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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
最終部「指切り心中」
39/45

三十七頁目:死者は沈黙せず


「……すみません、少し外の風を浴びてきます。頭が、煮詰まってしまって」


 僕は、タブレットの画面を見つめたまま固まっている朱音と、布団の山に沈んでいる墨千夜にそう言い残し、裏口から外へと逃げ出した。


 夕闇が装幀市を包み始めていた。


 遠くから、スピーカーを震わせるウグイス嬢の声が聞こえてくる。それは定本の朗々とした演説ではなく、どこか必死さが空回りしている泡沫候補の選挙カーだった。


「――装幀市の未来を、市民の手に……! 最後まで、最後まで諦めずに訴えてまいります!」


(……諦めない、か)


 言葉にするのは簡単だ。だが、相手が街の"裏地"そのものである定本では、それを貫くことすら難しい。


 焦りが、冷たい汗となって背中を伝う。


 せめて二人、に飲み物でも買っていこう。僕は自販機を目指して、無機質なアスファルトを蹴った。


 その時だった。


 シャッターの下りたアーケードの柱に寄り添うようにして、一人の女性が立っていた。


 着崩した春物のコート。控えめなメイク。どこか所在なげに指先を弄っているその姿に、僕は既視感を覚えた。


「……あれ? 台東さん。どうしたんですか、こんな所で」


 見返村の一件で、落合 香奈の行方調査を依頼してきた、台東さんだった。彼女は僕の声に驚いたように顔を上げ、すぐに柔らかな笑みを浮かべて歩み寄ってきた。


「あ、白河さん。こんにちは。……先日は、その、お世話になりました」


「いえいえ、結局、僕は落合さんを連れ帰れませんでしたから……。今日はどうしたんですか? お店が開くの、まだ当分先ですよ」


「あ、そうじゃなくて。……ちょうど近くまで来たから、本当に昼間はやってないのかな、なんて」


 台東さんは照れ隠しのように笑った。


 僕たちはなんとなく並んで、数メートル先の自販機まで歩くことにした。他愛もないやり取りをしつつ、ぶらりと。


「え、白河さん、同い年なんですか? しかも、文松大(ぶんまつだい)の?」


 適当な会話の中で僕が学籍を明かすと、台東さんは目を丸くして僕を凝視した。


「そうですよ。もしかして、台東さんも?」


「うん、そう。多分学部的に、キャンパスは別だと思うんだけど……ええ、もっと早く言ってよ。私、てっきり白河さん、年上だと思ってた。落ち着きすぎっていうか、苦労してるオーラが出てたから」


 急にタメ口になった彼女に困惑しつつも、僕は「否定はできませんね」と苦笑いした。


「ってことは、落合さんも同い年だったんですかね。同じ大学なら、もっと早く気が付くべきでしたね」


「ううん、あの子は別。一浪してるから、私たちの一個上のはずだよ。本当は都心の大学狙ってたんだけど、滑り止めの文大(ぶんだい)にしたって言ってた。……あの子、プライド高かったからさ」


「そうですか。……流石、よく知ってるんですね、落合さんのこと」


 僕がそう言うと、台東さんは自販機から出てきた缶コーヒーを両手で包み、遠い目をした。


「――そうかな? 私は、何にも知らなかった気がする。あの子があんなに多額の借金を背負って悩んでたこととか……。あんなに近くにいたのに、私はあの子の表面しか見てなかったんだなって」


「……近くにいるからこそ、わからないこともあるんじゃないですかね」


 僕の脳裏に、叔父や日下、そして栞の顔が浮かぶ。


 大好きだった大人たち。親しかったはずの隣人たち。彼らは皆、僕の前では"穏やかな自分"を装丁し、その裏側に血塗られた秘密を隠していた。


 人間とはそういうものだ。本当に後ろ暗いことは、親しい者にこそ話さない。話せない。


 

「……ていうかさ、『きれいななにもないわたしにして、また会いに行きます』って、どのくらいかかるんだろ。……私、その前に卒業しちゃうかなぁ」


 台東さんが寂しげに笑う。僕は言葉を返せなかった。

 落合香奈は、今もあの霧深い村で、名前を捨てた"何か"として生きている。


(……いいじゃないか。彼女は、まだ生きているんだから)


