042 初めてのお買い物
十二月の中旬、午後の遅くにサミュエルが孤児院に訪れた。何時ものように助祭、エラドと話をした後で勇人が呼ばれた。
「三か月ぶりですね。エラドさんからお聞きしたんですが、土魔法と【虚空庫】が使えるようになったそうですね。チュードが魔法を使えるという話は聞いたことがありません。後学の為に少し披露して頂けませんか」
勇人が応接室に入り、ソファーに腰かけるや否やサミュエルが魔法の話を切り出した。
「良いよ。今、見せるね」
勇人は既に孤児院中の者が知っている話なので隠すつもりはなく軽く応じると【亜空間庫】から手ごろな石を取り出した。
「ほう。なるほど【虚空庫】が使えるのは本当のようですね。どのくらい入るのですか」
「詳しく確かめたわけじゃないけど、石で試してみたら八斗くらいは入るみたいだよ」
サミュエルはそれを聞いて眉を顰めた。
「八斗ですか。微妙な量ですねぇ」
「ははは。肉屋の女将さんにもそう言われたよ」
勇人は苦笑いをした。なぜみんな同じ反応何だろう。
「次に土魔法を見せるね」
そう言うと【亜空間庫】から出した石を右掌に載せて左手の次元刀でそれを二つに切った。掌で切ったのには訳がある。自然に制御がかかって自分を切ることはないので次元刀は掌に当たった時点で止まるが、テーブルの上で切った場合にはテーブルまで切ってしまう恐れがあった。
「確かに【切断】は出来るようですね。【接合】とか【融接】【粉化】はできますか」
「いいや。出来るのは【切断】だけだよ」
石を例にとれば【切断】は切断面の結合力を消滅させる魔法、【接合】はその接触面の結合力を生じさせる魔法、【融接】は組成物質を均質化する魔法、【粉化】は組成物質をおそらく分子レベルで分解して組成物質間の結合力を消す魔法・・・平たく言えば粉々にする魔法である。
「そうですか。土魔法全部が出来るわけではないんですね」
どう言う訳かサミュエルはちょっと残念そうな顔をした。
「それはそうとして、何か新しい商材も開発されたとお聞きしたのですが」
(おっ、本題来たでぇ)
「うん。線香と言うものを作って見たんだ」
勇人は【亜空間庫】から円錐形に成形した線香と棒状の線香、それに小さい木皿と木鉢に灰を入れたもの、使い捨てライターを出した。まず円錐形の線香の先端に火を着けて小皿に置く。薄い煙が立ち上り香の匂いが応接室内に広がって行く。
「ああ、いい匂いね」
「ええ、とてもいい香りです」
助祭もサミュエルも満足そうだ。エラドは難しい顔をしている。香りには無頓着のようだ。
「香を焚けば良い匂いがするのは当たり前ですね。これが新しい商材になるところはどこなんでしょうか」
暫く匂いを堪能していたサミュエルが口を開いた。勇人は説明を始める。
「教会や貴族の家では当たり前のように日々香を焚いているんじゃないかな」
「それは確かにそうですね」
「ここでも助祭様は日曜礼拝のときに香を焚かれるし、巡回司教様も公事ごとの際には最初から最後まで香を焚かれているよね。香を焚く時の最大の欠点はどこなのかサミュエルさんはわかるでしょう」
「そうか。香は短い時間で燃え尽きてしまうので長い間焚いておくためには香の番が必要なところですね」
サミュエルはすぐに要点に気づいた。
「今焚いているのは巡回司祭様から譲って貰った公事ごと一回分の香を試作品ということで何回分にも分けてるから、この円錐形のもので十分くらいで燃え尽きてしまう。でもこちらのように棒状にすれば小一時間は燃え続けるよ。
小さな教会では香の番に割り当てる人手が大変だと思うし、貴族様でも大貴族様ならともかく香の番人を置く余裕のないあるいはその余裕はあるが本音はその人の分の人件費を削りたいと考えておられる方は多いんじゃないかなぁ。
作り方によっては数時間から半日以上燃え続ける線香もできるよ。この商材を購入して貰えるんなら線香自体の作り方と一緒に長く燃え続けさせるためのコツもお教えるけど、どうかなぁ」
サミュエルはソファにもたれ掛かり上を向いてうなった。商談に入るか否か考えているのだろう。
「製法が知られてしまうということは」
「これの製法を知っているのはここでは僕とあと一人だけだよ。その一人はこういう事には無頓着なんでもう忘れていると思う」
アビーのことだ。本当のところは分からないが多分そうだろう。
