003 さげた手鍋のその中にゃ、明日のめしさえなかったな~♪
寝室の外に出ると左右に廊下が続いており、寝室の側に七室、廊下を挟んで反対側は倉庫になっていた。廊下の右突き当りは外へと続くらしい板戸があり、勇人は女の子に先導されて左側に向かった。そこにも扉がありそれを開けると食堂だった。
食堂は孤児院と教会の間にあり、集会室と談話室と教室とを兼ねていた。何のことはない孤児院には寝室と倉庫以外にはこの部屋と台所しかなく、寝る以外のすべてをここでする。
食事は全員即ち助祭と下働きのエラド、孤児二十人、そして勇人の二三人がここで摂る。そのために部屋の真ん中に長いテーブルが置かれ、その周りにイスが並んでいる。壁には黒板代わりなのだろう、横長の黒い石の板が嵌め込まれていた。四方に出入口が在り勇人が入ってきた出入口から見て右側には台所に続く出入口、左側には外へ続く板戸、正面には教会に続く板戸があった。
「ユージン、あなたはここへ来てからの記憶を失ったそうですね。自己紹介をしておきますね。私は助祭のレヴィナ・ニサンです。私のことは助祭様またはレヴィナ様と呼んで下さい」
「はい、わかりました。助祭様」
食堂に入ると既にほとんどの者が揃っており、勇人が教えられた席につくと助祭から声を掛けられた。助祭のレヴィナは見たところ二十代半ばで、緑がかった青い目をし、ウェーブのかかった金髪を長く伸ばしている。
(苗字があるから貴族なんやろな。それにしても自分から様付とはなかなかの神経やけど、貴族言うたらそんなもんやろ。知らんけど)
「すまん。遅くなった」
「皆揃いましたので、神様にお祈りをして食事を始めましょう」
勇人と女の子が席について間もなく、入口のドアを開けてエラドが入ってきた。彼が最後だったらしく、助祭はそう言うとお祈りを始めた。勇人は長いお祈りが始まるのかとうんざりしたが、案に相違してお祈りは神様に今日の糧を感謝するという簡単なもので、すぐに食事が始まった。
食事中は静かにしなければならないなどと言うこともなく、みんな賑やかに話をしながら食事をしていたが、勇人はその食事の内容にげんなりしてしまった。豆や大根、人参、ジャガイモなどの根菜を混ぜた水っぽい雑炊と申し訳程度に正体不明の肉が入った葉野菜の炒め物。それが夕飯だった。内容が貧しいこともあるが、何よりまず量が少ない。
(こんなんで育ち盛りのガキどものおまんまや言われても全然足りへんやないか)
どう考えてもカロリーの絶対量が足りない。そう思って見ると助祭様以外はみんな痩せている。助祭様は実家からの仕送りで密かに間食をしているのかも知れない。次にタンパク質が足りない。蛋白源である肉も豆も申し訳程度入ってるだけで、これでは子供の成長に支障があるのはさすがに栄養学などついぞやったことのない勇人でも解った。
(これでは大きいなれんわ。ワイ、元の世界でも大きい方やなかったのにそれよりも小さいてなると生きて行くんも難儀なことになるやないか。何とかカロリーとタンパク質の確保考えんと)
勇人は元の世界では身長百七十五センチ位で、高いとは言えないまでも彼の世代としてはそれなりの上背ではあった。しかしこの世界の人はどう見ても西洋系で、勇人の頭の中では西洋系イコール高身長だったし、現にエラドは百九十センチは超えているし、女性である助祭にしても元の世界の勇人よりは上背があった。それに比べて孤児たちを見ると一番上が十四歳ということを考えても上背で見劣りがするこことは否めず、これはやはり栄養が足りていないと考えざるを得なかった。
「助祭様、相談したいことがあるんですが」
「タミール、何でしょうか」
夕食を食べ終えてとりとめもなくそんなことを考えていると、タミールが思い詰めた様子で助祭に話し合いを求めた。身体が一番大きな男の子だ。たぶん一番年上の子だろう。
「聖域で狩りをするのを認めて欲しいんです。このままでは食べ物が全然足りません。この領では村の猟師や組合の魔猟士は聖域に入ることもそこで猟をすることも禁止されていますが、ローレン村教会と孤児院には国の勅令でそれが許されています。毎年領主様が親しい貴族様を集めて巻き狩りをされますが、そのときの獲物の量から見ても聖域は獣が沢山居るようです」
「狩りなら教会領の林でできるでしょう」
「裏の林はもともとシカやイノシシみたいな大きい獣が少ないし、ウサキなども狩り尽して、今では殆ど捕まえられません」
「分かりました。私は狩りのことは全く解りませんのでエラドと相談してください。エラドが良いというのなら私は反対しません。エラド、どうですか」
