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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
最終部「指切り心中」
40/45

三十八頁目:遺したもの-前


 僕たちは引き続き、丑三ツ書店の二階にて、事件について調べることにした。


 とは言っても、派手に動くことはできない。できることは、報道伝いの情報収集や、SNSなんかを用いた呼びかけになる。


 だが――それこそ、インフルエンサーの専売特許だ。


 朱音は、持ち込んだ高性能なモニターに映し出された複数のニュースサイトを無言で見つめている。そこには、変わり果てた姿で見つかった一人の男の報せが、無機質な活字で踊っていた。


 僕らは、それらのデータを書き出し、まとめ、ホワイトボードの上に載せていく。少しずつだが、日下が命を落とした経緯が、その輪郭をはっきりとさせつつあった。


「……日下。結局、こんな形で再会することになるなんてね」


 朱音の声は、乾いた砂のようにカサついていた。


 モニターの画面には、装幀市近郊、御蔵(みくら)湾港の北側岸壁が映し出されている。灰色の海と、無機質なテトラポット。その狭間で発見された水死体が、叔父の担当編集であり、僕の知る日下 匡という男の成れの果てだった。


「遺体の状態、かなり酷かったみたいだね」


 朱音がマウスをスクロールさせながら、顔をしかめた。


「数日間、水の中にいたことによる腐敗と、海流による損壊。それに、この湾港は装幀市を流れる"装幀川"の出口にあたる場所だ。警察の見立てでは、もっと上流……人目のつかない山林に近い川縁で遺棄されて、そのまま海まで流されてきたんだろう、だってさ。死因は、肺から水が検出されたことによる溺死。……他殺か自殺か、それすらも今の段階では"不明"として処理されようとしてる」


 僕は窓の外を見つめた。装幀市の街並みは、今日も何事もなかったかのように機能している。だが、その足元を流れる川には、一人の男の絶望が流されていたのだ。


「……僕たちは、叔父さんの"絶筆"を清書したあの日、叔父さんの家で日下さんに会っています」


 僕は、あの日の日下のことを思い出していた。


 相手の大きさも知らずに、事件に飛び込もうとしていた僕に釘を刺そうとするかのような、そんな口ぶり――思えば、僕は脅されていたわけでも、測られていたわけでもなく、ただ案じられていたのかもしれない。


 その心の中まではもうわからないが、そこには一つの事実がある。


「あの時、彼は確かに生きていた。……翌朝、勤務先の出版社を無断欠勤してから、彼の足取りは完全に途絶えていた。つまり、僕たちと別れてから、夜明けまでの数時間の間に、彼は何者かに捕まり……あるいは自ら命を絶った。……でも、日下さんが自ら死を選ぶなんて、僕には思えません」


 僕は、日下 匡――巻 良介という男が最後に僕に向けた瞳を思い出していた。あの瞳に宿っていたのは、諦めではない。二十年という長い沈黙を破り、何かに立ち向かおうとする"書き手"のそれだったのではなかったかと、今なら思うことができる。


「じゃあ、日下は殺されたんだね。私たちが白河 執の家を出てから、翌朝までの間……。定本が、口封じに動いたってこと?」


 朱音の問いに、僕はすぐに頷くことができなかった。


 思考の歯車を逆回転させる。清書係としての直感が、物語の"裏地"にある違和感を捉えて離さない。


「……気になることが、あるんです」


「気になること?」


「どうして、日下さんが殺されなければならなかったのか、です。定本が直接手を下したにせよ、命じたにせよ……二十年もの間、飼い犬として使い続けてきた男を、なぜ"今"、殺す必要があったのか」


 僕はホワイトボードに向かい、黒いペンで大きな円を描いた。


「前に、推理しましたよね。叔父さんを殺したのは、日下さんだったんじゃないかって。取り寄せた"指切り心中"の資料に毒物を忍ばせ、パソコンにマルウェアを仕込み、叔父さんを死に至らしめた……。あんなことができるのは、叔父さんに最も近かった日下さんだけだ。あいつは定本サイドの人間として、真相に近づきすぎた叔父さんを消したんだ。……僕は、そう確信していました」


「うん、そうだね。でも、日下は"巻 良介"であることがわかって、どちらかといえば、白河 執を殺す理由はなかった。ということは、つまり……」


「ええ。……日下さんは、()()()()()()()()()()()()()()()んじゃないかと思うんです」


 朱音が息を呑む音が、静かな部屋に響いた。


 布団の山からひょこりと顔を出した墨千夜が、琥珀色の瞳で僕をじっと見つめている。


「……日下さんは、定本から"監視"の役割を与えられていた。二十年前の心中事件の当事者として、一生解けない呪いをかけられたまま、定本にとって不都合な動きをする人間を監視する。……でも、日下さんは叔父さんのことが大好きだった。叔父さんの才能を信じ、彼が描く物語の完成を、誰よりも待ち望んでいたはずです」


「待ってよ。でも、実際に毒を盛ったのは日下でしょ!? 証拠だってあったじゃん!」


「……仮に、日下さんが定本の一派だとして、叔父さんから『指切り心中についての資料を探してくれ』と頼まれたら、彼はまずどうすると思いますか? 定本に、許可を求めたはずです。定本の鼻薬が効いている以上、独断でそんな爆弾のような資料を渡せるはずがない」


 僕は、ホワイトボードに"定本"の名を書き込み、そこから日下へと矢印を引いた。


「なら、素直に考えれば、あの毒入りの資料を用意したのは、定本本人だったはずなんです。定本は日下さんにこう言ったんじゃないでしょうか。『白河がそこまで言うなら、この資料を渡してやれ。奴の創作の助けになるはずだ』……なんて、善意の顔をしてね」


「……まさか。日下は、それを、白河 執の元まで運んだだけ……って言いたいの?」



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