027 小鯉美味し、この池~♪
八月に入った。鯉の稚魚は虫の粉末を餌にして順調に成長している。二か月で十センチ近くになった。最初約一万匹で養殖を始めたが、自然死する個体もあって今は目分量で八千匹程度にまで減った。
最初の養殖囲いから水路全体を区切った養殖池に広げたが少し手狭になってきた。まだ養殖池の下流には使っていないところがあるので網代で囲った部分を広げればそれは解決するが、もう一つ問題があって、餌がこのままでは追いつかなくなる。食用には少し小さいが間引いて食卓に回すことにした。毎日一人当たり二匹食べるとして月約千四百匹を間引くことになる。この程度なら良いのかなと言うのが勇人の思いだった。
まずエラドに相談することにした。食料の提供だから特に相談する必要はないのだがエラドを味方に引き込んでおくか敵認定されるかでは今後の孤児院での生活が変わってくる。味方にしておく方が良いのは言うまでもない。
朝食の後、エラドは自分の席に座って寛いでいた。この村の夏は暑い。日本で言えば沖縄くらい暑い。沖縄では夏は夜間か朝夕を除いて外出はしないと聞いたが、ここも同じ状況なのでエラドも子供たちもなるべく室内か日陰で動かないようにしているのだ。仕事も畑の雑草を取ったり、日照りが続けば水やりをしたり、今日明日の食卓用に野菜を収穫するくらいしかない。田圃は直播きなのでほぼ放ったらかしだ。勇人はエラドの席の近くまで行くと彼に話しかけた。
「エラドさん、養殖池の鯉が三寸ぐらいまで大きくなって、今の養殖囲いでは手狭になってる。それは広げれば良いんだけど、餌が追いつかなくなってきてるんだ。それで八月中に千四百匹ほど間引こうかなと思ってるんだけど、どうだろう」
「間引いた魚はどうするんだ」
エラドは話し掛けた勇人を見上げて問いかけた。
「食卓に回すよ。一人一日二匹当てになる」
「三寸ぐらいな小魚、どうやって食うんだ」
「鯉はちょっと癖があるかもしれないから味噌で煮付けたらって考えてる」
エラドは少し考えてから返事をした。
「あんまり腹の足しになるとは思えねえけど、ただ捨てるよりは益しだな。で九月頭には何匹になんだ」
「約六千五百匹は残ると思うよ。九月から十月にかけては六寸くらいになると思うから九月と十月は月七百匹ずつ、これで残り約五千匹、十一月から七月までは月三百五十匹、これで残り約千八百匹。この頃には来年の養殖稚魚の間引きも始まるから十月時点で五百から千匹残る勘定になる」
エラドは感心したように言った。
「相変わらず計算早えな。で残った鯉はどうすんだ」
「一部は時々食卓に出して残りは翌年の田圃で使おうかって思ってる」
エラドは怪訝な顔をした。
「田圃でどう使うんだ」
「田圃で泳がせて雑草を食べさせるんだ」
「苗の間が空いてないと泳げねえだろ。田植えすんのか。あれは辛えぞ」
以前に田植えが奨励された時期があったと言う話だったので、エラドも孤児院で働くようになってからやったことが有るのだろう。露骨に嫌そうな顔をした。
「うん。田植えは諦めた。孤児院の子供たちじゃ無理だよ。その代わりバラマキじゃなくって線状に種を蒔いて貰おうと思ってる」
それを聞いてエラドはホッとしたような顔つきになった。
「田植えとばら蒔きの折衷案ってところか。それなら何とかなりそうだな。良いだろう、最悪食べれば良いことだ」
エラドも納得してくれたようだ。
「魚を掬うのに年少組を貸して欲しいんだ」
「良いぞ。あいつら水遊びができて喜ぶぜ」
エラドは勇人の頼みを笑って承諾した。
「それじゃあ、誘ってくるよ」
勇人はそう言うと台所を通って裏庭に出ていった。子供たちの半分が日陰になる裏庭で寛いでいた。あとの半分は鯉の餌になる虫取りをしに林に入ったり、裏庭の隅で虫を砕いたりしている。薬研は使っているがもう最初ほど細かくはしていない。米粒くらいまで砕くと籠に移している。見渡したが年少組は見当たらない。林に入っているのだろう。
何か所か炭火が置いてあってそこから煙が立っていた。何となく懐かしい匂いが漂っている。蚊遣火だ。シロバナムシヨケギク、俗に除虫菊と言われる植物の花や茎を乾燥させたものを火鉢に焼べて蚊を追い払っているのだ。六月から行われており勇人も見慣れた光景だ。
(在ってよかったムシヨケギクやなぁ)
丁度ショシャナが勇人の近くの火に除虫菊を焼べに来たので彼女に聞いてみた。
「年少組はどこに行ったのかなぁ」
「あいつらなら虫取りだよ。最近お気に入りの遊びだね。遠くには行くなってタミールから言われてるから呼んだら聞こえるところに居ると思うよ」
ショシャナは「お子ちゃまだね」とでも言うように肩を竦めた。自分も十分子供だということはこの際棚に上げているらしい。
「ありがとう。呼んでみるよ」
勇人はそう言うと東の畑と林との境付近まで行った。そこから大声で年少組を呼ぶと返事があり、暫く待っていると年少組六人が林から出てきた。それぞれ籠を腰にぶら下げている。虫が入っているのだろう。手には鉄木のナイフを持っている。これで虫を始末してから籠に入れているらしい。
「ユージン兄、何だい」
七歳のハレルが年少組を代表して聞いてきた。
