一の根拠は、手に持った真剣が思いのほか手に馴染んでいると感じている事だ。
大刀を持っている場合、相手は三人以上で同時には打ち込めない。
相打ちの可能性があるからだ。
一人が正面から、もう一人が背面から同時に新之助に向かって打ち込んで来た。
新之助はとっさにその間合いを判断し、中段に構えていた己の刀の刃先を後ろへ向けた。
そして、己は一歩後ろへ下がって、後方から打ち込んで来たやくざ風の男へ、その男が刀を振りかざした瞬間を狙って、己の刀を脇腹へ突き刺した。
と同時に、すぐさま逆切りの様で刀を前方へ振り払い、前から攻めて来た男の刀を振り払う。
チャリーンと、刀と刀の触れ合う音がした。
すると、相手の刀がその中央辺りから折れた。後ろの男は、わき腹から血を流し、その場で倒れている。
それを見て、前から襲って来た男の戦意は消失して、二、三歩、後退さった。
もう一人のやくざ風の男が、新之助に向かおうとしていた。
浪人がそれを制して、新之助の前に出て来た。お互いに声を発していない。
新之助の息遣いだけが、聞こえてくる。
新之助は、刀を返し元に戻した。そして何回か、深呼吸する。
浪人は正眼に構える。新之助も同様に正眼に構えた。
もう一人の頭目と思える浪人は、相変わらず遠巻きに二人を見ているたけだ。
戦意を失ったやくざと、浪人に制されたやくざは、その頭目の浪人の傍まで下がっている。
金の入った風呂敷包は、頭目と思しきの浪人に渡されていた。
対峙していた浪人が、前に踏み込むと同時に刀で突いて来た。
新之助は、左に避けてその刀を振り払う。それだけで、二人は二人の技量を推し量った。祐一にもそれが分かる。
勝てると思った。浪人に焦りが出たようだ。
新之助は正眼に構えていた刀を下段へ構えなおした。
すると、浪人は刀を上段へ振りかざして、一気に振り下ろして来た。
新之助もそれを見て、一歩前へ踏み込む。下ろされた相手の刀を、下段から受けた。
両腕に相手の力が伝わる。
新之助は体を預けて、腰の力で相手の体を後方へ押しやった。
相手はその力に負けて、後方へよろける。
新之助は、改めて剣先を左下段から、右上段へ振り上げた。確かな手ごたえがあった。
剣は、浪人の右脇へ吸い込まれ、浪人の右腕を切り落としている。
すさまじい勢いだった。
浪人は、どっとその場へ崩れ落ちた。どさっという音と同時に、刀を持ったままの腕の、肘から先が地面に落ちた。浪人から血しぶきが上がる。
頭目と思しき浪人は
「これまでだ。引くぞ。」
と言って、木立の闇へ消えて行った。
二人のやくざもそれに続き、腕を落とされた浪人も何とか逃げようとしている。
祐一は生身の人間の腕を切り落とした事に、正直驚いている。
剣先で、男の体を突いた時の感触も手に残っている。
何とした事だ。こんな事をしても良かったのか、他に方法は無かったのか。
そんな思いとは裏腹に、体はいたって冷静だった。心臓も普段通りだし、汗もかいていない。体の震えも無い。
新之助という男は、それ程強靭な精神の持ち主のようだし、職務に忠実なだけなのだろう。
新之助は深追いをしなかった。
夏を縛っていた縄を解くと、吉兵衛に預ける。
そうして地面に蹲って気を失っていたやくざ者を縛り上げると、わき腹から血を流しているもう一人の男を起き上がらせて、その腕を肩に回していく。
新之助は縛り縄の先を片手で持ち、もう一人を肩に載せる形で山を下りて行く。
その肩の男は新之助の歩きに合わせるように、よろけながらも付いて行く。
それを見守るように、吉兵衛と夏は涙ながらにその後を歩いて行った。
片腕を失くした浪人は、息も絶え絶えにそれでも闇の中へと消えて行った。
その頃、麓では山岸と川辺の指示で捕り方が、山の上から降りてこられそうな場所で、何人かに分かれて待機をしていた。
正面と、裏門には川辺と山岸が陣取っている。
「ピーッ。」
呼子が鳴った。
川辺は、捕り方二名をその場に残し、急いで笛のなった方へ駆け出す。
すると山肌の木立の間から、二人のやくざ者が姿を現した。
その二名が山から降りた所で
「それ、取り押さえろ。」
川辺の激が飛ぶ。捕り方は一斉に、二人のやくざ者を取り押さえた。
裏門の下山口に陣取っていた山岸は、それでもその場所から離れなかった。
すると、おぼつかない足取りで一人の浪人者が降りて来た。
山岸は
「怪しい奴め、神妙にいたせ。」
そう言うと、その浪人に十手を向けた。浪人は、片腕が無く、その切り口から血が滴り落ちている。戦意は全くなかった。
山岸は、捕り方に命じて、その浪人を召し取った。
すると、その後から新之助が二人のやくざ者を連れて山から降りて来た。
後には吉兵衛と夏が続いている。
「蒲生様、これはどうした次第ですか?」
新之助が言う。
「おお、山岸殿か。この二人を頼みます。一人は怪我をしているが、加減をしてあります、命には別状ないでしょう。」
新之助は二人のやくざ者を山岸に預けた。
「吉兵衛と夏は無事です。しかし、頭目と目される浪人者は逃げ去ってしまいまた。」
山岸に対して、そう報告すると吉兵衛に向き直った。
「金子も奪われた。吉兵衛、勘弁しろよ。」
新之助が声を掛けると、吉兵衛は恐縮している。
「とんでもない事でございます。新之助様のお陰で、こうして夏は無事に戻りました。夏は金には代えられません。それだけで、もう充分でございます。
本当に、有難うございました。」
深々と頭を下げる。夏はその傍で、半ば茫然としている。
新之助は山岸に命じて、吉兵衛と夏を店まで送り届けさせた。
「して、あとの首尾はどうでしたか?」
山岸が答える。
「先ほど、正面の辺りで呼子が鳴らされました。大方、山から逃げて来た下手人の内、何人かは取り押さえたと思いますが、まだ詳細は分かっていません。それより、蒲生様は一体どうなされたのですか?」
「川辺殿に、あのように申したが面目ありません。境内へ踏み込む許しは頂けなかったのです。それで私は与力ではなく、一人の人として浅間神社へ参内する事にしたのです。
するとそこで、たまたま下手人たちと出くわしたという事です。」
と、新之助は笑いながら言った。
続きは明日 「恋文を貰う」




