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053 ターヘル・アナトミア

 翌日、鯉の様子を見ているとアビーがやってきた。


「なあユージン、ウジとアラヤに渡すお金は幾らにするんだ」


 アビーは勇人のすぐ横に座ると小さな声で聞いてきた。勇人はため息交じりに答えた。さっきから悩んでいたのもそれだったから。


「本当は今までどおり売値の半分を渡したいんだけどなあ。増えた分の説明がつかないんだよな」


「ウジとアラヤには今までと同じだけ渡せば良い。残りはユージンの分だ」


「アビーは要らないのか」


「オレの分はオレが十四の歳に貰う」


「二人で狩りをするんだろ」


「オレがユージンに付いて行くのはお前の護衛だからだ。オレの孤児院での仕事だぞ」


 アビーはチョッと胸を張った。


「オレは田圃や畑の仕事は嫌いだ。だからお前の護衛をしてる。お前と居るといろいろあって面白い」


「そうか。お前がそう言うんなら貰っとくよ」


 (まあ、ワイがここを出るときに渡したらええやろ。取り合えず見込みとしては週銀貨六枚、年にして金貨三十一枚と銀貨二枚、四年で金貨百二十四枚やな。これだけでサミュエルはんとの約束は果たせそうや。それを確認させてからアビーの分を渡せばええか)



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 そんなことを考えて勇人がニマニマしていると後ろから声が掛った。


「勇人、ちょっと良いか」


「わっ、エ、エラドか。何だい」


「お前を見込んで頼みてぇことがあってな。あまり人に聞かれたかあねぇから俺の部屋まで来てくれ」


 エラドはいつになく真剣な表情をしている。


「分かった」


 勇人は立ち上がると尻に付いた土を掃った。そのままエラドに付いて行くとアビーも付いてくる。勇人は付いてこないように言おうとしたがエラドが止めた。


「いいんだ。こいつにも関係ねぇ話じゃねぇからな」


 エラドは二人を部屋に入れると念入りに辺りを伺い、ドアにカギを掛けて椅子に座った。二人もエラドに言われるままベッドに腰を掛けた。


「これまでお前を見ていて誠実な男だと見たから俺とアビーとそれに巡回司教様しか知らない話を聞いて貰う。そしてそのうえで頼みてぇことがあんだ」


 (なんや大層な話になってきよったなあ)


「前にアビーが聖級の火魔法使いで、それを隠してこいつを匿うためにここに送られた、その際に二人が離れたくないと強く望んだんでリーアもここに来ることになったってえ話をしたな」


「ああ、覚えてるよ」


「この話にゃ、もう一つ裏があるんだ。アビーの火魔法のことは秘密と言ってもラフィアディアの孤児院と当時の教会の司祭や助祭たちの大方が知っている。裏の秘密はリーアの【治癒】魔法だ。


 リーアがここに来た当時から【治癒】は使えたがチョットした傷を治せる程度の、まあショボいものだった。それが化けたのは六歳のときだ。当時十二歳だった孤児の一人が裏の林じゃめったに現れねぇ牡ジカに襲われて左手がほとんどちぎれるほどの大けがを負った。


 そいつがリーアをものすごく可愛がってた奴でな、リーアも凄く懐いていたんだ。それが大けがをしたってんでリーアが半狂乱になって【治癒】で腕をくっつけようとした。そのときに眠っていた力が開花したってのかなあ、腕を繋いじまったんだよ。


 その場にいたのは俺とリーアとアビーと治療に当たっていた巡回司教様だけだったから、そのことを知っているのはその四人だけだ。


 だが残念なことに腕はきれいに繋がったものの動かねえ。そんで暫くすると内側から腐ってきてそれが元でそいつは死んじまった。


 だがな切れた腕を繋ぐだけの魔力があるってのは、お前に言ってもピンと来ねぇかも知しんねぇが、大変なことなんだ。聖級を越えて神級かもしれねえ。それからはリーアがこの孤児院最大の秘密ってことになったんだ。孤児院の奴らも知らねえ。外に漏れると絶対に攫われちまうからな。


 エラドはそこまで一気に話すと一息ついて勇人を見た。


「そこまでは分かったよ。でもそんな重大な話を漏らしてまで僕に何をさせようていうのかな」


「上の世界では医術はここより数段発達してるんだろう。頼みてぇことってのは上の世界の医術をリーアに教えてやって欲しいんだ。リーアの話じゃタミールのケガの治療もお前がリーアに指示してやらせたらしいな。大きな傷だったのに中から腐ることもなく出来たってびっくりしてたぞ」


 (こら困ったわ。あれは教えようがないんや。そやけどそんなこと言えへんしなあ)


「上の世界の医術がここより発達してるってのはそのとおりだと思う。でもそれは長い研究の結果なんだよ。


 化膿、エラドが言った内側から腐ってくるって現象だね、それを予防するための薬、消毒薬や内側から目に見えない悪い生き物を殺す薬。


 それを血管に送り込むための道具そして体の中で何が起こっているのかを知るための知識、その他上の世界が長年積み重ねてきた技術や研究の結果が今の医術を作ってるんだ。仮に僕が医術の天才だったとしてもそれを一から一人で作り出すなんてことは出来ないよ。


