021 肉祭りや~
リーアの言葉に勇人は右足に目をやったが、ギブスはおろか添え木すら当てられていない。
「松葉杖はどこにあるんだ。それとも二人で抱えて行ってくれるのか」
リーアは勇人の言っていることが理解できないという困惑の表情を浮かべた。
「松葉杖って言うのが何かわからないけど、骨折はもう治ったから杖なんかいらないわよ。普通に歩いて食堂まで行けるわ。ただ、体力を随分使ったからそれが戻るまで暫くは大人しくしてね」
言われて気付いたが痛いところがない。そっと右足を触ってみたが骨折していたとは思えないほどきれいで腫れも残っていなかった。勇人は用心深くテーブルから降りると倉庫の土間に立った。
(なんやてぇ、もう治ったんか。治癒魔法て半端ないなあ)
「治癒魔法は初めて体験したけど、骨折が数時間で治るってすごいな。元の世界の医術では治るまで数週間から数か月くらい係るんだよ」
「リーアの治癒魔法は特別だぞ。普通はこんなに早くは治らないんだ。感謝しろ」
アビーが自分の手柄のように胸を張って言った。
「おう、アビーの手柄じゃないけどリーアには感謝だよ。ありがとう、助かった」
「傷口が開いてなくてよかったわ。傷口から骨が出たりしていると元に戻すのも大変だし、うまく戻せても傷口から腐ってくることもあるのよ。だから強い酒精が要るんだけどこれは高いから、使うと助祭様があまりいい顔をしないの」
リーアはこの世界の医療事情を少しだけ話してくれた。最後の方の愚痴っぽいところは小声だ。
「晩飯食いに行くぞ。それからイノシシやっつけたのはオレとの共同作業だからな」
こいつ、まだ言ってやがる。勇人たちが食堂に入ると拍手と称賛の声が巻き起こった。全員が揃って三人が来るのを待っていた。みんないい笑顔をしている。肉の力だ。
「ユージン、アビー。お前たちのお陰で肉祭りだ。何年ぶりかな。なかなかの大物だ。肉にして二十貫から二十五貫はある。一週間から十日ぐらいは続けられるぞ」
勇人はエラドが何の思惑もなく心から笑っているのを初めて見た。
(この人もこんな顔が出来るんや。よっぽど肉が食えるんが嬉しいんかな・・・違うな。自分が肉を食いたければ村の酒場に行けばいいだけや。現に週二回ほどは行っとる。たぶん、ここの子供に腹いっぱい肉を食わせられるのんがうれしいんや。ええとこあるやんか)
「晩飯を食べながらでいいから聞いてくれ。イノシシは今日腸を抜いて川に沈めて置いた。明日には皮剥ぎをして枝肉にする。明日の晩飯から朝、昼、晩と三食肉祭りだ。川剥ぎと枝肉にするのは俺と最年長組の二人とでするが、十二歳組と十三歳組はその見学。十一歳組は下の奴を指揮して落ち葉集めだ。ユージンとアビーも見に来ていいぞ。今回の立役者だからな」
「なあ、エラド。僕たちは危ないことをしたんだよな。常々聖域は危ないから行くなと言っているのに、今回のことについて叱るとか説教するとかはないのか」
勇人は自分たちが危険な行為をしたことについてエラドが何も咎めないのが不思議で思わず口に出した。エラドは怪訝な顔をする。
「お前たちは聖域に入ったわけじゃないだろう。普通は安全な裏の林で作業をしていてイノシシに出くわしたわけだ。そうだなあ、言わば歩いていたら突然足元に大穴が開いたようなもんだ。避けようがない災難さ。
お前がいた上の世界ではどうか知らないが、ここで魔物や獣に出会ったら逃げるという選択肢は無え。戦うか、姿を隠して見つからないように祈るか二つに一つだな。イノシシに出会った状況はアビーから聞いたよ。あの状況では戦うしか無かっただろう。お前たちというよりも、お前がいなきゃ今頃二人ともあいつの腹ん中だ」
「そう言うものか。つらい世界だな」
勇人はこの世界の現実を改めて実感させられた。運がなければイノシシに食われていた。複雑骨折だったら細菌感染で死んでいたかも知れない。ここはちょっとしたことで人の死ぬ世界なんだと。
その日の勉強会は社会だった。と言っても実質はこの世界の貴族制度と上級貴族の名前やその由緒が中心で、勇人にとっては貴族制度以外は退屈な講義だった。貴族は元の世界でいうと公爵、侯爵、辺境伯爵、伯爵、子爵、男爵に分かれており、公爵を除くと何れも領地貴族だ。
公爵は代皇の親戚が賜る爵位でその他の爵位の違いは領地の石高の違いが目安になる。男爵は一万から十万石、子爵は十万から二十万石、伯爵は二十万から五十万石、侯爵と辺境伯は五十万から百万石が目安らしい。侯爵と辺境伯の違いは辺境伯は序列的には侯爵よりも下だが、国軍の一部を預かり、領兵と国軍を国の裁可なしに動かすことができ、定められた範囲の各領地に出陣を命じることができる。簡単に言えば地方の兵権を預けられているのだ。
男爵より下の貴族がいないかといえばそうではない。準男爵、騎士爵という名の宮廷貴族がおり、中級、下級官僚として国務を支えている。領地貴族に非違がないかを調査、告発する役職も担っている。名称から何となく武辺を感じるが今では、準男爵も騎士爵もむしろ行政能力が重視されている。
領地領主は領地経営のために人を入れており、その内でいわゆる主従関係を結んだ者は従士と呼ばれる。貴族の次男、三男など後を継げない者たち、場合によっては無役の貴族当主本人が雇われることもある。
