第4話(新藤美咲)「消えゆくウィンドウの一行」
今回は新藤さんの様子を見てみましょう
午後、新藤美咲は課長から頼まれた
“取引先への日程調整”メールを作っていた。
初めての社外メール。緊張で指が冷たい。
冒頭の定型文を打つ。
“いつもおせわにな” まで打ち込み、
候補を見ないまま、予測変換をエンターキーで確定。
「○○社の新藤です」と続ける。
続いて内容を書き、ざっと確認しようとした。
その瞬間。
背後から課長が声をかけた
「新藤さん、できた? 送っちゃっていいよ」
美咲は思わず反射で、送信ボタンを押した。
しかし、
課長に言われて勢いよく送信した直後、
画面から消えゆく瞬間のウインドウに
『いつもお世話になりたい……』の文字が一瞬だけ見えた。
一瞬、血の気が引く。
美咲は慌てて送信済みフォルダを開き画面を凝視する。
件名は正しい。添付もある。
そして本文の一行目だけが、致命的に優しく狂っていた。
「いつもお世話になりたいです。」
美咲は息を止めた。
(落ち着け。消す。消して、正しく——)
いや、無理だ。メールは取り消せない。
「後のまつり」
人生でこれほどこの言葉が似合うシチュエーションは初めてだ。
人生終了。
美咲は椅子から立ち上がりかけ、座り直した。
胸が締めつけられ、指先が冷たくなる。
美咲はマウスを握ったまま、石像のように固まった。
隣の田中が気づき、目だけで聞いてくる。
美咲は小さく首を振った。
口に出すと、現実が崩れる。
返信が三分後に来た。
その三分が、三時間に感じられた。
指先の冷たさが増し、画面の文字が揺れる。
「こちらこそ、いつもお世話になっております。日程ですが——」
スルーされた。
救われた。……はずなのに、逆に赤くなる。
読まれたのか、読まれていないのか。
読まれていたら地獄。読まれていないなら、なお地獄。
美咲は課長にだけ、震える声で報告した。
「……送った冒頭が、少し……」
課長は画面を見て、短く言った。
「新藤さん。これは、お互いの記憶から消えないタイプのヤツだね」
美咲の顔が燃えた。
そして課長は続けた。
「でも、相手が大人で助かった。
メールは、声に出して読まないようにね。心が死ぬから」
美咲は頷いた。
以後、美咲は“送信前の深呼吸”を、
何より大事にするようになった。
送信前の一秒は、社会人の命綱だ。
(つづく)
予測変換は落とし穴ですよね。
想像もできない変換候補が出てることがありますから。
どうしてその候補?というwww
書き物していて、あまりに突拍子もない候補に、一人で受けてしまうこともあります。
文章書く時は皆さまも気を付けましょうね。