突然話を振られて迷惑そうな顔をしながらも、エラドは話し始めた。孤児院の子供たちは真剣な顔でエラドを見つめている。どうもこの話を持ち出すことはタミールの一存ではなく、孤児院の子供たちで話し合った末のことらしい。
「前から言っていることだが、聖域にいる獣はシカやイノシシだけじゃねえ。オオカミの群れやヤマネコに出会うこともあるし、めったに無えことだがクマやトラも出っぞ。俺がついて行くことはできるが、知っているとおり俺には膝のケガがあるから、いざってときに戦うことができねえかも知んねえ。そんな状況で四、五人で禁域に入るのは無茶な話だ。領主様だって、何十人という勢子に十分な武器を持たせた上で巻き狩りをしてんだ」
「みんなで行けばいいじゃないか」
「馬鹿言うんじゃねえ。チビどもをぞろぞろ連れて行っても足手まといなだけだ。だいいち全員に行き渡るだけの武器はねえぞ。それに全員で行って田畑の仕事はどうするってんだ」
「田畑の仕事は・・・エラドさん、武器はどれだけあるんだ」
「俺の剣とここに備え付けの槍が四本、弓が二張り。あとは鉄木槍だな。全く足りねえぞ。それに獲物はどうやって持って帰るつもりだ。血抜きをして内臓を捨ててもシカで三十貫、イノシシだと四十貫以上あるぞ」
勇人は二人の話を黙って聞いていたが、シカやイノシシの重さが出て驚いた。
(元の世界やったら一貫目が三・七五キロやから、シカが百キロ超、イノシシが百五十キロ。血抜き、内臓抜きをしてこの重さやったら抜く前の重さはシカで百五十キロ、イノシシで二百キロ超、日本のシカやイノシシの倍のやとは言わんけどかなり大型や。それにしても重さの単位が貫て尺貫法やないか。誰や、こんなん持ち込んだんは)
勇人は小さいときに田舎で育ったので暇している元農民、元猟師の老人の話し相手になることも多く、自然と尺貫法に馴染むようになっていた。大人になってからはそれも無くなったが、メートル法と尺貫法を交えて話をすることで相手をけむに巻くのが面白くて調べたりしたので今どきの普通の日本人よりはかなり尺貫法に詳しかった。
「持ち帰るのは、切り分けて【虚空庫】で運べばいい。大きい【虚空庫】持ちじゃなくても一升や二升の【虚空庫】は持ってるだろ。獲物を持ち帰るのに一刻かかるとしても六升から一二升分は一人で運べるはずだ」
タミールはそう言いつのった。
(うん? 【虚空庫】言うのは魔法っぽいやないか。ここは魔法がある世界なんかなぁ。ともかく元の世界と同じやったら一升は一・八リットルやから、『一刻なら』言う意味が今一つ分からへんけど、六升言うたら約一二リットル、動物の重さは大体一リットルで一キロやから一般人は一刻なら一〇キロから二〇キロの肉を運べるくらいな【虚空庫】が使えるわけや。
ほいで、何にも限定なしに一般人が一升から二升の【虚空庫】を持ってる言うてたし、一刻に運べる量を言うときには六倍してたから一刻を二時間とすると六刻つまり一二時間保てる量が基準で、入れとる時間に反比例して入れられる量が変化すると考えてええんか。【虚空庫】についてはそう考えて良えんやろなあ。
ついでにもう一つ分かったことがあるわ。【虚空庫】に入れられる量を重量やのうて体積で言うてる。つまり【虚空庫】の能力は入れられる体積の多寡で決まり、重量は関係ない言うことや。こっから考えると【虚空庫】に入れたら重量は零になる可能性が高い。それにしても五人で狩りに行ったとして持ち帰れるのは五〇キロから一〇〇キロ、平均して七五キロかいな、大分捨てることになるなあ。まあ頭と骨と内臓、皮なんか抜いたらええ加減な量なんかいなぁ)
「とにかく、お前たちの安全が第一だ。俺はこの仕事を失う訳にはいかねえからな。それが解決できねえ限り聖域に入ることは認めねえ。話は終わりだ」
子供たちの様子を見ると、話が打ち切りになったことにかなり不満を持っているようだったが、特にそれを口にするものはなく、タミールも不満そうな顔をしながらもそれ以上食い下がることはなかった。
「皆さん、今日は色々あったので夕食後の勉強会はお休みにしましょう」
レヴィナ助祭がそう告げると不満そうだった子供たちの顔が少しうれしそうになった。よく見ると助祭も心なしか嬉しそうにしている。
(こいつ、勉強嫌いやな。子供連中が嬉しそうにするのは分かるけど、教える方が勉強嫌いでどうするんや)
当たり前のことだが、孤児にはここを出たあと頼れる親せきや伝手はない。そんな境遇で生き抜くためにはせめて『読み書き算盤』くらいは必要だろう。これができれば契約で騙されたり、金額を誤魔化されたりする危険はかなり少なくなるはずだ。勇人の場合は計算は問題がないので、読み書きとあとはこの世界の常識を知る必要がある。
村田英雄さんの「夫婦春秋」の一節です