当主以外の貴族は当主との血縁の濃さによって身分が変わる。子、孫、ひ孫と一つずつ下がるのだ。侯爵の子は伯爵扱い、兄が爵位を継げば子爵扱い、その子は男爵扱いで、第二子以下は準男爵扱い、兄が爵位を継ぐと自動的に第二士以下は騎士爵扱い、その子は嫡男は騎士爵扱いだが、その兄弟は平民だ。
勿論「扱い爵」では何の利益もなく、当主が養うしかない。いわゆる名ばかり貴族である。当然そういう係累は養子に出すか、嫁に出すか、本家としては処分してしまいたい物件であり、本人たちはたとえ当主でなくともなるべく長く貴族の地位を保てる相手を求める。その血縁に、地縁、職縁が加味され、複雑怪奇な貴族の世界が形成される。
(なんとなく、江戸時代の幕藩体制と似とるなぁ)
公爵はもっと厳しい。当主自身も世代交代毎に位が下がるのだ。これは公爵が所謂皇族で歳費は全て代皇室から出ているので、ある意味当然である。代皇室だって無限の財力がある訳ではない。
(貴族も大変なんやなあ。まあワイは貴族からはなるたけ距離を取るつもりやし、関係なあらへんか)
その日の講義で多少とも役に立ったと思えたのはここだけだった。延々と上級貴族の来歴を話される講義が終わると三々五々寝室に戻ったが、みんな疲れた顔だった。
翌日、勇人とアビーはエラドについてイノシシの解体を見に行った。川からイノシシを引き上げると、エラドの指導で十三、十四歳組が男も女も関係なくナイフを振るって皮を剥ぎ、肉を切り分けてゆく。ウサギやキツネ、イタチといった小動物である程度慣れているのか、なかなかに手際よく捌いている。
勇人は初めてなので少し気分が悪くなった。これで内臓が残ったままだったら間違いなく吐いていただろう。イノシシは一、二時間ほどで皮と正肉になり、みんなその辺りに座り込んで休憩となった。現金なもので、皮と正肉とに分けられてしまうと気持ち悪さはなくなり、肉が食いたいという気持ちが強くなった。
「肉祭りだと言って毎日百五十匁の肉を食べるのは勿体ない気がするなあ。塩漬けとか干し肉や燻製にして一月くらい食い延ばす方がよくないか」
勇人は良い機会だと思い、昨日から少し疑問に感じていたことをエラドにぶつけてみた。
「できるならそうするんだがな。塩漬けにゃ大量の塩が必要だし、干し肉や燻製にしても塩なしでは出来ねえ。ここは海は遠いし、近くに山塩が採れるところもねえから塩は貴重品で値段も高い。それを買うくらいなら肉を買う方がまだましだ。氷魔法で凍らせても、この季節だと肉がもつのは一週間が限界だ。肉祭りするしか無えわけよ」
(そうか。塩は貴重品やもんなあ。でも待てよ)
「ずっと冷凍しておけば一月くらいは保つんじゃないか。それと僕の元の世界では、肉は一週間くらい熟成させて売りに出すって聞いたんだがここでは違うのか」
それを聞いてエラドはあきれ顔で勇人を見た。
「ずっと冷凍を続けられるほど氷魔法が得意なやつはここには居ねえぞ。一旦出来るだけ低い温度になるように凍らせて、溶ける寸前でまた凍らせるってのが限界だな。そうやって保たせて一週間だ。それに熟成なんてのは肉屋の秘伝だ。素人が簡単に出来るもんじゃねえ」
「肉屋の秘伝か。簡単に教えてくれるものじゃなさそうだな」
「肉屋の弟子で他所で独立する予定がある者か肉屋の跡継ぎにしか教えられない秘伝だよ。肉屋だけじゃないぜ。魚屋、家具屋、大工、どんな職業でもそれぞれ秘伝がある。ちょっとした街にはそれぞれの職業組合があって、秘伝を伝授されて親方になったものしか組合員になれないし、組合員でなければその街で商売をすることは出来ねえ」
「勝手に店を開けばどうなるんだい」
「上手くすれば領主かその代官に街から叩き出されるだけで済む。悪くすれば・・・わかるな」
そう言ってエラドは暗い笑みを見せた。
(うへっ、桑原やな)
「それじゃ、ここの子は街で真っ当な職に就くなんて出来っこないね」
勇人は諦め交じりの口調でそう呟いた。
「まあ、そう言うことさ。さてそろそろ戻るか」
エラドは吐き捨てるように言うと痛めた方の足をかばうようにして立ち上がり、ぽんぽんと両手で尻の土を掃った。それを見て子供たちも同じように立ち上がり、それぞれが割り当て分の肉を自分の虚空庫に収納すると孤児院に向かって山道をとぼとぼと登り始めた。今更ながら勇人とエラドとの話が身につまされたのだろうか、イノシシの肉で沸き上がっていた元気が少なからずしぼんだようだ。勇人とアビーも彼らの後に続く。
孤児院に着くと台所へ行き、それぞれ虚空庫から肉を取り出して調理台に置く。今度はその日の調理当番が今日使う分の肉を切り取り、残りを「冷凍庫」と呼んでいる固めた土で出来た室の中に吊るしていった。十二歳のダリアと言う女の子が肉に手をかざして氷魔法をかけ、十分凍ったところで分厚い木でできた室の扉を閉め
「ふぅ。これで十二時間は持つわ。そのころには魔力も戻ってるからまたかける。ああ疲れた」
と言ってふらふらとした足取りで食堂に戻り、椅子に座るとテーブルに突っ伏してしまった。なるほどこれでは二十四時間続けて肉を悪くしない温度で冷凍を続けるのは無理だろう。勇人にもそのことが十分に判った。
若干、「看板に偽りあり」な感じがしています




