057 華岡青洲と小塚原
十歳から始めたリーアの治癒魔法の勉強も少しずつではあるが進展してきた。最初は勇人が現地語に翻訳した解剖図や各臓器の働きを覚えることから始まって二年間はほぼそればかりだった。
これだけ時間がかかったのはリーアのせいではなく勇人が翻訳に手間取ったからだ。家庭向けの医学書とは言えそれなりに専門的な言葉で記載されている文章を現地語に翻訳するには勇人の現地語の語彙が少なすぎた。
それに翻訳したものを記載する紙も少ない。勇人は血の涙を流しながら残り少ないレポート用紙をそのために使った。リーアが疑問をぶつけてくるとその度に「実用百科事典」や「家庭の医学」を調べてなるべく口頭で説明した。
勇人のしたことはお世辞にも教えたと言われるレベルではなかったがいつのまにか「師匠」呼びをされてしまっている。
リーアが十三歳になった年に勇人は実地にやらせてみることにした。
「リーア、そろそろ実際に大きな傷を治してみるかい」
「うん、やってみたい」
勇人の誘いにリーアはめを輝かせて答えた。
「じゃあ、今度、僕とアビーが狩に行くときに一緒に行こう。最初はウサギかキツネか、そういう小動物で試してみよう」
「おう、オレが生け捕りにしてやるからな」
アビーもやる気満々だ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それから二日後、勇人とアビーとが狩に行く日になった。三人で開墾地まで行くとそこから【そこまでドア】で三回飛んで聖域の空き地まで行った。
「これ、便利だねえ」
リーアは久しぶりの【そこまでドア】に改めて感心している。
「みんなには内緒だよ。それじゃあ狩に取り掛かろう。アビー小動物を見つけたら殺さないように捕まえてよ」
「わかったぞ」
(さあて、どうやって生け捕りにするつもりかいなあ。お手並み拝見やな)
まだ寒い時期で広葉樹の雑木林は見通しも良い。直ぐに土を掘り返しているイノシシを見つけた。アビーが【火箭】一発で倒し、いつものように血抜きと内臓抜きをして勇人の【亜空間庫】に入れる。それからはウサギ捜しだ。
木の実を無心で食べているウサギを見つけ、アビーは投擲紐を回し始める。ウサギめがけて投擲したが外してしまった。
「あいつは小さいから見逃してやったぞ」
アビーは訳の分からない言い訳をして次の獲物を捜し始めた。
次に見つけたウサギは頭に石を受けてそのまま昇天してしまった。アビーは何も言わずにウサギを拾うと勇人に突き出した。勇人は苦笑しながらそれを受け取って【亜空間庫】に収納する。
三匹目にやっと昏倒させることに成功した。
「どうだ。三度やって二度も成功したぞ。オレの投擲術も大したものだろう」
(あっ、生け捕り言うとこは無視すんのや。言い訳も堂に入っとるわ)
勇人はアビーに押さえつけさせて、ウサギの足に深い傷を付けた。血が噴き出すがそれを気にするような者はここには居ない。
「リーア、治癒魔法を使え」
リーアがそれに応じて【治癒】を使おうとするが、足を切られたことで気絶から覚めたウサギが暴れるために血管を上手く繋ぐことができない。そのうちに血を大量に失ったためウサギがぐったりしてしまい、結果として血管をつなぎ、筋肉組織や皮膚を繋いだり再生させたりして傷は治したものの失血死してしまった。
「失敗だね」
リーアがポツリと言った。
「うん。ウサギだけじゃなくって人でも大きな傷が出来れば痛がって暴れると思うよ。それをいなしながら治療するか、痛みを感じなくするかだね」
「勇人の世界じゃどうしてたの」
「人相手のときは小さな傷を縫うときには我慢させてたかも。大きな傷の場合は局所麻酔薬という薬で痛みを感じなくさせてたのかなあ。少なくとも手術と言って身体の中の悪い部分を切り取ったりする場合には麻酔薬を使ってたよ」
「ふうん。麻酔薬なんてないから手際よくやるしかないわね」
それから数か月間リーアは麻酔薬なしでやってみた。その結果三回に二回は上手く行くようになったが、どうしても失敗して失血死させてしまうのを無くすことは出来なかった。
「やっぱり失敗を無くすことは出来ないみたい」
それは仕方がないことだ。元の世界では糸で縫合するからその後少し動いたぐらいでは外れることはない。だがリーアがやっているのは傷口の細胞を活性化させてその再生力で繋ぐのだからいくらリーアの【治癒】即ち細胞の活性化力が協力でも繋がった細胞が元の強さになるまでには多少とも時間がかかる。
その間に激しく動けば繋がったところが裂けるのはやむを得ない話なのだ。勇人がそのことを説明するとリーアははっと何かを思いついたような顔をした。