 僕は内心で毒づいた。


 たとえ戸籍を変えても、顔を変えても、彼女はこの世界のどこかで呼吸をしている。


 けれど、僕が愛した大人たちは、もういない。


 叔父さんも、そして日下さんも。

 彼らはもう、物言わぬ死体になってしまった。


 冷たくなり、腐敗し、警察の解剖台に載せられる、単なる"物質"に――。



「――っ!?」



 その瞬間、火花が散るような衝撃が脳髄を駆け抜けた。


 指先の痺れが、かつてないほど激しく拍動する。


「……すみません、台東さん。急用を思い出しました。先に失礼します!」


「えっ、ちょ、白河くん!?」


 僕は呆然とする彼女を置き去りにして、全力で丑三ツ書店へと走り出した。


 階段を駆け上がり、二階の扉を勢いよく蹴破るように開けた。


 バァァン!!


「うわあああ! さっくー、急に何!? 扉、静かに開け閉めしてよ、心臓に悪いわ!」


 スマホを見ながら頬杖をついていた朱音が椅子から飛び上がり、床で丸まっていた墨千夜が「やめてぇ、はじけるぅう……」と情けない声を上げて跳ね上がる。


「朱音さん、聞いてください。僕は、気付いたんですよ」


 僕は激しい呼吸を整えながら、ホワイトボードの前に立った。


「……? 気付いたって、何が? 共犯者の居場所?」


「いえ、違います。発想を裏返すんです! 二十年前の心中事件を追うのが難しければ、つい最近の事件を追えばいい!」


「……どういうこと?」


 僕は朱音を真っ直ぐに見据え、確信を込めて言い放った。


「定本を追い詰めるための鍵は、二十年前の死体じゃない。――つい数日前の、叔父さんの死。そして、日下さんが遺体で見つかった、二つの事件なら……!」


「え……でも、日下の事件は警察も調べてるし、不審点はないって……」


「いいえ、あります! 二十年前の事件は、証人が皆"共犯"として利害が一致してしまっている。だから口を割らない。でも、叔父さんや、日下さんの殺しはどうですか? これに関わった人間は、二十年前の共犯者とは限らない!」


 僕はホワイトボードに"日下 匡(巻 良介)"と書き殴った。


「定本が直接手を下したにせよ、誰かに命じたにせよ、これは現在進行形の殺人です。防犯カメラ、スマホのGPS、現代の科学捜査の網から、定本といえどすべてを消し去ることはできないはずだ。二十年前の幽霊を呼び出すより、まだ体温の残っている二人の"死"の方が、定本を刺す鋭い刃になる!」


 朱音が息を呑み、ゆっくりと立ち上がった。その瞳に、配信者としての輝きが戻ってくる。


「……なるほど。二十年前の心中は、定本にとっての"聖域"だ。でも、日下の死は、焦って犯した失策(ミス)かもしれないってことね」


「そうです。日下さんの遺体が見つかった湾港。そこへ至るまでのルート。定本の秘書や、手の者の動き。二十年熟成された嘘より、つきたての嘘の方が、ずっと綻びやすい!」


 墨千夜が布団から這い出し、琥珀色の瞳で僕を見上げた。


「……さく、みち、みつけた?」


「ええ、なんとか。もうほとんど、見失いかけてましたけど」


 僕はそう返し、朱音の方を振り向く。


「朱音さん、リスナーの特定班をフル稼働させてください。狙うのは二十年前じゃない。日下さんが行方不明になってから、遺体で見つかるまで――あの人がどのように行動していたかです!」


「……了解! さっくー、あんた最高に性格悪いね。大好きだよ!」


「でも、気を付けてくださいね! あくまでも秘密裏に、向こうに悟られない範囲で!」


 頷き、朱音がキーボードを叩き始める。


 カウントダウンは止まらない。ならばできることなど、最初から一つしかなかったのだ――。


(……僕も、ノンストップで行く。それでよかったんですよね、日下さん――?)


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