「チュードなら元の世界で現物は見てると思う。ごく一般的な商品だから。でもその材料や製法まで知っている可能性は低いと思うよ」
これはそのまま真実と言って良い。少なくとも明治時代以降でこれを知らない日本人は居ないだろう。いや、ひょっとすると現代人の方に見たことがない人がいるかも。
「僕が知っていたのは偶々子供の夏休みの自由研究でこれを作ったことがあるからなんだ。そこまでは他のチュードの中にもやった人が居るかもしれない」
「ちょっと確認したいのですが、『夏休みの自由研究』とは何でしょうか」
「ああ、元の世界の僕が居た日本という国では子供は六歳から『小学校』という、そうだなあ、国がただで教育をする施設なんだけど、ここに通うんだ。ついでに言えば親には子供をここに通わせる義務がある。
そこでは夏の間一か月くらいの休暇、夏休みというものがあるんだ。その間に子供が普段疑問に思っていたことなどについて調べて、休みが明けたときにそれを発表するっていう制度があって、それを『夏休みの自由研究』と言ってるんだ。まあ、大抵の子は朝顔を植えてその観察日記を書いてお茶を濁すんだけどね」
「ふうむ。国が只で教育する・・・親に教育を受けさせる義務がある・・・大変興味深いですが、わが国では今はむりでしょうねぇ」
「ただ子供の自由研究の範囲では材料の半製品をもとに線香を作るのが一般的だったんで、その半製品がどういうものからどういう過程で作られたのかまでは普通の人は知らないと思うよ。
僕がそこまで知ってるのは子供の自由研究の範囲を半製品の作り方を調べるところまで広げたからなんだ。もっとも広げたのは作り方を知ることまでで、実際に作ったのは今回が初めてだけどね」
ここで勇人は話を中断して一息いれた。ここからが大事だ。あくまで誠実にだ。
「製法はいつかは知られてしまうと思うんだ。実物があるんだから色々試してればいずれは正解にたどり着くよ。それが早いか遅いかそれは僕にもわからない、サミュエルさんの問いについてはこう答えるしかないよ」
サミュエルは大きくため息をついて勇人を見た。
「大変正直な見解ですね。あなたの元居た世界の在りようが垣間見えたように思います。良いでしょう。商談に入りましょう。助祭様、商談の場としてしばらくこの応接室をお貸しください」
「良いでしょう」
助祭は鷹揚に答えた。
「それじゃ申し訳ないけど、助祭様もエラドも席を外してよ」
「えっ。同席してはいけないのですか」
(そらそやろ。一番口の軽そうなあんたが出て行かんと秘密が駄々洩れになってまうやないか)
「申し訳ないんだけど、商材の秘密に関する話もあるから」
助祭は渋々と、エラドは淡々と退出した。サミュエルはそれを見届けてから勇人の方に向き直った。
「まず原価の話を聞かせてください。どのくらいと見積もっておられますか」
(まあ、一番最初に来るのはその話やわなあ)
「香料の価格は除いて話をするね。あっ、その前に聞くけど風車とか水車とかで臼を回して粉にする装置は有るのかなぁ」
「どちらもありますし、風魔法で回す臼もありますよ」
サミュエルは今にも吹き出しそうな顔をした。相当変なことを聞いたらしいが、勇人は孤児院とその周辺しか知らないのだから確認するほかない。
「それを前提に話すと、材料費は当面は不要、それを精製する人件費の八割は不要ということで、材料収集の人件費と精製の人件費の二割、それに成形の人件費が当面の製造原価ということになるなぁ。
精製に一人、材料の収集に五人、成形に二人として八人これで六時間持つものが一日二百個出来るとすると人件費が一人月三両として月二四両、一個当たり四・三文。多く見積もって五、六文というところだと思う。ついでに言えば使う方は原価で入れば一日三個として三百八十七文だね」
「なるほど機械に頼れる所は少し時間がかかってもそれを使うということですね」
(なんか違うんちゃうかなあ)
サミュエルは暫く目をつぶって考えていたが、意を決したように勇人を見た。
「それでは金額の話をさせて頂きましょう。あなたとはあまり駆け引きはしたくないので、正直なところを申します。金貨二十一枚で買わせて頂きたい」
「その根拠を聞かせてもらえるかなぁ」
「まず貴族家の例で考えましょう。香の番はしょっちゅう香を補給しなければなりませんが、これを家人にさせる訳にはゆきませんので人を一人雇います。そうすると月金貨一枚から一・五枚は給金を支払う必要があります。