「虫取りありがとう。籠の虫を干し網に入れてから桶を持って表の養殖池に来てよ。仕事を頼みたいんだ」
「何をすれば良いんだ。虫取りも大切なんだぞ」
遊び半分の虫取りを中断させられたのが不満な様子だ。
「それは来てからのお楽しみだ。きっと楽しいと思うよ」
勇人はニタッと笑っただけで細かいことは言わずに倉庫に行った。そこには少し前に作っておいた魚掬いが置いてある。目の粗い笊に柄を付けただけのものだ。最初から年少組を使うつもりだったので六本作ってある。勇人はそれを手にすると年少組を待たずにそのまま養殖池まで向かった。
それを目敏く見つけてアビーが付いてきた。おまけにシモンとウジまで付いてくる。
「何だ。面白そうだな」
「鯉を掬うだけだ。アビーの出番はないよ。シモンもウジも同じ」
「オレは護衛だからな。仕事だぞ」
「チビどもが水に落ちたら困るからなあ。救助要員だ」
「そ、そうだ。そうだ。水は危ない」
アビーもウジも適当に仕事をでっち上げ、シモンも尻馬に乗る。
「分かった、分かった。付いてきて良いけど年少組の遊びは取るなよ」
勇人は面倒臭くなって、釘をさすだけにした。
養殖池にしている堀の土手に座って待っていると桶を持った年少組が孤児院の陰からわらわらと出てきた。
「よおし、桶に三分の一くらい堀の水を汲んでくれ。一本ずつ網を渡すからこれで一人十匹ずつ魚を掬って桶に入れるのが仕事だよ。なるべく小さいのを選んで欲しいんだ。急がなくて良いから水に落ちないように気を付けてくれよ」
勇人が年少組の一人一人に網を渡して行くと子供たちは思い思いの場所で魚を掬い始めた。やはり魚掬いがてらの水遊びは面白いらしく夢中になっている。魚影が濃いので最初は掬うのは容易かった。だが鯉たちは怖がって網が水を引っ掻き回す場所からは遠ざかるので次第に網が届きにくくなる。子供たちは夢中になって腕を身体を伸ばして掬おうとする。
勇人があっと思った時にはすでに遅く、身体を一杯に伸ばして掬っていたハレルが掬った魚の重みに負けて足を滑らしそのまま水に落ちた。勇人は手を伸ばしてなんとか彼の襟を掴んだものの土手の縁から水面までは三十センチくらいあり、そこまで持ち上げるには勇人の力が足らず引き上げきれない。ハレルも急に頭から水に落ちたので慌ててしまい手をばたばたするだけで土手をつかもうともしない。対岸の土塁に座って見ていたウジが飛び込むつもりなのだろう着ている服を脱ぎ始めた。
「ウジ、掴んでいるから大丈夫。こっちへ回り込んで引っ張り上げて。アビー、シモン、他の子に注意しててくれ」
「オレの仕事だな」
「おう、わかった」
勇人が叫ぶとウジは服を脱ぐのを止めて教会前の道の方へ走り出した。アビーとシモンは他の子の様子を見ていてくれるようだ。
(水路の幅を広げたから網が届かんようになったり飛び越えられんようになったりしたのは計算外やったな。木で移動式の橋でも作って架けるほうが良えかな)
勇人がそんなことを考えているうちにウジは大きく回り込んで田圃側に走って来た。手を出して手伝ってくれたのでやっとハレルは岸に上がることができた。
「ハレル大丈夫かい」
「大丈夫。ユー兄ごめん、夢中になってて落ちてしまった」
「僕も悪かったよ。もう少し注意してれば良かった。ウジ、ありがとう。君が居てくれなければ大変なことになったよ」
勇人はウジに感謝の言葉を告げた。ハレルは着ているものを脱いで絞るとそのまま身に着けようとしている。八月の暑さの中では濡れた服も涼しくて良いのだろう。
「俺もびっくりしたよ。見てるだけのつもりだったんだけど居ててよかった」
ウジもまさか本当に落ちるとは思っていなかったようだ。
「これからも毎日魚掬いは続けるんだけど、やっぱり年長組の監視は必要だね」
勇人がそう言うと水路と田圃の間の畔に座り込んでいたウジも同意するように頷いた。
「俺からタミールに言っておくよ」
「そうしてくれるとうれしい」
その後は特に危険もなく年少組は各々十匹ずつ魚を掬いあげて桶の中で泳がせていた。勇人は六個の桶を周りに置いて大きい鯉を選んでは池に戻していった。
「わざわざ掬った魚を何で池に戻すんだ」
いつの間にかそばに来ていたアビーが不満げに声を掛けた。
「今やってるのは間引きだからな。大きいのは池に戻して小さいのを選ぶんだよ。野菜の間引きと同じだろ」
「そ、そうか。そうだったなあ」
アビーを見ると目が泳いでいる。
(こいつ野菜の世話もサボっとるな)
シモンもウジも年少組さえ六、七歳組は笑っている。このあたりはやってることの意味は分かっていたらしい。残りが四十六匹になったところで間引き差作業を終え、一つの桶にまとめると残りの桶の水を捨てて子供たちに渡した。
「桶と網を倉庫に戻してよ。僕はこれを台所に持って行く。今日の夕食には一人二匹魚が付くよ」
年少組の子供たちは口々に歓声を上げると桶と網を持って倉庫へと走って行った。勇人は魚の入った桶を持って台所へと向かった。
今日からは少しだけ食事の量が増える。
見出しは唱歌「ふるさと」の出だしのもじりです「美味し」は「おいし」と読んでください




