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丑三ツ書店の清書係 〜指切り心中〜   作者: 入江 鋭利
第三部「逆さまのラブレター」
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二十九頁目:名を消した男


 装幀市の空は厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうな色をしていた。


 朱音のマンションへと続く廊下を、僕は少し急ぎ足で歩く。脇に抱えたカバンの中には、実家の書庫の奥から掘り出してきた、一冊の重みがあった。


 オートロックを解除し、スタジオの扉を開ける。室内では朱音が、三脚の調整をしながら、ひび割れたスマホでリスナーのコメントをチェックしていた。


「あ、さっくー! おかえり。早かったじゃん。実家ってこの辺だっけ?」


「二つ隣の市ですよ。往復一時間もあれば事足ります。それよりも……例のもの、持ってきました」


 僕はカバンから、二〇〇六年度(平成十八年度)、市立装幀高校五十七期生の卒業アルバムを取り出した。


 分厚い布張りの表紙には、金文字で刻まれた校章。手にしただけで、二十年という歳月を経た紙特有の、わずかに乾いた匂いが鼻をくすぐる。


「へへ、いいじゃん! "例のもの"なんて言い方すると、なんか禁断の古文書でも手に入れたみたいでワクワクしちゃうね」


「茶化さないでください。僕にとっては叔父さんの、そして栞さんの過去に触れるかもしれない大事な資料なんですから」


 僕はテーブルの上にアルバムを広げた。朱音が、待ってましたと言わんばかりに横から顔を突き出してくる。


 ページを捲る。まずは全校生徒の集合写真や行事の記録だ。二〇〇六年前後、まだスマートフォンが普及する前の、デジタルカメラの少し粗い解像度の笑顔が並ぶ。


 やがて、個人写真のページへと辿り着いた。


「あれ、これ……栞さんじゃない?」


 朱音が一枚の写真を指差した。二組、女子の列。


 そこには、今よりも少し髪が長く、けれどあの独特の硝子細工のような透明感を既に纏っていた、十八歳の綴里 栞がいた。


「えっ、若っ……ていうか、若い時こんな感じだったんだ。今も綺麗だけど、昔もこう、守ってあげなきゃ壊れちゃいそうな美少女って感じじゃん!」


「はいはい、その辺にしといてください。……こっちは叔父さんですね。高校三年生の時は同じクラスだったみたいです」


 そして、男子生徒のページ。白河 執の名前を探す。


 そこには、僕の知る叔父の面影を確かに残した青年がいた。少し理屈っぽそうな口元と、何処か遠くを見据えているような知的な瞳。


 僕が知っているのは、成熟した、大人っぽい叔父の姿ばかりだったため、自分よりも年下の頃の姿を見るのは、かなり新鮮だった。


「あっ、見てよさっくー! 定本って、よく演説してる、あの政治家ヤローじゃない!? 私の配信何度も邪魔しやがって……! ってか何これ、結構やんちゃそうな感じしてない? チンピラが更生しました的な!?」


 朱音がヒートアップする。どう考えても私怨の逆恨みな気はしたものの、付き合っていては日が暮れてしまう。


 目を三角にする彼女を宥めつつ、僕たちは、一文字ずつ丁寧に名前を追っていった。目的の名前を探して。



 ――羽住 実那。



 だが、何頁捲っても、その名前は見当たらない。



「……羽住実那、載ってませんね。心中事件が起きたのは四月の末。卒業までまだ一年近くあったとはいえ、三年生として在籍はしていたはずなのに……」


「亡くなった生徒さんって、載らないものなんだっけ?」


 朱音が手元のスマホを素早く操作した。


「えーっと、AIに聞いてみようか……あ、出た。『死亡した時点で除籍扱いになるため、遺族からの要望がなければ載らないこともあります。特に事件性が高い場合、学校側が配慮して掲載しないケースも多い』だってさ!」


「ふうん……。まあ、あんな凄惨な亡くなり方をしたんですから、学校側としても隠したかったんでしょう。あるいは、ご遺族だって掲載を拒否してもおかしくはない……か」


 調査は、再び手詰まりの壁に突き当たる。卒業アルバムを捲る指が止まる。栞さん、叔父さん、定本。主要な登場人物たちが同じ学び舎にいたことは分かったが、そこから真相へと繋がる糸口が見つからない。


「うーん、仕方ないっちゃないけど、手がかりにはなりそうもないね」


「そうですね……。一応、裏の寄せ書きにあった名前から、叔父さんと仲の良かった同級生の方々は推測できそうです。そっちに連絡を取ってみるか……」


「それって、栞さんに聞くのと大差なくない? まあ、ぼかさずに教えてもらえるかもだけど」


 僕は、諦めきれずにアルバムを最初からパラパラと眺めていた。個人の顔写真の列を、もう一度、一人ずつ。


 叔父さんや、栞。そして、いなくなった羽住実那と同じ二組。手がかりはその辺りにありそうだが――。



 ――と、その時だ。



 一人の男子生徒の姿に、僕の視線が釘付けになった。


「……?」


 胸の奥で、不快な鼓動が跳ねる。


 どこかで、見たことがある。


 この、少し垂れ下がった優しげな目元。

 人懐っこそうな、けれど何処か頼り甲斐のある、独特の安心感を抱かせる顔立ち。


 僕は震える指で、その少年の名前を確認した。名前の欄には、聞き覚えのない苗字が記されていた。



 ――(まき) 良介(りょうすけ)



 知らない名前だ。叔父からも、栞からも、一度だって聞いたことはない。


 けれど、僕は知っている。この顔を。この、人の良さそうな微笑みを。


 叔父さんの部屋で、あの"指切り心中"の資料を探していた男。叔父の担当編集者として、僕を案じるふりをしながら、その裏で叔父の死に直接関わっていたかもしれない、あの男。


「――日下、さん? でも、どうして……?」


 言葉が震えた。

 日下。白河執の担当編集。


 彼もまた、二十年前のあの場所にいたのだろうか。しかも、卒業アルバムには別の名前で。


「……え? 本当じゃん、でも、名前……」


「ええ、巻、なんて名前聞いたことがないです」


「偽名の線とかない? 実は、本名が別にあったとか……」


 わからない、としか言いようがなかった。


 日下さんは、偽名を使っていたのか。あるいは、この"巻 良介"こそが、彼の正体なのか。


 けれど、僕にはそれが、ただの偶然とは思えなかった。全ての鍵は、やはり二十年前の、装幀高校三年二組に眠っている――!


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