線香が半日持つとすると火を着けるのは火にせいぜい三回ですから、これなら中級の貴族なら執事か次女または下男、下女に任せることができますし、下級の貴族なら下男、下女かその余裕もなければ子女に任せることもできます。
いずれにしても香の番を雇っていた人はその人件費が浮きますし、人件費の関係で香を焚く余裕のなかった下級貴族でも香を焚くことができます。
同じことは商家についても言えるでしょう。上級の商家ほど貴族様との取引は多くなります。もちろんご本人ご家族が来店されることは有りませんが、お伺いする際の衣装に功を炊き込めたり、ご使用人がおいでになる際にお通しする部屋に香を焚いたりと需要はあるのですよ。その人件費が大幅に浮くとなれば月銀貨五枚は十分に需要の見込める価格です。
そうすると先ほど見積もられた原価に諸々の損料や諸経費を加えても月銀貨四枚の利益は得られます。先ほどの見積もりで言えば六十家の線香を賄うことができるのですから月金貨三十六枚の利益、一年間では四百三十二枚の利益になります。その一割は約四十三枚ですが、お話をお聞きする限り現実化に日数がかかりそうなのでその半額にして頂きたい。そのかわり利益の一割が金貨二十二枚以上になった場合にはその分は追加で支払いましょう」
(結局一年分の収益で値切られてるわけやけど、ここはしゃあないなあ)
「いいよ。その条件で応じる。ところで現金を少し貰えるかなぁ」
「どのくらいでしょうか」
「銀貨で四十枚ほど」
「ううむ。持ち合わせはあるのですが、銀貨ばかりとなると・・・何に使われるのでしょうか、差し支えなければお教えいただきますでしょうか」
「ああ、一月にここから出てゆく義姉妹たちに餞別として二両ずつ渡したいんで。来年からはある程度渡せる制度を作ったんだけど、それに尽力してくれた二人に渡すものがないので心苦しいんだ」
「今一つ理解できないところはありますが、あなたの心情は理解したつもりです。わかりました。しかし、わたしとしては銀貨四十枚を出すのはこれ以降の商売上つらいので金貨二枚と銀貨二十枚でご了承いただけませんでしょうか」
「もともと急に言ったのは僕なんだからそれでいいよ」
「それでは前回の手動ポンプの五両のうちから四両をお渡しして残りの二十二両は私の預かりと言うことでお願いします」
サミュエルは【虚空庫】から金箱を取り出して金貨二枚、銀貨二十枚をテーブルに置いた。
「ありがとう」
勇人は感謝の言葉とともにそれを自分の【亜空間庫】に入れた。それを見届けたあとサミュエルは羊皮紙を取り出し、契約条項を記載して勇人に渡した。
「これで承知だよ」
「それではサインをお願いします」
サミュエルの求めに応じて勇人は【亜空間庫】からボールペンを取り出し署名した。サミュエルの目が光ったが何も口にしなかった。
それからは勇人の説明が始まった。原料の一つであるタブノキ、そこからタブ粉を生成する方法、水と香料とタブ粉の配分、そして型による成型特に渦巻き型。おまけに杉の葉による安い線香の作成。
そしておまけのおまけ。
「サミュエルさん、線香はタブ粉を基材とするのが王道なんだけど、その代わりになるものはあるんだ。ヨモギの毛、米粉、小麦粉、海藻も使える。あと『カタクリ粉』も」
「最後に言われた『カタクリ粉』とは何でしょうか」
(あっ、カタクリ粉はないんや、この世界)
「デンプンの粉のことだよ」
「『デンプン』、益々分かりませんね」
「ジャガイモは知ってるよね」
「ああ、北の方では食用にされています。同じ土地で何度も作ると出来がひどく悪くなるのでこの辺では栽培していませんが」
「あれを生で摺り下ろして何度も水洗いをすると水の底に白いものがのこるんだ。それを乾かしたのがでんぷん粉でその別名がカタクリ粉なんだ」
「面倒な手順が必要みたいですね」
「それよりも歩留まりが悪いんでお勧めはしないよ。あっ、料理のとろみをつけるのには役に立つよ」
「まあ、あまり手を広げるのも考えものですから線香からやってみます」
無事契約が終わり、雑談の種も尽きたところでサミュエルは助祭に声をかけ、商談のために応接室を提供して貰ったことに丁重に礼を言って教会を辞した。勿論孤児たちには土産が渡された。