 それに僕が受けた専門教育は医術じゃなくって社会をうまく動かすための分野なんだ。医術なんて知らないも同然だよ」


 エラドはあきらめない。表情を硬くして勇人に迫った。


「でもお前はタミールを助けた。そのくらいの知識はあったんだろう。それでも良いからリーアに教えてやってくれ」


「あれは一か八かだったんだよ。悪くすれば体の中から腐って死んでいた。身体の構造をある程度知っていたからリーアに指示して繋いだり塞いだりしたし、アルコール消毒がうまく行ったから腐るのも防げた。一つ間違えば死んでたよ」


「それでも良いんだ。出来るだけで良い。教えてやってくれ」


 教えたくない。教えればその能力を他の者に知られてしまう可能性が高まる。リーアが一か八かの方法だと言ってもそれを聞かない奴は必ず居る。それが貴族なら命じられればやるしかないだろう。失敗すればその代償は自分の命だ。そんな運命をリーアに背負わせたくはなかった。


「小さな傷が治せる【治癒】魔法使いで良いじゃないか」


「可能性があんのに伸ばしてやって何が悪いんだ。今あいつの能力を磨かなければ魔猟士チームのおまけか良くて治癒院の小間使いで一生を終わってしまうんだぞ。


 それにな、今でも腕を繋ぐ能力は有るんだ。それが漏れれば最悪繋ぐだけでもいい、動けば儲けものって考えるやつは必ず出てくる。そういう奴にに限って最悪の最悪、命が無くなるなんて思いもしないんだ。そのときが来るまではな。それでそのときには治療行為をしたものを恨む。最初に言ったか否かは問題じゃねえんだ。


 そんな目に会わせるよりは少しでも助けられる可能性を高めて置いたほうがよかないか。それが自分の命を助けることにもなるんだぞ」


 確かにエラドの言うことにも一理ある。秘密は必ず漏れる。その時にリーアが助かるためには【治癒】を成功させる他ない。一か八かであっても零よりは益しという考え方もできる。


「身体の簡単な構造と内臓がどんな働きをするか。神経と血管がどこを通っているか。その役目はなにか。それくらいなら教えられるよ。中等教育で誰もが習う範囲だから。それに応急処置の仕方や消毒の仕方なんかも。そのていどで良ければ教えるよ」


「それで良いから頼む」


 エラドは深々と頭を下げた。


「その前にリーアの気持ちだけは確かめさせてよ」


「分かった」


 エラドがそう言うか否かでアビーが飛び出して行った。リーアを呼んでくるつもりなのだろう。


 暫くすると二人で帰ってきた。少し時間がかかったのはアビーなりに説明していたからなのだろう。


「リーア、冷静に聞いて欲しい。この間僕の指示でタミールの傷を治したよね。自分一人でああいうことをしたり、千切れた手足を繋いだりしたいと思うかい」


 それから勇人はそういう技術を身に着けた場合にリーアの身に起こるかも知れない危険について長々と話した。


「ユージン兄、私は覚えたい。そういう技を身に着けると怖い目に会うかもしれないってことは良く分かった。それでもガリアみたいなことは二度と見たくない」


 リーアの目はいつの間にか涙に濡れていた。自分が手を出したばかりに死んでしまった少女のことを思い出したのだろう。


「分かったよ。一週間待ってくれ。その間に資料を作っておくから」


 勇人はとうとう理科の教師にもなってしまった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その夜、勇人はタブレットを開いた。家庭向きの医学辞典、実用百科事典から人体に関する項目を拾ってゆく。まずは人体の解剖図から。血の出る思いでなけなしのレポート用紙を使い、出来るだけ正確に、ていねいに書き写して行く。血管の経路、神経の経路。そして次は各臓器の機能の翻訳。


 (良沢はん、玄白はんの苦労がよう分かるわ。ワイ、ここの言葉話すん日常会話限定、読み書きはまだまだやさかい、翻訳でけへん言葉がゴロゴロ出てくる)


 余裕を持って一週間と言った積りだったが足りないくらいだった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 一週間後、リーアとアビーを倉庫に呼んだ。リーアにレポート用紙一束を渡す。


「リーア、ここに書いてあることを全部覚えてね。書いてある意味が解らなければその都度でも、まとめてでも良いから聞いてくれたら良いよ。分かる範囲でだけど教えるから。特に大切なのは血管の図と神経の図だね。身体のどこを通っているかなるべく細かく覚えて欲しいんだ」


「血管は分かるよ。血が通っている管ね。神経ってなにかな」


「神経ってのは・・・例えば手を動かしたいとか指を動かしたいって思うだろ、そういう思いを手や指に伝える働きをするものだよ。それが切れたままだと思いが伝わらないから動かないんだ」


「そうなんだ。それが繋がって無かったからガリアの手は動かなかったのね」


「だから身体の大きな傷を治すときにはそれを繋ぐことも大事なんだ」


「分かった。一所懸命に覚えるわ」


「うん。僕がここを出てゆくまでにあと四年ある。その間に覚えて、実際に大きな傷を治す実習もしてもらうよ」


 アビーが口を挟んだ。


「実習に人が必要なら狩ってくるぞ」


「お前、だんだん危ない奴になってくるな。生きてる人で実習させるつもりはないよ」j


 勇人はアビーに呆れてしまった。ともあれ素人の医術講座が始まった。

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