第17話(田中厚太)「感染する“今度こそ”」
「人の不幸は蜜の味」という言葉があります。
怖い言葉ですね。他人事。
対岸の火事で済んでいれば良いのですが…
電話を切った新藤美咲は、受話器を置いたまま固まっていた。
背筋だけがまっすぐで、顔だけが赤い。
隣の席の田中厚太は、ちらりと様子を見た。
新藤さんが、
「……今度こそ、って言っちゃいました」
言ったあと、自分で耐えきれなくなって、目を伏せた。
田中は、つい、口角が上がっていた。
「新藤さん、“今度こそ”は、電話じゃなくて勝負ですよ」
「やめてください……田中くんも、今笑いましたよね」
「笑ってません。再発防止の観点で心配しました」
田中は咳払いで誤魔化し、ペンを持った手だけを忙しく動かした。
新藤さんが田中を睨もうとした、しかし赤い顔のままだから迫力がない。
田中は一瞬勝った気になった。
同期の失敗は、少しだけ自分を楽にする。
そういう悪い感情が、ほんの少しだけ出た。
その直後、課長からの指示。
「田中くん、次、△△社に折り返し電話お願い。
担当は□□さんね」
田中の勝利が、秒速で消えた。
「はい」
田中は受話器を取り、呼吸を整えた。
(見てろ。ここで新人の正解を見せる)
プルルル。コール。
出た。
「はい、△△社でございます」
田中は、練習通りに言った。
「お世話になっております。〇〇社の田中と申します。
先ほどお電話いただいた件で——」
よし、噛まない。丁寧さも適正。
田中は心の中でガッツポーズをした。
田中は続ける。
「恐れ入ります。日程調整の件で、来週水曜の——」
会話は順調に進んだ。
田中は、完全に“勝ち確”だと思った。
最後の締めに入る。
「では、来週水曜の10時で承りました。よろしくお願いいたします」
相手が返す。
「はい、よろしくお願いします」
ここだ。最後だ。
……なのに、口から出たのは別の言葉だった。
「それでは、――今度こそ、失礼し…」
沈黙が一拍、電話線の向こうで生まれた。
田中の全身の血が、顔に集まった。
相手が、少しだけ笑って言った。
「……今度こそ、ですね」
「……はい。今度こそです」
田中は意味不明な返事をしてしまった。
意味不明なまま、切った。
受話器を置いた瞬間、田中は机に手をついた。
呼吸が浅い。心臓が騒がしい。
隣で新藤さんが、ゆっくりと顔を上げた。
さっきまで赤かったのに、今は少し落ち着いた顔をしている。
代わりに、田中が赤い。
新藤さんは、冷ややかな目で淡々と言った。
「勝負、でしたね」
田中は視線を上げられない。
「……今度こそ、って、感染するんですか」
「します。同期ですから」
「同期って便利な言葉ですね」
「はい。健全に便利です。再発防止のために」
新藤さんは、冷めた目のまま言った。
課長が遠くから言った。
「二人とも、電話は“普通に”ね」
普通が一番難しい。
田中は思った。
自分の口が安全な日は、たぶん来ない。
(つづく)
同期や仲間の失敗って”伝染”しますね。
人のミスを笑ってると、脳内に残ってしまうようで、
知らずにトレースしているという。
同様なミスを繰り返すのは「経験学習」不足があり、
「リスク認識が低い」という事らしいです。




