第5話(田中厚太)「気合がティラミスに変わる朝」
田中君、元気あります。
何とか早く役立ちたいと、気合を入れて頑張ります。
田中は朝早く出勤した。
社内の掃除をする為だ。
新人の自分が、配属直後でも役に立てる事はこれだ。
鍵は開いていた。
既に誰かが来ているようだ。
すごい、まだ始業1時間以上前なのにと思いながら。
自分も、そうやって会社に貢献できる人間になるぞ、と意気込んだ。
掃除道具を探すが、見当たらない。
小さな箒はあったが、これだと全体掃除には頼りない。
フロアを歩き回るが、どこにも見当たらない。
一旦諦めて、手を洗おうとトイレにと共用廊下に出た。
同じフロアには、別会社もある。
すると、途中、給湯室にロッカーが2つあった。
(これは、共有の掃除用具入れに違いない)
右側のロッカーを開けると、あるではないか、
新品同様の綺麗なモップが。
これ幸いとばかりに、
そのモップとバケツを持って水拭き社内掃除にかかる。
暫く掃除してると、早く来てたのであろう女性先輩が入ってきた。
キュッ、キュッと小気味よい音を立てて掃除している姿を見て、
「おっ、新人君偉いなあ、掃除なんて」
と声を掛けてきた。
「はいっ、少しでも皆さんのお役に立ちたくて」
先輩は笑顔で聞いてくる。
「ところで、そのモップどこから持ってきたの?
確か、会社には乾拭き用モップしか無かったはずだけど」
自分が一生懸命磨き上げた床に、
うっすらと不穏な水気が光っている…
「あのー、給湯室の右ロッカーにありました…」
先輩は驚いた顔で口を押える。
「それ、他の会社の…」
田中は、一瞬氷の彫像よろしく、見事に固まった。
(他社の新品モップを中古品にしてしまった…)
田中は、絶望の淵を覗き込んだあと、
全速力でモップを後ろに廻した。
隠しきれていないのに、隠した気だけはした。
「すみません、直ぐに戻します!」
急いでバケツを片付け、モップと共に給湯室の右ロッカーへ戻す。
(他社の人に見られなくて本当によかった……)
左側ロッカーを開けると、そこには乾拭きモップが入っていた。
田中は、逃げるようにフロアへ帰還した。
女性先輩は、頭を抱えるような仕草で悩まし気な顔。
「申し訳ございません」
穴があったら入りたい…
「私は高瀬。あなた田中君だったっけ」
「はい」
「じゃあ、2人の秘密。というか、貸し」
「えっ…」
「清掃業者がお昼に各社に入るし……
やり過ごしましょう。騒ぎになるから」
「大丈夫でしょうか?」
「あんまり、大丈夫じゃないけど、報告する方が事件」
「すみません」
「じゃあ、何もしてませんという事で仕事に入ってね」
「わかりました」
高瀬先輩は自席に戻っていく。
戻り際、ぽつりと一言だけ残した。
「あ、ティラミスでいいわ」
田中は自席にもどり、深くため息。
「気合が、ティラミスに変わるのが世の中なのか」
田中の財布は軽くなる。
しかし、田中の心は重くなる。
(つづく)
気合が空回りする事って、新人の頃、たくさんあったような気がします。
めげずに頑張ってもらいたいです。




