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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
最終部「指切り心中」
43/49

四十頁目:四人と一人


 見返村を包み込む霧は、囲炉裏(いろり)の火を反射して窓の外でどろりとうねっていた。


 稿坂の家の居間。僕は受け取ったばかりの分厚い封筒を、震える指先で開封した。中には、数枚の便箋と、それを守るように厚手の台紙が一枚入っていた。

 

 朱音が固唾を呑んで僕の肩越しに手紙を覗き込む。


「……読んで、さっくー。日下のやつが、何を、どんな言葉を遺したのか」


 僕は、日下 匡という男が最期に振り絞ったであろう言葉を、清書係としての眼で、一文字ずつなぞるように読み始めた。



『父上、母上。


 長らく不義理を重ねてきたことを、まずはお詫び申し上げます。


 二十年前、あの日から僕の時間は止まったままでした。勝手な都合で家を飛び出し、連絡も絶ち、別の誰かとして生きる道を選んだ僕を、お二人はどう思われているでしょうか。許してほしいとは言いません。ただ、僕は僕なりに、自分が犯した罪の落とし所を探していたことだけは、分かっていただきたいのです。


 職場の皆様、そして担当させていただいた作家の先生方。


 突然このような形で姿を消す無責任を、どうかお許しください。


 近頃、自分の周囲に奇妙な視線を感じるようになりました。かつて葬り去ったはずの過去が、泥のような足音を立てて追いかけてくるような、そんな心地の悪い毎日です。もし、僕に万が一のことがあっても、それは誰のせいでもありません。すべては僕の臆病さと、過去への執着が招いた結果です。


 白河 執先生。


 先生の作品を最後まで見届けることができなかったこと、それだけが心残りです。


 先生が描こうとした真実の欠片を、僕は拾い上げることができませんでした。


 僕のような臆病な人間に、物語を愛する資格はなかったのかもしれません。


 さようなら。

 僕は、僕が還るべき場所へと向かいます』



 読み終えた瞬間、室内に沈黙が落ちた。


 薪がパチリと爆ぜる音だけが、不自然なほど大きく響く。


「……え? こんだけ?」


 拍子抜けしたような声を上げたのは、朱音だった。彼女は僕の手元の便箋をひったくるようにして表裏を確認し、封筒の中を覗き込む。


「嘘でしょ……? さっくー、これのどこかに暗号とか隠されてないの? 炙り出しとか、頭文字を繋げると別の意味になるとか! あんなに勿体ぶって、わざわざこんな村にまで隠したものが、こんな……普通の遺書なわけないじゃん!」


「……朱音さん、落ち着いてください。封筒の中には、他に何も入っていません。文字の並びや筆跡も……今のところ、特別な符号は見当たりませんね。内容も、自分に危険が迫っていることを察知した人間の、ごく一般的な謝罪と別れの言葉です」


「かーっ! 日下のやつを切れる男とか評価した私がバカだったよ! あいつ、最後の最後に命懸けで遺すものが、ただの謝罪と後悔って何!? 結局、定本を追い詰める証拠も、二十年前の真相も、ここには何にもないってことじゃん!」


 朱音は苛立ちを隠さず、乱暴に髪を掻き揚げてソファ――といっても、古い畳の上に置かれたクッションだが――に沈み込んだ。


「……そ、そうですね。これでは……」


 アテが外れた。


 僕もまた、奥歯を噛み締めていた。あの日下という男が、自分の命が尽きようとしている局面で、これほど無意味な白旗を上げるだろうか。清書係としてなぞった、かつての彼の筆跡には、もっと重い、あるいはもっと鋭利な毒が潜んでいたはずなのに。


(……本当に、そうだろうか?)


 僕は、テーブルに投げ出された"日下 匡の遺書"を、再び見つめた。


 日下さんは、叔父の担当編集だった。彼らは作家と共に物語の構成を練り、伏線を張り、読者の裏をかくプロだ。そんな彼が、死を目前にしたラストシーンで、何のひねりもない結末を用意するだろうか。


(そもそも、普通の遺書なら、自宅の机や出版社に置いておけばいい。あるいは、親戚に郵送すれば済む話だ。なぜ、わざわざ追っ手の目を盗んで、定本の支配下にあるはずのこの村まで来て、稿坂さんに預けたんだ?)