「師匠、傷が痛いのはなぜなの」
「平たく言えば傷口からの痛いという知らせか神経を逆に通って脳に知らせるからだよ」
リーアの質問に対して、勇人は文系人間らしいアバウトな答えを示した。
「じゃあ、神経が脳に痛いって伝えなければ痛くないのね」
「まあそうなるんだけど、そんなこと出来るの」
「うん。今まで【治癒】って傷口の細胞に頑張ってって思いながら魔力を送ってたんだけど、逆に神経細胞に怠けてって魔力を送れば痛くなくなると思うの」
「やってみたことあるのかな」
「まだ、ない。足でやってみるよ」
勇人が止める間もなくリーアは自分の膝の辺りに手を当てて魔法を使い始めた。
「うん、出来た。膝から下が何にも感じなくなったわ」
リーアは自分の脛を叩きながら満足そうに言って、もう一度同じ場所に魔法をかけた。
「これで元通りだよ。新しい魔法が出来たよ。何て名前にしようか。師匠が付けて」
「上の世界では体の一部だけ痛みを感じなくする薬を局所麻酔薬って呼んでるから【局所麻酔】はどうかな」
「じゃあ、それにする」
「脳はやるなよ。脳ってのは身体全体の動きを司どってるんだから、無暗に眠らせると心臓が止まって血が流れなくなったり、肺が止まって息が出来なくなったりするからな」
「それは人では試せないわね。でも動物なら試せるかも」
それからはリーアは動物の傷を治すのにまず【局所麻酔】を使って痛みを麻痺させ、それから血管、骨、神経、筋肉、皮膚と順番に繋いで修復するようになった。これで成功率が上がったがそれでも十回に一、二回は失敗する。それは動物が捕まえられたことでパニックになり暴れるからだった。
「どうしたら良いのかしら」
「動物だからで、人なら大丈夫なんじゃないかな」
「人だって、足が一本切れたりしたらそれだけで暴れることだってあるかも知れないわ」
「それじゃあ、脳の一部に怠けて貰って眠らせるしかないけど」
「やってみるわ」
それから半年は脳に【局所麻酔】をかけ続けた。全く眠らなかったり、眠っても刺激を与えるとすぐに目が覚めたり、二度と目が覚めなかったりと中々進展しなかったが、努力の甲斐あって半年後にはほぼ百パーセント成功するようになった。勇人は魔法の名前を決めるように頼まれたので【全身麻酔】にした。
「リーア、動物で成功したからと言って人でやっちゃだめだよ。人と動物では効き方も効く場所も違うから死んでしまうかも知れない。そうなったときには確実にリーアが殺したって言われ、責任を問われるからね」
「わかった。人には使わないわ。でも、ちょっと時間がかかるからやっぱり血が出すぎて死んでしまうときがあるのよねえ。これもなんとかしないと」
「そんなことも出来るのかい」
「うん。血管が切れるから血が出るんだよね。血管の細胞の一部をぎゅっと縮こまらせたらたぶん血が止まると思うわ」
これは今までやっていた細胞を活性化させる方法と細胞を不活性化させる方法の応用だったので一月ぐらい練習をすると出来るようになった。それから数か月間、動物の手足を切断して再度継ぎ合わせる練習を何度も繰り返し、百パーセント成功する目途がたった。
矢傷や槍傷で内臓に傷がついた場合を想定した練習もして、これもほぼ百パーセント成功するようになった。
「リーア、これまでは縫合した後、傷が化膿するってことは考えずにやってきたし、野生動物の場合には黴菌に対する抵抗力が強いからそれでも回復する場合が多い。でも人間の場合には消毒しながらやらないと化膿することは知ってるだろう。腹部、特に下腹部の場合には腸が傷つくとほぼ間違いなく化膿する」
「知ってるわ。腸の中の細菌がそこから漏れ出すと他の臓器が腐ってくるんだね」
「そうだよ。それで消毒しながらやるんだけど、それだけでは化膿はまず防げないんだ」
「でもタミールのときはアルコール消毒だけでうまく行ったよ」
「手術をした後、みんなに部屋から出て貰っただろう。あのとき僕が特別なやり方で腸から漏れ出した細菌を全て取り除いたんだよ。勿論アルコール消毒だけでも助かったかも知れないけど、それは危険な賭けだと思ったんだ。だから内臓まで届いた傷、特に腸を傷つけた傷には僕が居るとき以外は手を出さないで欲しい」
「わかったわ。師匠がそう言うなら言いつけは守る」
「それじゃあ、リーア、師匠から言うことはそれだけだ。もう教えることはない。免許皆伝だね」
「ありがとうございます」
勇人の免許皆伝宣言にリーアは嬉しそうに礼を言った。勇人十四歳、リーアたち十三歳の夏のことだった。
ところでリーアがウサギで治療の練習を始めてから孤児院の生活が少し変わった。ウサギ飼い始めたのだ。勇人は始めリーアが治療したウサギは上手くいったらそのまま放してしまい、失敗したらお肉にしようと考えていたのだが、リーアが反対した。
「治療が上手くいったかどうかは、暫く見ていて内部から化膿が始まらないことを確認しなければ分からないわ。だから連れて帰らないと」
これがリーアの言い分だった。勇人もこれを否定することは出来なかった。かと言って傷があるウサギばかりを持ち帰る訳にはいかない。そのカムフラージュとして孤児院でウサギを飼い始めることにした。
野ウサギの餌は基本その辺りに生えている草だから餌集めや餌代に困ることはない。それで裏庭と畑との間に囲いを作ってそこで飼うことにした。ウサギも繁殖力は旺盛な動物だ。暫くしたら狩猟が必要なくなるほど増えるかも知れない。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
勇人が免許皆伝を宣言してから数日後のことである。勇人はアビーとリーアを伴って聖域に狩に来ていたがその日の獲物を処理した後、広場に戻ってリーアに言った。
「リーア、今日は僕から免許皆伝祝いを贈ろうと思うんだ。でも受け取るかどうかは自分で判断してほしい。物が物だから受け取らなくても僕は何とも思わないからね」
そう言うと勇人は裸の男性の遺体を【亜空間庫】から取り出して地面に置いた。
「あっ、こいつ知ってるぞ。領都に最初に行ったときオレたちから金を巻き上げようとして失敗したら街の外で襲ってきた奴だ。オレが返り討ちにした奴だぞ。こんなのまだ持ってたのか」
「アビー、よく覚えてたね。もう何年も前なのに」
「オレは記憶力も良いんだぞ。一度見た顔は忘れねえぞ」
勇人とアビーがそんなことを言っている間にリーアは遺体をじっと見て恐る恐る触った。
「暖かい!」
リーアは慌てて手を引っ込めると叫んだ。
「ああ、死にたてほやほやだからな」
「暖かいって、そういや何故腐ってないんだ」
「僕の【虚空庫】は時間が止まってるんだよ。これは内緒だからね」
勇人は唇に指を当てて内緒の仕草をした。
「これをどうするの」
「今から解剖するんだよ。人の身体がどうなっているか本物で確認するんだ。ウサギやキツネとは随分違うからね。でもこれが国の法律で許されることなのかそうでないのか僕には分からないし、国が許しても教会の教え的にどうなのかも良く分からない。そういうのを無視してもやりたいというのであればやったら良いし、心情として無理ならやらなくても良い」
「やるわ」
リーアは即答した。
「人の身体の中を隅から隅まで見られる機会なんてこれから先あるとは思えない。師匠、ありがとう」
勇人はそれを聞いて頷くと【亜空間庫】から防塵眼鏡とマスク、ナイフを取り出してリーアに渡した。
「遺体の体液が目鼻や口に入るとこいつが持ってた悪い病気にかかるかも知れないからこの眼鏡とマスクをしてくれ、それから刃物はこのナイフを使ってくれ。切れないところは言ってくれれば僕が土魔法で切るから」
それから六時間、リーアは男の遺体を文字通り切り刻んだ。最後にナイフを置くと解剖中に切り取った臓器を元に戻し、【治癒】ですべての傷口を縫合した。男は死んでいたが細胞レベルでは少し生命が残っていたらしく、緩慢ではあったが傷口がふさがった。
「ありがとう、名無しさん。おかげで今まで分からなかったところが随分分かるようになりました」
そう言ってリーアは静かに手を合わせた。そのあと勇人に向き直り頭を下げた。
「師匠、ありがとう。勉強になりました」
「そうかい。役に立ってよかったよ。このオッサン、おそらく大勢の子供を泣かせてたんだろうし、死んだのは自業自得だったけど最後は子供の役に立ったんだから天国に行けたかもな」
勇人は出来るだけ軽い調子でそう言うと、男の遺体を【亜空間庫】に収納した。
「悪いけど墓は立ててやれないから、せめて見晴らしの良いところに埋めてやるよ。他の二人と一緒にな」
「三人ともオレたちを殺すつもりで来てたからな。人を殺しに来る奴は自分も殺される覚悟をしとけってエラドも言ってたぞ」
「三人が殺られたのは僕たちが二人でしかも子供だって侮ってたからだよ。アビーも気を付けた方がいいよ。自分の力を過信してると足元を掬われるよ」
「オレは超強いからな、確信はあっても過信はないぞ」
(こりゃ、あかんわ。聞く耳持たん、馬耳東風、馬の耳に念仏、暖簾に腕押し、糠に釘、ついでにカエルの面にしょんべんや)
あきれ顔の勇人、自信たっぷりのアビー、満足げなリーアは三人そろって孤児院へと帰った。