 叔父の言葉がリフレインする。『真実を知りたければ、物語を裏返せ』と。

 

 日下 匡としての遺書。


 それは、もし定本の手の者に奪われたとしても、「日下が絶望して自殺した」という物語を補強するための、カモフラージュに過ぎないのではないか。


 この村で、彼は"日下"ではなかった。


 ならば、彼が本当に遺したかったものは、()()()()に紐付いているのではないか。


「……稿坂さん」


 僕は、煙管(キセル)を燻らせながら冷淡な目でこちらを見ていた稿坂を、真っ直ぐに見据えた。


「おいおい、そんな怖い顔で見るなよ。あいつから預かってるモンは、その手紙で全部だ。文句があるなら、死んだあいつに言ってくれ」


「……いいえ、分かっています。日下さんからの預かりものは、それで全部でしょう。……では、聞き方を変えます。日下さんからではなく、"巻 良介"からの預かりものは、ありませんか?」


 その瞬間、稿坂の口から細く長い煙が吐き出された。


 彼の口元が、邪悪なほどにニヤリと歪む。


「……くくっ。ようやくそこに辿り着いたか。そんなら、巻の野郎も報われるだろうよ」


 稿坂は重い腰を上げると、奥の戸棚から一冊の古びたクリアファイルを取り出した。そこには、日下の遺書の封筒とは明らかに異なる、二十年分の埃と執念が染み付いたような気配があった。


「これは、二十年前のものだ。巻 良介がこの村に転がり込んできた時に、俺たちが独自に行った身辺調査の記録だよ。本来なら、墓場まで持っていくオフレコ資料なんだがな」


「身辺調査……?」


「当たり前だろ。俺たちの生業は知ってんだろ? どこの馬の骨とも分からねえ奴に、新しい人生を売るほどお人好しじゃねえ。……特にあいつは、あの心中事件の直後にやってきた。警察が嗅ぎ回っているようなヤマを抱えてねえか、俺たちはあいつの背景を根こそぎ調べ上げたんだ」


 稿坂さんは、クリアファイルを僕の前に放り出した。


「数日前に来たあいつ――日下は、こう言いやがった。『もし、朔という男が来たら、この古い調査記録も見せてやってくれ。あいつなら、そこに挟まった栞を見つけるはずだ』とな。……日下という偽物の言葉より、巻という本物の記録の方が、お前には価値があるってことだろ」


 僕はひったくるようにしてファイルを開いた。


 そこには、二十年前の装幀高校、そして羽住実那という少女を取り巻く凄惨な事実が、外部の、それも犯罪のプロたちの冷徹な視点でまとめられていた。


「朱音さん、見てください。……わかりましたよ。僕たちが追うべき、真実の輪郭が」


「さっくー、わかったって、何が? そのボロボロの書類に、何が書いてあるの?」


 僕は、調査報告書の一部を指差した。


「……二十年前、装幀高校での"心中"。それは、美談でも、単なる事故でもない。……羽住実那さんは、学校内で執拗な"いじめ"を受けていたんです。それも、一部の特権的な生徒たちによる、逃げ場のない支配……」


「いじめ……? そんな、ありふれたことが原因なの?」


「いいえ。その"主犯格"のリストを見てください。……ここには、当時、実那さんを精神的に追い詰め、あの日、図書準備室に呼び出したとされる四人の名前が並んでいます」


 僕は、その名前を読み上げた。


「一人は当然、定本 誠志郎。……そして、あとの三人も、同じクラスの取り巻きたちだと書いてあります」


「じゃあ、日下……巻は、その状況に心を痛めていた……ってこと?」


「……いや、それだけじゃないです。あの日、彼女が死んだ現場に、この四人は揃っていた。……定本が彼女の手を汚し、あとの三人がそれを見届けた」


 朱音は息を呑み、以前僕が立てた仮説を口にした。


「……さっくー。前、言ってたよね。指は全部で五本。共犯者は最大で五人だって。……でも、このリストには四人しかいないよ?」


「……ええ。定本と、その取り巻き三人。これが、彼女を殺した実行犯。でも、それだけじゃありません。口封じをされ、指を渡されていた人物は、もう一人いたんです」


 僕はある種の核心を持って、口にした。


 きっとこれが、日下が僕に託したかった最後の切り札。定本という大きすぎる的に立ち向かうための、唯一の武器――。



「――巻 良介。彼が五本目の指を、そして、定本を追い詰める最大の証拠を、持っていたはずです」



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